ヤスの雑草日記(ヤスの創る癒しの場)

私の人生の総括集です。みなさんと共有出来ることがあれば幸いです。

○それでも、革命と云う思想のあり方は問い続けられるべきだ。

2011-04-12 16:48:26 | 哲学
○それでも、革命と云う思想のあり方は問い続けられるべきだ。

左翼主義という思想をひとつのジャンルに括ることが難しい時代になって久しい。

東西冷戦の終焉と共に、単純な東側諸国の左翼主義に、西側諸国に生起する社会的矛盾や不公平感の浄化の末の、リアルなユートピア社会の幻像を重ね合わせることの無意味さを誰もが思い知った。革命によって勝ちとられたはずの、人民のための、公平で、友愛に富んだ理想郷であったはずの、遥かかなたの理想郷が、民衆の粛清によって構築された思想統制の、思想的異端者たちを削ぎ落していくための秘密警察が跋扈する恐怖政治のなれの果ての、唾棄すべきエセものだったという絶望感。しかし、そうであっても西側諸国に生きる人間にとっても、独占的な情報授受可能なポジションに昇りつめた人間だけが、実質的な富の独占者であり、小市民である僕たちは、彼らの投げ与えるお余りの捨て金によって、食いつないでいることに変わりはない。厚い皮を剥き続ければ、ここでも銭金に埋もれた守銭奴たちの下卑た笑い声が聞こえてきそうだ。資本主義の勝利、共産主義の敗北という単純な図式の中からは決して分かり得ない、崇高な革命の定義の見直しの重要性。今日の僕は、この課題の周縁的なことを少し語る。周縁的と敢えて書いたのは、たぶん、僕の主張をまだ日常語に噛み砕けない段階に自分がいるからだ。そういう意味での周縁的であり、僕の裡では、勝手なようだが核心に立ち至っている思想の土台ではある。誤解なく。

思想的な変節の典型例として、西部邁という思想家について少し触れてみようと思う。たくさん著作は出ているので、ご存じの方は多いと思う。このところご無沙汰だが、以前は「朝まで生テレビ」の論者として、常に出ていたから、彼がまったくの右翼思想家だと思っている人も少なからずいるだろう。西部は60年安否闘争の全学連の委員長として国会突入を果たした学生たちの只中にいた人間だ。その後の長い法廷闘争の末に、東大の教授にのし上がったのだから、西部の実力もさることながら、当時の時代的な牧歌性は、現代とは比較の対象にもならない。中沢新一(当時すでに「チベットのモーツアルト」という著作で有名になっていた)を東大教授として招聘することになっていたのを、教授会のヘタれた議論に嫌気がさして、西部は東大教授を辞した。それ以降は、思想家としていまだカクシャクとしている。現役だ。しかし、僕は西部のような思想の彷徨と変遷と同じ轍は踏みたくないと思っている。西部が左翼から右翼に転向したことを忌避しているのではない。その意味では、西部は右翼思想家ですらないからである。

西部は、大衆闘争としての安保反対闘争に身を投じて、その結果、大衆の右顧左眄的で、保身的な本性に絶望したのだ。東大教授会の民主主義的?な議論の欺瞞性にもウンザリしたのである。だからこそ、彼は海外の真性の右翼思想のエッセンスを己が左翼思想にパラパラと振り撒いたのである。西部が思想家として名をなしたのは、「大衆への反逆」であったし、「幻像の保守」であった。前者は、日本の小市民性を痛烈に批判したものであり、後者は、保守主義者として自分は立つが、日本にかねてより蔓延っているような保守を批判しつつ、真性の保守主義を確立しようとする。そのことがいかに困難で、不可能に近いことかを西部はよく識っている。だからこそ、西部をして、己れの保守主義を幻像と云わしめたのである。

僕は思うのである。左翼思想は決して過去の遺物ではないと思うのである。そして、巨悪蔓延る社会変革としての革命は、いまだなし得ないままに永続的に僕たちの前に横たわっているのである。歴史的過去に起こり得た数々の革命劇は、暴力革命である。無論無血革命があったにせよ、それ自体の革命性においては、暴力革命の変奏の姿に過ぎない。僕がモデルに出来ると感じる革命とは、ドイツの宗教家であるマルティン・ルターの宗教改革である。ルターは徹底して聖書を読み込んだ。テクストしての聖書には、当時の宗教的権威であった教皇を中心にとり決めた数々の民衆に対する宗教税等々など書かれてもいなければ、教皇の存在すら書かれてはいない。ルター民衆には無縁だった、ラテン語聖書をドイツ語に翻訳する。民衆の文盲率は高かったにせよ、ドイツ語訳聖書を読み聞かすことが出来る。そうして、民衆は目覚めたのである。ルターはひたすら読み、書いた。ルターにとっての革命とは、文学という行為そのものである。革命の究極の姿とは、文学であり、文学なき革命などは無効なのではなかろうか。

もはや、流血をともなう体制変革だけを革命などと云うのは、時代錯誤、思想の錯誤である。根底のところで、大衆を視野から離した西部のごとき思想の変遷は、見苦しい。それよりも、僕たちはひたすら読み、書こうではないか。それこそが、新しい世界像を創設できる唯一の方法論だ。西部のように、<幻像の~>などと、裏返った卑屈さを晒すこともないはずだ。世界というものをテキストとして認識し、それを深く読み込み、そして、真実を識るのである。テキストの編み直しこそが、革命に繋がる力業である。ならば、文学を抜きにした革命など、不毛の産物ではないか。文学こそが、革命に不可欠な存在である。

文学ノートぼくはかつてここにいた
長野安晃