ヤスの雑草日記(ヤスの創る癒しの場)

私の人生の総括集です。みなさんと共有出来ることがあれば幸いです。

幕末から明治維新という大革命を俯瞰してみると、三島由紀夫の存在理由が僕の中でさらに希薄になった

2010-02-03 01:07:52 | Weblog
 「龍馬伝」はかなりな人気番組になりつつあるようで、龍馬役の福山雅治も清々しい青年像をよく演じていて、坂本龍馬というか、福山雅治のイメージの創りだす純朴さと情熱で、しばしば単純な僕などは泣かされる始末なのである。このドラマは楽しめばよいと思っているが、それにしても、僕自身の、この時代に関する評価と知識があまりにも狭隘であり、西欧列国から開国を迫られ、不平等条約に甘んじながらも、日本の旧藩主・藩士たちが、複雑で、かつ重層的な明治革命を遂行したことの学習を、ずっとやっていたら、これまで勤皇(尊王)派と佐幕派という単純な二層構造としてしか龍馬が駆け抜けた時代を捉えていなかった自分の浅はかさに、呆れるばかりだったのである。呆れることのついでに、恥を忍んで書き置くと、近江屋で暗殺されたのが、海援隊の隊長であった坂本龍馬であることは知ってはいたが、陸援隊の隊長の中岡慎太郎まで暗殺されたことは今回の学習で初めて知った。アホか、と思う。大政奉還の立役者としての、後藤象二郎の存在さえ、僕の記憶の中では希薄になっていたほどなのである。ひと言で明治革命といっても、各藩の中でも、藩主と藩士の対立があり、またその中でも、思想の違いがあり、大きな観点で、明治革命を、勤皇(尊王)派と佐幕派との二大勢力の闘争などとは到底纏め切れない、重層的な旧勢力の破壊と新勢力の構築を、自分なりにどのように整理したものか、悩みつつも、ずいぶんと深い学習を強いられた。

 明治革命を遂行した若き天才たちの運動論はダイナミズムに満ち溢れたものである。彼ら天才たちは、勤皇(尊王)派にも佐幕派にも勿論いたわけで、日本が、当時の他のアジア諸国が西欧列国の植民地になっていくのに、自立を守り抜けたのは、彼ら、若き天才たちが命を張って、融合と離反を繰り返しながらも、明治維新をダイナミックな革命によって、日本の再構築に成功したからであって、これは他国の大きな革命運動と比較しても決して見劣りのするものではない。

 前置きが長くなった。さて唐突かも知れないが、今日は三島由紀夫という男がサムライを演じようとして、サムライになり得なかった理由を書きたいのである。三島の作品世界といい、真似ごととしての、政治組織、「楯の会」といい、自己のボディビルと剣道による体の鍛錬といい、自衛隊に楯の会を参加させたことといい、最期は楯の会の数人と当時の市ヶ谷駐屯所に乗り込み、自衛隊員に対して、天皇に主権を奪取させるための蜂起を促すという、時代錯誤の行動の果ての、計算づくの切腹劇は、あまりにも稚拙な自己陶酔とナルシシズムが見え透いていて、以前にもまして、僕は、三島が嫌いになった。三島の作品世界に、日本的な美の世界を重ねる人もいるのだろうが、所詮三島の美意識とは、明治革命に巻き起こった政治的ダイナミズムや、思想の重層性のカケラもない、あくまで、静的な美意識という代物である。静的美意識の根底をなす思想とは、三島由紀夫という、頭デッカチの、手前勝手な過去への、サムライ社会への疑似的回帰に過ぎない。それを支えているのは、三島の作品世界における美文ということを認めてもよいが、その美文の中に動的なダイナミズムなど、目を皿のようにして探しても見当たらない。当然だろう。何故なら、三島という男は、もともと閉塞した世界の中で、静的な美文を紡ぎ出すことによってしか、自己実現が出来なかったのであるからだ。三島の狭隘な自己実現の完成は、疑似的な革命への放棄という無様な行為の果ての、無価値な腹切りだった。日本的な幽玄な美を求めてやまなかった三島の自宅が、白亜の西欧風の安づくりのロココ風宮殿を真似てつくったのは、ある意味、三島の思想がよく現れている。三島の自宅が西欧風なのは、明治政府が卑屈に鹿鳴館時代を送ったのと同じ種の、昭和という時代への卑屈さの表現ではなかろうか。果たして三島自身がそのことを自覚していたかどうかは疑わしいが。まあ、いまは、三島由紀夫を論じるよりも、江戸から明治への移行時期に、命がけで新たな未来を構築しようとした英雄といおうか、傑出した天才たちといおうか、彼らの営為に敬服することの方が意味があると僕は思うのである。今日の観想とする。

