さっき、番組が始まった第1回目から観ていた「私たちの教科書」という番組の最終回を観終わって、この番組はテレビドラマとしては秀逸だな、と感じ入った。いじめの問題を扱った学校空間で繰り広げられる教師たちの姿、副校長からの一方的な報告、命令だけで済まされるだけの職員会議、そこで成立している完璧とも言える縦社会の構造、その中で個々の生徒が傷つきながら、それでもその一方でいじめに加担する状況を見て見ぬフリをする生徒と教師たちの姿、学校を訴えた裁判を巡る、決して情緒的に安易に流されることのない出来事の数々をこれまで一度も欠かさずに観てきたが、この番組を観ながら、さらに無様で残酷な状況が、現実の学校では起こっているのかも知れない、と感じた。僕も元教師だから、学校の様子はだいたい見当がつくが、僕が学校を辞める頃、職員会議はまさに、議論のないつまらない会議に成り果てていたように記憶する。僕が学校を辞めてら8年が経つが、たぶん状況はもっとひどいものになっていることだろう、と容易に想像出来る。昨日も書いたが、教育再生会議という馬鹿げた審議会が、公立学校の教師たちに対して、また生徒たちに対して、競争原理をさらに強化させて導入する提言を出しているのである。僕の勤めていた私学もその他の私学もその影響を受けないはずがないではないか。僕の最も評価していたある教師から、数カ月前に来たメールは、ひどく目線の高くなったところから、まるで生徒を叱るような、それも論理力のまるで感じられないそれだったから、実体は推して知ることが出来る。もう学校自体が閉じているのである。学校に意見を求めるHPに無記名で(本来、こんなものは無記名を許しておくべき代物である。記名することを要求すれば、親は学校側に何も言えなくなってしまう。子どもがその学校に通っているからだ) 二度ほど意見を書いた。するとどうだ、次にまた意見を書こうとすると、記名しなければ、意見が書けないように変更されていた。勿論、記名して意見を書いておいたが、こんなのは、保護者に意見を言わせない排除の論理が支配的な学校だ、ということを証明しているようなものである。つまらない学校になっていくものである。
話はガラリと変わるが、引き続きテレビを観ていたら、8年前の母子殺人事件の最高裁からの差戻し裁判の様子が報告されていた。当時の元少年は、死刑判決を撤廃しようとする弁護団たちの走狗になって、これまでの証言を180度覆している。死刑の是非を今日はとやかくは言わない。が、殺された側のご主人のインタビューには説得力があった。死刑廃止論者たちの弁護団の側にたった心理学者の説明と、この元少年自身の証言によれば、実の母親に甘えたい衝動に駆られてやったことであり、殺意はなかった、とこれまでの証言を前記したように覆した。しかし、この元少年は被害者の女性を死姦までしており、またその横で泣きじゃくる赤ん坊を床に叩きつけて殺害しているのである。この事実から見ても、殺意はなかったと言う方がおかしいのではないか? この弁護士団はどうかしている。そうまでして功名を勝ち取りたいのか? この殺人犯は、ある意味で裁判で死刑判決を逃れさせるには最も都合のよい対象だろう。弁護士という仕事も、どこまで誠実であり得るか、という課題を無視すれば、どこまでも矛盾を拡大させるばかりではなく、世の中の倫理観というものを変え得ることの出来る怖い職業なのだ、と思った。真面目に自分の信念に基づいてこつこつ裁判に取り組んでいる弁護士もたくさんいることだろうに、この弁護士団については、嫌な思いだけが心情的に残ってしまう。この弁護士団に対して脅迫状などが届いているそうだが、その行為は間違っているとは思いつつも、おまえらアホか ! くらいは言いたくはなる。まあ、僕に出来たことと言えばテレビの弁護士団のインタビューに対して、毒づいただけだったが。人間、生きていく中で、こんな馬鹿げたことに何度ぶつからねばならないのだろう?
○推薦図書「無間人形 新宿鮫4」 大沢在昌著。光文社文庫。大沢在昌の直木賞受賞作品です。この際ですから、いっそのこと、犯罪に溢れた街を痛快に駆けめぐり、事件に決着をつけていく鮫島刑事の活躍でも読んでごらんになってはどうでしょう。こちらの方は、犯罪は必ず読者に納得のいく形で、裁かれていきます。こんな本でも読まなければやってられません。そんな気分の今日でした。
話はガラリと変わるが、引き続きテレビを観ていたら、8年前の母子殺人事件の最高裁からの差戻し裁判の様子が報告されていた。当時の元少年は、死刑判決を撤廃しようとする弁護団たちの走狗になって、これまでの証言を180度覆している。死刑の是非を今日はとやかくは言わない。が、殺された側のご主人のインタビューには説得力があった。死刑廃止論者たちの弁護団の側にたった心理学者の説明と、この元少年自身の証言によれば、実の母親に甘えたい衝動に駆られてやったことであり、殺意はなかった、とこれまでの証言を前記したように覆した。しかし、この元少年は被害者の女性を死姦までしており、またその横で泣きじゃくる赤ん坊を床に叩きつけて殺害しているのである。この事実から見ても、殺意はなかったと言う方がおかしいのではないか? この弁護士団はどうかしている。そうまでして功名を勝ち取りたいのか? この殺人犯は、ある意味で裁判で死刑判決を逃れさせるには最も都合のよい対象だろう。弁護士という仕事も、どこまで誠実であり得るか、という課題を無視すれば、どこまでも矛盾を拡大させるばかりではなく、世の中の倫理観というものを変え得ることの出来る怖い職業なのだ、と思った。真面目に自分の信念に基づいてこつこつ裁判に取り組んでいる弁護士もたくさんいることだろうに、この弁護士団については、嫌な思いだけが心情的に残ってしまう。この弁護士団に対して脅迫状などが届いているそうだが、その行為は間違っているとは思いつつも、おまえらアホか ! くらいは言いたくはなる。まあ、僕に出来たことと言えばテレビの弁護士団のインタビューに対して、毒づいただけだったが。人間、生きていく中で、こんな馬鹿げたことに何度ぶつからねばならないのだろう?
○推薦図書「無間人形 新宿鮫4」 大沢在昌著。光文社文庫。大沢在昌の直木賞受賞作品です。この際ですから、いっそのこと、犯罪に溢れた街を痛快に駆けめぐり、事件に決着をつけていく鮫島刑事の活躍でも読んでごらんになってはどうでしょう。こちらの方は、犯罪は必ず読者に納得のいく形で、裁かれていきます。こんな本でも読まなければやってられません。そんな気分の今日でした。