日本相撲協会の理事会の運営方針などは、小学生の学級会や、その上部の児童会のそれと比較しても、レベルが低い。選挙の意味すら分かっていないわけで、今回の理事選出にあたる騒動で、貴乃花親方に投票した若手親方の一人が、理事会方針に造反したとのことで、村八分状態の末、とうとう廃業するなどと言いだした。いや、そのように言わざるを得なかったのか。
昨今相撲の番付など見ることがなかったが、久々にじっくりと目を通して驚いた。両横綱はモンゴル人だし、関取連中の中には、モンゴル人をはじめ、東ヨーロッパからの出稼ぎ力士の何と多いこと。いまや、彼ら、日本相撲協議会が言うところの、伝統とはいったい何をさすのだろうか?育ってきた環境も言語も日本人とはまるで違う人間が東西両横綱になる時代なのである。いくら彼らに伝統と称して、これまでの慣習を学ばせたところで、それは表層的には模倣することも出来るだろうが、外国人力士たちにとっては、やはり異国への出稼ぎ感覚、それも成功すれば、横綱にでもなれる可能性を秘めているのだから、一攫千金も狙えるビッグチャンスというように理解する方が正当なのではないか。日本相撲協会や、理事者たちは、すでに色褪せ、その実体さえ危うくなった空想的概念―品格とやらがお好きであるらしい。その意味においては、同じ横綱といえど、彼らには、おとなしい白鵬の方がお好みだろう。
貴乃花親方が、理事に当選したのは結構なことだが、相撲を支える裏方さんたちの待遇改善を目指すというのであれば、いま、廃業に追い込まれようとしている、自分を支えてくれた人間を見殺しにしては男がすたるのではなかろうか。まずは、職を賭して、廃業させないためのあらゆる努力を惜しまないことではないか?これが出来ないというなら、到底裏方さんたちの待遇改善など出来るはずがないではないか。
日本の大相撲を日本の国技と定めているのなら、今回の理事選出にともなって、あらかじめ票の割り振りなどしている体質がいかに民主主義の本質である選挙とそぐわないことであるのかを、国会の議論に上げて、日本相撲協会に対して適切な指導を入れるべきではないのか。一人の若き将来ある親方の廃業という結末を相撲協会に認めさせてはならない、と僕は思う。彼の行為を造反だと言うなら、造反有理という毛沢東の思想にまで立ちもどるべきなのである。日本相撲協会のあり方、大きくは相撲界のあり方が旧態依然とした体質であるなら、もはや国技という枠組みを取っ払えばよいのである。過去の力士たちの歴史を手繰ってみても、食えないという理由で待遇改善を求めて、何度も立て籠り事件を起している。その度にトカゲの尻尾切りのような犠牲者を出しては、相撲の歴史を繕ってきたわけだから、ここいらで、抜本的な改革をすればよいのではなかろうか。政府が諮問機関を創ればよい。これまでのような相撲協会寄りのアホな輩を排除して、新たな視点から相撲のあり方を論議出来る人選をして改革をするべきときなのだ。相撲を野球と同様に、スポーツ競技という規定にしてもよいではないか。日本相撲協会の理事者たちが相撲取りばかりで占められているのではなく、外部からの選出委員も含めた組織であるべきだろう。
競技としては、物の考え方、組織のあり方において、最右翼に位置する日本相撲協会の騒動に、毛沢東の指導理念である造反有理こそが、有効な解決の糸口を与える可能性が見えてきたのは、歴史の皮肉というべきか。
昨今相撲の番付など見ることがなかったが、久々にじっくりと目を通して驚いた。両横綱はモンゴル人だし、関取連中の中には、モンゴル人をはじめ、東ヨーロッパからの出稼ぎ力士の何と多いこと。いまや、彼ら、日本相撲協議会が言うところの、伝統とはいったい何をさすのだろうか?育ってきた環境も言語も日本人とはまるで違う人間が東西両横綱になる時代なのである。いくら彼らに伝統と称して、これまでの慣習を学ばせたところで、それは表層的には模倣することも出来るだろうが、外国人力士たちにとっては、やはり異国への出稼ぎ感覚、それも成功すれば、横綱にでもなれる可能性を秘めているのだから、一攫千金も狙えるビッグチャンスというように理解する方が正当なのではないか。日本相撲協会や、理事者たちは、すでに色褪せ、その実体さえ危うくなった空想的概念―品格とやらがお好きであるらしい。その意味においては、同じ横綱といえど、彼らには、おとなしい白鵬の方がお好みだろう。
貴乃花親方が、理事に当選したのは結構なことだが、相撲を支える裏方さんたちの待遇改善を目指すというのであれば、いま、廃業に追い込まれようとしている、自分を支えてくれた人間を見殺しにしては男がすたるのではなかろうか。まずは、職を賭して、廃業させないためのあらゆる努力を惜しまないことではないか?これが出来ないというなら、到底裏方さんたちの待遇改善など出来るはずがないではないか。
日本の大相撲を日本の国技と定めているのなら、今回の理事選出にともなって、あらかじめ票の割り振りなどしている体質がいかに民主主義の本質である選挙とそぐわないことであるのかを、国会の議論に上げて、日本相撲協会に対して適切な指導を入れるべきではないのか。一人の若き将来ある親方の廃業という結末を相撲協会に認めさせてはならない、と僕は思う。彼の行為を造反だと言うなら、造反有理という毛沢東の思想にまで立ちもどるべきなのである。日本相撲協会のあり方、大きくは相撲界のあり方が旧態依然とした体質であるなら、もはや国技という枠組みを取っ払えばよいのである。過去の力士たちの歴史を手繰ってみても、食えないという理由で待遇改善を求めて、何度も立て籠り事件を起している。その度にトカゲの尻尾切りのような犠牲者を出しては、相撲の歴史を繕ってきたわけだから、ここいらで、抜本的な改革をすればよいのではなかろうか。政府が諮問機関を創ればよい。これまでのような相撲協会寄りのアホな輩を排除して、新たな視点から相撲のあり方を論議出来る人選をして改革をするべきときなのだ。相撲を野球と同様に、スポーツ競技という規定にしてもよいではないか。日本相撲協会の理事者たちが相撲取りばかりで占められているのではなく、外部からの選出委員も含めた組織であるべきだろう。
競技としては、物の考え方、組織のあり方において、最右翼に位置する日本相撲協会の騒動に、毛沢東の指導理念である造反有理こそが、有効な解決の糸口を与える可能性が見えてきたのは、歴史の皮肉というべきか。