教育の原点とは、学ぶ人間に働く歓びを感得せしめることではなかろうか

2010-02-03 01:04:59 | 学校教育
○教育の原点とは、学ぶ人間に働く歓びを感得せしめることではなかろうか

人は、働くときに、ただ生活のためだけに自分の時間を切り売りしているなどという思想は、大昔のマルクス経済理論の土台を支えるものでした。ここから、労働者階級の一党独裁型の政治思想に行き着くまでには、考え方においては、それほどの距離はありません。マルクスの膨大な思想体系の中には、現代に通用するものもたくさんありますが、彼の代表的著書と言っても過言ではない「資本論」における経済理論、及びマルクスの労働観に関しては、あまり有用な要素は見当たりません。単直な図式化ですので、マルクス理論に詳しい方々のヒンシュクを買うかも知れませんが、敢えてご批判を覚悟でマルクス理論の素描を行いますと、労働者が自分の労働に意味を見い出せないのは、搾取される側に置かれているからであり、搾取する側のブルジョワジーを打倒し、その富を再配分し、労働者主体の政治・経済機構を創り出せば、そこに働く意味と重要性が見えてくる、と云うものでした。しかし、いまさらながらですが、東西冷戦時代が終焉し、東側諸国に対するユートピア的な思い入れに、何らの意味もないことが明らかになりました。労働者の一党独裁の中から、新たなヒエラルキーが生まれ、差別化は再生産され、その中でも何より問題であるのは、厳しい思想統制がなされてきたという現実です。現代における共産圏の政治においても、一部の政治エリートだけが甘い汁を吸っているのを見れば、人間の限界性と愚かさが透けて見えてきます。

だからと言って、東西冷戦の終焉は、資本主義の一方的な勝利に終わったなどと主張する御用学者の意見にくみするわけではありません。なりふり構わぬ資本家たちの自己防衛には辟易してしまいますし、かつての日本における緩やかな社会主義的要素を含み込んだ資本主義も、アメリカの影響下、労働者にとっては斬り捨て御免の時代になり果てました。こんな時代に夢を持つことの方が難しいのですが、大きな視点から云えば、やはり日本の土台は、教育立国という理想の上に立った、政治や経済のあり方を再構築することを抜きにしては語れないでしょう。悪い時代を変革していけるのは、これからの社会の中核を担う人々のエネルギーです。若い人々が働く歓びを感じる社会にしなければなりません。リストラの嵐が吹き荒れるような、斬り捨て御免の殺伐とした社会を変えていく必要があります。そのための教育なのです。

残念なことに、教育にとって最も重要な任務を背負っているはずの、教える側の学校の先生方が、過剰な管理主義下で、心腐らせています。そのために、先生方が精神的な病のために、休職に追いやられるケースが後を絶ちません。学校社会は、その意味においてかなり不健全な空気に満ちています。公立学校で言えば、教育委員会、私立学校で言えば、各々学校の理事会が、各学校を指導・統括している部署です。おおもとは、当然文部科学省です。学校社会が精神的に不健全であるというのは、教える側の先生方の組織のあり方にもよるでしょう。真面目で教育熱心で、ご自身の教科指導や学級経営に関する研究を一生懸命にやる先生は出世出来ないシステムになってしまっています。学校の指導者になろうとすれば、教育力量など必要ないと言っても過言ではありません。多少極端な言い方かも知れませんが、学校社会で指導者(という名に値しない、単なる出世ですね)になろうとすれば、最も大切な決め手は、管理職者のご機嫌伺いをいかにするか、ということで、殆ど教頭任命試験や校長任命試験を受けさせてもらえるかどうかが決まります。私学で言えば、理事会の覚えめでたき人が、管理職に任命されます。だから、教育の指導者として、学校管理職者がいるのではなくて、単なる管理主義的な野心を持った人間が学校の管理職者になるというのが、これまでの図式です。これでは学校にとって、最も重要な課題、すなわち、教育力量をいかに高めるかという視点で学校運営されていないわけですから、生徒がやる気をなくしたり、不登校になるのも理解出来るわけです。不登校を、生徒間だけの人間関係論にすりかえてしまうと、事の本質がまったく見えなくなります。生徒相互間の関係性が悪くなるのも、もとはと言えば、学力保障という課題が、教師の中で実践化されにくいからです。多くの指導者がなっていないからなのです。昨今は、学校以外でお仕事をされてきた人たちが、校長に任命される時代になりましたが、任命権者である教育委員会自体が、そもそも学校社会以上に実力ある人がその長になれる組織ではありませんから、いくら外部の風を入れようとしてもそれは見せかけにすぎないわけで、結局は外部の風を吹き込むどころか、組織の中に組み込まれてしまい、実力が発揮出来ないというのが現状ではないでしょうか。

京都カウンセリングルーム
文学ノートぼくはかつてここにいた
長野安晃