ヤスの雑草日記(ヤスの創る癒しの場)

私の人生の総括集です。みなさんと共有出来ることがあれば幸いです。

○愚にもつかないことなんだけど。

2011-07-24 01:41:19 | Weblog
○愚にもつかないことなんだけど。

書くほどのこともないか、と思いつつ、案外と、この種の思い込みや間違いで、人間が常識とも、世論とも、価値観とも云っているものの原型をかたちづくってしまうことが多いのかしらん?という感覚を捨て切れず、いま、こうして書いていると云う次第。

午前から午後にかけての、少々くだけた報道番組(と云えるかね、あれが)で、なでしこジャパンの活躍の跡づけをしつつ、無理矢理話を広げてしまったときのぶざまな出来事。話は、なでしこジャパンが、一躍日本中の花形となり、もてはやされていることと、1964年の東京オリンピックとの比較だった。金メダルを日本にもたらした女子バレ―チームの「東洋の魔女」と、なでしこジャパンの命名の一致点をこじつけたわけである。そこまではまあ、つまらない話題で済む。この手の番組にありがちな話の広げ方だし、話題づくりの方法なんだろう。それは構わないと思う。

ところが、なんで、なでしこジャパンなのか、という説明をし始めて、さて、話は当然、「東洋の魔女」の語源に行き着く。司会者とは別の、小太りの報道関係担当者が得意げに喋る。原稿内容は、この番組スタッフ全員で知恵を絞ったのだろうし、いつもの、あまり賢くはない解説者たちも彼の説明に、えらく納得していたふうだった。この小太りの担当者は何と説明したか?「東洋の魔女」という命名をしたのは、日本に中継に来ていたアメリカのテレビ番組のアナウンサーだそうな。それがまたムリムリのこじつけだ。彼曰く、「アメリカのアナウンサーは、日本女子チームの回転レシーブに舌を巻いて、オリエンタル・ビッチ(Oriental Bitches)と叫んだのが、語源なんだと。おもしろきことに、ちゃんと解説らしきことまで言ってのける。ビッチ(女子チーム全員を指しているんだから、当然Bitchesと、複数形で言ったはずだろうね)は、あまりよろしくない表現だが、日本チームの大活躍があまりに凄まじく、アメリカ人としては、悔しい感情が、ビッチと叫ばせたのだろう、と。そう思っても仕方がないほどに彼女たちがすばらしかったという理屈らしい。アホウやな。

いまどきのアメリカのアクション映画では、むしろこの手の卑猥な言葉が普通に飛びかう。しかし、考えてみれば分かることだ。1964年のアメリカは公民権運動の真っ盛り。女性の権利の獲得も、社会的差別構造をぶっ潰す運動の中で、フェミニズム運動として開花している時代だ。公共の電波で、あの時代に、テレビアナウンサーが、悔しまぎれにでも、ビッチ(Bitches)なんて言ったものなら即刻クビだったろう。なんできちんとした取材をしないで、とってつけたような思いつきのこじつけをやらかすのか?こういうことの、危険で、ええ加減さが、大衆の価値観とやらをしばしば歪めてしまうことを報道番組の制作者も、出演者も自覚的でなければならない、と僕は思う。

確かに、大松監督率いる日本女子バレーチームの凄さにアメリカ人アナウンサ―も舌を巻いたことだろう。しかし、彼/彼女(どちらかは知らないが、たぶん、こういう言葉を吐いたと錯誤させるのだから、男なんだろう)の驚きは、間違いなく、事のはじまりから、「東洋の魔女」と叫んでいたのだ。彼は間違いなく、こう叫んだ。オリエンタル・ウィッチ!(Oriental Witches! )と。思い込みとは怖ろしいものだが、それにしてもこのこじつけはいかにもおかしい、と、さすがの番組制作者も思ったのだろうか。「東洋の魔女」という命名は、当時のソ連の誰か(誰か、ですよ!)が言ったことがはじまりなんだと訳の分からぬことを付け足す。逃げの手ですな。

人間はときとして、信じられない思い込みをしてしまう。大抵は根拠なきもの。しかし、こんな陥穽が人を殺人者にもしてしまう。たくさんあるのではないですか、歴史の中では。今日の観想として書き遺しておくことにします。

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長野安晃


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