○歴史の物語性について感じること。
人は自分の人生を、生のどの段階なのかは分からないにしても、必ずと言ってよいと思うが、振り返りたいという欲動が働くのだろう、と思う。いくら強気で、過去の生などとは断絶した上の未来しか視野に入れない、などとうそぶく人もいるだろうが、そういう人たちも、どのように止めても湧きあがってくる過去の出来ごとの総体が、自己の未来を築くに際して、ある種の精神の後退を余儀なくされる可能性があることに気づいているからこそ、意図的に過去の出来事の幾ばくかを消去しようとしているのである。その意味において、彼らにしても、逆説的に過去との繋がりを断ちきれないという矛盾の中で身動きがとれないのではなかろうか。
人は、自己の過去であれ、他者のそれであれ、後年、某かの方法で再現しようとするとき、そこに虚構が混じるのは必然的なことである。歴史上のさまざまな出来事が、それをいかに詳細な歴史的事実の検証を通じて書き綴ったとしても、どのような意味合いからしても、歴史的事実との同一物は存在し得ないのは当然のことであろう。一個の人間が、己れの小さき生きざまを書き綴るというくらいなら、罪のない自己主張の手段でしかないわけで、どうということもないのだろう。が、これが、たとえば一国の歴史的事象の編纂ともなれば、話はまるで違ったものにならざるを得ない。歴史の改ざんとは、それが意図的な歴史のでっち上げは、言うに及ばず、たとえ歴史に忠実であろうとする精神であれ、歴史の編纂という知的行為そのものが、すでにそのはじまりから、歴史的事実を粉飾したり、歴史編集者の意図を事実に織り込んだり、あるいは歴史的事実を創造的虚構の中で創り換えたりすることから決して免れることの出来ないものなのである。
我々が人類の歴史的事象として学んできた過去の出来ごとの総体、と言っても、結局は宇宙的規模の事実の中の、どの断面から歴史編集者の意図に沿った限定的な事象を採り上げるかによって、まったく異なった歴史の様相を呈してくるのは、当然の成り行きなのだろう。歴史上の加害者側と被害者側とでは、生起した歴史的事実の捉え方は極端な場合、正反対であり得る。たとえば、南京虐殺の中国人被害者数は、中国側の史実の捉え方に従えば、累々とした死者の数によって証明されているが、昨今の日本の右翼的史実家の極端な解釈によれば、南京虐殺の事実さえなかったということになる。書けば枚挙に暇がないが、もう一つ。日本の明治維新の立役者として、また当時の総理大臣として名高い伊藤博文は、かつては日本の紙幣を飾る人物でもあった。伊藤が韓国併合に際して、訪韓中に暗殺されたこと自体が長年日本の歴史教科書には極めて微細にしか記載されていなかった。それは第二次大戦における日本のアジア諸国に対する侵略のツケを払わされたことと無縁ではない。いや、侵略などという行為はいかなる意味においても侵略した側にツケを払う義務がある。言わずもがなであるが、現代においても伊藤を暗殺した青年は、韓国においては英雄である。歴史とはあくまで酷薄な存在であり、人の解釈、国の利益によっていかようにも事実は創造し得るものである。歴史的史実という名の客観性に対して、我々はさらなる冷徹な視野をもって対峙しなければ、歴史という物語性の中から、歴史的教訓としての学びの機会は訪れることはない。
我々にとって、最も大切な視点とは、歴史をあたかも動かし難い事実の集積などという単純な歴史観を捨て去ることである。歴史を、あくまで人間が創りだした物語性の要素が絡み合って出来た代物として感得する力、これが我々に正しい歴史観を育ませる唯一のファクタ-である。歴史が単一的に見えるとき、人の思想そのものが偏狭な方向に傾斜している。歴史をあくまで物語性というファクターで成り立ったもの、という視点で歴史解釈をするとき、我々には、歴史を重層的に捉えるだけの拡がりが訪れるのである。我々にとっての過去がいかに危うい事実解釈に根ざしているにせよ、現在が過去というファクターの選択的解釈の上に成り立たざるを得ないのなら、過去の重層的な歴史観からしか、我々の未来を見通す力など湧いてくるはずがないではないか。
京都カウンセリングルーム
文学ノートぼくはかつてここにいた
長野安晃
