ヤスの雑草日記(ヤスの創る癒しの場)

私の人生の総括集です。みなさんと共有出来ることがあれば幸いです。

偏狭な愛が支配している小説世界には、そろそろうんざりとしてきたかも・・・

2008-12-01 23:12:50 | 文学
○偏狭な愛が支配している小説世界には、そろそろうんざりとしてきたかも・・・

昨今、青春恋愛ものの小説がやたらと出版されていて、ブームに乗っていろんな作家が書きまくっているような感がある。新刊書の多くが、このジャンルではなかろうか?勿論、読者あっての小説であり、売れなければそれでお終いなのだからそれでよい、としても、携帯小説とやらも含めて、このジャンルによって慰められている、特に若者たちの精神のありように僕はしばし想いを馳せることになった。僕のようなおっさん読者は、ある意味、留保つきの読み方をしながら、狭苦しい世界観の中で繰り広げられる青年たちの恋愛を、物語というジャンルから、自らの過去への遡りのツールとして大いに活用させてもらっている。言葉を換えて言えば、ある種の過去への偏執のための、割り切り型の読み方である。その意味合いにおいて、僕はあくまで留保つきの、若き書き手たちに対する、理解ある読者であり得る。それは許されることと勝手に思うこととする。

だが、このような狭隘なる世界の中で閉じこもり、出口なき球体の中で愛を交わし、性を交わす現代の青年たちの恋愛とは、そのまま現代の青年たちの世界観を狭めてしまう負の役割を担っているように最近とみに感じるようになってきたのである。年寄の冷や水と言っていただいて何ら差し支えはない。年寄が冷や水を流すようになったきっかけなりとも書こう、と思う。それが年老いた人間の役割というものだろうから。

青春恋愛小説というジャンルに区分されるものが売れている背景には、青年たちが、自らをとりまく世界の、展望なき、拠り所なき不確かな原像を自らのイメージと重ねて生きているような、実に切ない想いがどうしても払拭できない。客観的に見ても、現代の若者たちの意識の中に、何がしかの確固とした生きる指針が育まれる要素というものがない。彼らにとって、仕事にもかつてのような、会社に奉じることで自己の身分を保障される土壌すらないのが現状である。いつもリストラの憂き目を覚悟しながらの、何らの身分の保障なく、税金の負担ばかりが重くのしかかる生活が彼らの日常ではなかろうか。さらにもっと重要なことは、勿論これはええ歳したおっさん、おばさんに、いかにも世界を観る目がなさすぎることが多分に影響しているとは思うが、青年たちの未来を創造する選択肢の中に、政治を媒介にした社会変革という要素が見事に抜け落ちていることである。未来を自分たちの力で選択し得ないと錯覚(しているだけだが)している、彼ら、青年たちの恋愛観の中に、人間の力ではどうにも及ばない大きな力によって、もしかすると愛する対象を失わしめることになりはしまいか、という危惧すら生起することはないように思う。あるいはその逆に、たとえば経済的理由や社会的身分がうまく築けないという目先の要素だけで、簡単に(少なくとも僕にはそう見える)愛する対象者を投げ出してしまう価値意識の中からは、どのように控えめに見ても刹那的な恋愛観しか醸成出来ないのではないかと、僕は思う。いや、もっと本質的なことは、彼らには、自らの未来を構築していく底力というものが喪失してしまっていることに対する、僕なりの危惧がどうしても拭えないことなのだ。人間が自らの未来への構築力を喪失したとき、それは、人間としての精神の死を意味することではないのか?

精神の死した、いやもっと正確に言うと、精神の死を強いられた青年たちの、青春の時代にはどこかしら暗い、可能性を喪失させられ、閉ざされた世界が見え隠れする。閉ざされた世界の中で紡ぎ出される愛の言葉には、未来を構築するだけのエナジーは勿論ない。だからこそ、恋愛青春小説には、一見して若者の恋愛が描かれているに見えて、そこには饐えた、熟して腐りつつあるごとき性の爛熟が必須の要素としてプロットの中に投げ込まれる。そうでなければ売れないのであれば、それらの書を、現代における文化の頽廃として受容しなければならないのだろう。

○推薦図書「人間の運命」ショーロホフ著。角川文庫。戦争によって、一人の人間の小さな愛に満ちた幸福など、一瞬にして吹っ飛びます。しかし、そのような過酷な状況の中からでも人は希望の光を見出していく力を秘めた存在です。そのような人間の潜在能力を思い起こさせてくれるお勧めの書です。ショーロホフはご存じのように「静かなドン」によって、あの悪名高いスターリン賞を受賞しましたが、その後ノーベル文学賞も受賞している押しも押されぬ名作家です。残念ながら「静かなドン」は現在は絶版になっており、古本でしか読めませんので、とりあえずは今日の推薦の書をどうぞ。

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