ヤスの雑草日記(ヤスの創る癒しの場)

私の人生の総括集です。みなさんと共有出来ることがあれば幸いです。

美山高校に物申す(2)

2009-05-07 00:36:17 | Weblog
 心理カウンセラーなどという仕事をやっていると、クライアントからかなり理不尽な扱いを受けることがある。一番堪えるのが、言語交通を一方的にクライアントから遮断されてしまうことである。クライアントは、世の中で傷ついた心を抱えているのである。こちらが思いもしないことで、拒絶反応を起こすこともある。彼らの心を読み切れないときもある。こういうときは哀しいことだが、自分の裡にも怒りに似た感情が湧きおこる。人間である限り、このような感情の凹凸は避けられないが、しかし、その一方で、必死に自己の冷静な思想を取り戻そうとする。人間として、かなりギリギリのところで自己の内面の炎(ほむら)を、クライアントに対する理解の感情へと切り変える。これが出来なければ、プロとは言えないのである。またこの種のクライアントは急増しているのが実情でもある。言語交通が他者との間に開けない病、たぶん、精神疾患と現代において呼ばれているものの多くは、自己の言葉を遮って、他者を自己の内面から締め出し、出口のない小さな自己の脳髄の世界の中に幽閉されることと同義語ではなかろうか。
 精神の底にへばりついた個性を、底から力技で引き剥がす。クライアントの心の荒れた内面に分け入って、小さな穴から言葉を注ぎ込む。こちらの言葉の力が勝れば、クライアントは確実に、自己の内面に他者という存在を据え直す。これが快復の道のりの第1歩である。カウンセラーはあくまで、言葉という手段を最大限に有効に使わねばならない。精神薬にも限界があるのである。最後の勝負は、クライアントを自己再生へと向かわせる心的エネルギーを、カウンセラーがいかに注ぎ込めるのか、ということに懸かっていると言っても過言ではない。このようにして、壊れた言語交通の回路を修復すること、いま特にクライアントの多くが求めている方法論なのである。
 「美山高校に物申す」というブログをつい先ごろ書いたのは、既述したように、着任早々の副校長とやらが、僕のブログの内容が美山高校の生徒にはふさわしくないという理由で、美山高校のHPから「京都カウンセリングルーム」を締め出したのである。電話の向こうで彼はその典型例として、「性と性愛」というブログのタイトルが、学校教育の場には相応しくないのだ、と主張したが、彼が当のブログの内容を読んでいないのは一目瞭然であった。なぜなら、彼が相応しくないと指摘した「性と性愛」には、人間の本質的な存在理由についてのかなり深い考察が含まれていたからである。言葉の表層に拘るのが、教師としては最悪の非教育的気質である。このような教師たちによって、学校に行けない生徒が激増し、彼らが美山高校へ望みを懸けるのである。ところが、美山高校の副校長のみならず、校長までが、同じ意見だと言う。まるで言葉狩りである。こんな学校がどうして、一度は挫折した生徒たちの心を再構築し得るというのだろうか? 校長・副校長はえらい信頼関係で結ばれたようだが、残念だがこの時点から美山高校は、その存在理由を喪失したと断ぜざるを得ない。3通の手紙を校長宛てに出した。しかし彼らは完全無視である。真面目に問いかけている人間の意思を無視して憚らぬ無神経さで、どのようにして心に深く傷を負った生徒たちの、喪失した言語回路を再び開こうというのだろうか? 美山における教育はすでに死した感すらある。もし、僕の主張に対して、反論なりともあるのであれば、正当に反論をすればよろしいのであって、無視を決め込むなどというのは、ヤサグレた政治家のやることである。猛省されたい。美山にまともな価値意識が再構築されることを心より願う。今日の観想とする。

○今日は推薦図書はありません。かつてのポランの広場高校の名残りとしての全寮制の男子高校も今年から閉鎖されました。完全にありふれたE-SCHOOLになり果てた美山高校の明日があるのでしょうか?  

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