人は自分の人生を、生のどの段階なのかは分からないにしても、必ずと言ってよいと思うが、振り返りたいという欲動が働くのだろう、と思う。いくら強気で、過去の生などとは断絶した上の未来しか視野に入れない、などとうそぶく人もいるだろうが、そういう人たちも、どのように止めても湧きあがってくる過去の出来ごとの総体が、自己の未来を築くに際して、ある種の精神の後退を余儀なくされる可能性があることに気づいているからこそ、意図的に過去の出来事の幾ばくかを消去しようとしているのである。その意味において、彼らにしても、逆説的に過去との繋がりを断ちきれないという矛盾の中で身動きがとれないのではなかろうか。
人は、自己の過去であれ、他者のそれであれ、後年、某かの方法で再現しようとするとき、そこに虚構が混じるのは必然的なことである。歴史上のさまざまな出来事が、それをいかに詳細な歴史的事実の検証を通じて書き綴ったとしても、どのような意味合いからしても、歴史的事実との同一物は存在し得ないのは当然のことであろう。一個の人間が、己れの小さき生きざまを書き綴るというくらいなら、罪のない自己主張の手段でしかないわけで、どうということもないのだろう。が、これが、たとえば一国の歴史的事象の編纂ともなれば、話はまるで違ったものにならざるを得ない。歴史の改ざんとは、それが意図的な歴史のでっち上げは、言うに及ばず、たとえ歴史に忠実であろうとする精神であれ、歴史の編纂という知的行為そのものが、すでにそのはじまりから、歴史的事実を粉飾したり、歴史編集者の意図を事実に織り込んだり、あるいは歴史的事実を創造的虚構の中で創り換えたりすることから決して免れることの出来ないものなのである。
我々が人類の歴史的事象として学んできた過去の出来ごとの総体、と言っても、結局は宇宙的規模の事実の中の、どの断面から歴史編集者の意図に沿った限定的な事象を採り上げるかによって、まったく異なった歴史の様相を呈してくるのは、当然の成り行きなのだろう。歴史上の加害者側と被害者側とでは、生起した歴史的事実の捉え方は極端な場合、正反対であり得る。たとえば、南京虐殺の中国人被害者数は、中国側の史実の捉え方に従えば、累々とした死者の数によって証明されているが、昨今の日本の右翼的史実家の極端な解釈によれば、南京虐殺の事実さえなかったということになる。書けば枚挙に暇がないが、もう一つ。日本の明治維新の立役者として、また当時の総理大臣として名高い伊藤博文は、かつては日本の紙幣を飾る人物でもあった。伊藤が韓国併合に際して、訪韓中に暗殺されたこと自体が長年日本の歴史教科書には極めて微細にしか記載されていなかった。それは第二次大戦における日本のアジア諸国に対する侵略のツケを払わされたことと無縁ではない。いや、侵略などという行為はいかなる意味においても侵略した側にツケを払う義務がある。言わずもがなであるが、現代においても伊藤を暗殺した青年は、韓国においては英雄である。歴史とはあくまで酷薄な存在であり、人の解釈、国の利益によっていかようにも事実は創造し得るものである。歴史的史実という名の客観性に対して、我々はさらなる冷徹な視野をもって対峙しなければ、歴史という物語性の中から、歴史的教訓としての学びの機会は訪れることはない。
我々にとって、最も大切な視点とは、歴史をあたかも動かし難い事実の集積などという単純な歴史観を捨て去ることである。歴史を、あくまで人間が創りだした物語性の要素が絡み合って出来た代物として感得する力、これが我々に正しい歴史観を育ませる唯一のファクタ-である。歴史が単一的に見えるとき、人の思想そのものが偏狭な方向に傾斜している。歴史をあくまで物語性というファクターで成り立ったもの、という視点で歴史解釈をするとき、我々には、歴史を重層的に捉えるだけの拡がりが訪れるのである。我々にとっての過去がいかに危うい事実解釈に根ざしているにせよ、現在が過去というファクターの選択的解釈の上に成り立たざるを得ないのなら、過去の重層的な歴史観からしか、我々の未来を見通す力など湧いてくるはずがないではないか。
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文学ノートぼくはかつてここにいた
長野安晃