With the I Ching

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愛は無限への扉

2012-11-26 20:19:17 | 翻訳

2012年11月24日付けのUteさん自身による記事を訳しました。

文中に、All That Is(大いなる全て)と出てくるので、バシャールの動画とか本が好きな人は馴染みやすいかもしれませんね。

また、火とか炎とか灯台とかいうのは、お釈迦様が説いたという「自灯明、法灯明」の話に通じるように思います。

自灯明は、現代的にはライトワーカーということになるのかもしれませんが、実際には、全ての人の心の中に聖なる炎が宿っていると僕は思っています。


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http://radiantlyhappy.blogspot.jp/2012/11/love-is-door-to-infinity.html


SATURDAY, NOVEMBER 24, 2012

LOVE IS THE DOOR TO INFINITY
By Ute Posegga-Rudel


2012年11月24日(土曜日)

愛は無限への扉

By ユート ポゼッガ・ルーデル
 

2012年8月21日付の更新記事も読んでください。(※訳注:翻訳はここにあります)

Youtubeもご覧下さい(推奨)


親愛なる皆さんへ!

私達は様々なスピリチュアルな実践をすることができます。私達はボディ・マインド(身体と知性)を使って、感謝や許しや達観や思いやり等の質を高めることができます。私達はボディ・マインドの周囲に注意深くシールドを築いたり、体の内部や下部や上部のチャクラを意図的に開いたり、聖幾何学やマカバー(Merkabah)を構築することもできます。私達はただただ忙しくなって、マインドや私達のヴィジョンにストレスを掛けることもできます。あるいは、私達は神々や天使や高次元存在を崇拝できますし、惑星の生物の呼吸やエネルギーと共に生きることもできます。

しかし、私達が愛の性質を使っている時、それは私達が最終的に身を委ねる必要のある教師のように思えます。私達はマインドによっては愛を構築することはできませんが、心の中の火花を燃やすことはできます。それは全ての人の心の中で目覚めて炎になるのを待っています。

この炎は他の存在と分かち合ったり、結びつくことで急激に燃え上がります。他の存在とは人間である必要はなく、動物や木、花、存在しているものなら何でもよく、例えば石であってもいいのです。なぜなら、“あらゆるもの”が生きているからです。全ての創造物が生きており、存在しているもの全てが生きているからです・・・壁も建物も、元素も、景観も、山々も。それら全てが息づいている意識なのです。

この特別な愛の感情を全ての創造物と分かち合う時、それは二つに分離した水滴のようなもので、それらが互いに触れ合うと、たちまち一つになります。

この愛の性質は創造の内に含まれていて、それは時々爆発的に私達の心を満たします。というのも、私達の心はそれほどまでに大きな愛の感情をほとんど包含できないからです。

創造に内在する愛への反応としての愛は、もし私達が全存在、All That Is(存在する全て)に神性を感じることを真に認めるならば、いつも私達の心を膨らまします。全存在(All That Is)との親密な繋がりは、全てとの一体性を示しています。

しかし、私達が自らの心の愛の本源そのもの、全ての創造物が生じる意識、愛と至福であるものとの接触を求める時、愛は真に神聖なものになります。

どうやって私達は自らの心の愛を用いて、その本源の究極の美を見つけるのでしょうか?
初めに私達は自分自身を愛さなくてはなりません。それ以外に方法はありません。
私達は自らの心の中に口火となる点――私達こそが聖なる存在であることを知るスポットを先に見つける必要があります。私達はそれに関する喜びを、完全性を、美を認めて慈しまなくてはなりません。

それでも、これは自己完結的でありながら重要な状態です。とは言うものの、それは私達自身を超えているものとして包括的に捉える必要性を感じます。

そして私達はこの美しい炎を創造と共に分かち合い始めますが、上述したように、それは常に今なお創造それ自体の中に含まれています。

この愛を、聖なる輝きの本源意識と一緒に分かち合いたいならば、頼ま(求め)なくてはなりません。なぜなら、私達が本源と分かち合いたいもの全ては、私達自身を超えて、そして私達が「私」と知覚するもの(たとえ体を超越する「私」であっても)の境目を越えて、完全に私達を描き出すからです。

頼む(求める)ことは、ボディ・マインドが有限で常に変化の対象であるとの理解に身を委ねる意思表示です。そしてこれを認めている間、私達の心は“あの決して変わらない一つの現実”に、その身を明け渡し始めるのです。

私達が自らの心の愛と一緒に“あの一つの現実”に立ち返るとしたら、それは無限なる広大なハートへと私達の心を突如として開く恩寵です。そして、ただ輝きだけがあります。ボディ・マインドはなく、爆発しているように見える心もなく、ただ輝く存在だけがあります。それは、最も神聖で言葉にならないほど貴重な聖なる愛の宝として感じられ、本当に言葉や描写を超えたものです。・・・

この輝きの中では、もはや聖幾何学もなく、質を高めるための努力もなく、例えば達観や思いやり、更なる努力や他のどんな努力ですらないものです! 努力を要しないということは私達を包含するものであり、それは私達よりも偉大なものであり、私達を無限から隔てている薄皮を開いて、私達それぞれの小さな水滴が大海と一つになる、ということです。

それは大きなパラドックス(矛盾・逆説)です。それと言うのも、私達は大海との喜びに満ちたワンネス(一体性)を意識しつつ、同時にボディ・マインドであることもハッキリと識別しているからです!

でも、このワンネスは別の存在を創り出しているようにも見えます。つまり、私達のボディ・マインドがそれに付属物のように張り付いている間は、この至福を、この光を、この最高の聖なる愛を体験している者という別の存在に思えるのです。なぜなら、この聖なる愛は決してボディ・マインドの“中”には含まれないからです。それと共に新しい現実が始まり、それは球状のもので、私達人間の心の正面に現れています。

これは私達自身の真実の夜明けのイメージです。そこからボディ・マインド(私達が「私」とか「思考」とか呼ぶもの)が次元領域での分離の経験を得るべく放射されています。

したがって、この制限付のボディ・マインドは、決して十分には私達の神聖な根源存在そのものを表現することはできず、単に人間の心の中に住む根源存在からの極めて小さな反射を示しているに過ぎません。それはつまり、愛である無限の一部になるべく、愛を通じて各々の本源を最終的に認識しようと燃えているということなのです。

幸福でいてください!
たくさんの愛を込めて、
ユート


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- Translated by CI

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※雑記

冒頭の話の続き。

fire, flame, spark, igniteといった「火」にまるわる言葉が出てくることから、クリスタル・マイヤーズ(Krystal Meyers)の「Fire」という曲を思い出しました。音楽はロックですが、クリスチャンなので歌詞自体はそれっぽいのが多いです。ただ、ノリがよくてカッコいい曲がたくさんあるため、僕の好きな歌手の一人です。

Fire - Krystal Meyers


あと、水滴と大海とのワンネスという部分、以前の自分のツイートと重なるので、ここに掲載しておきます。(手前味噌で何なのでリンクだけ) 

http://bit.ly/RcPap1

 

 

 



2 コメント

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発菩提心 (ゆき@あむ禅)
2012-11-27 13:50:17
こんにちは☆

先日友人が菩提心は「能動的な愛の光である」みたいな話を生徒さんらにしていて、その光を灯すには、まず何でもいいから心から愛しいと思えるものや、相手の苦しみを理解し、心から助けて上げたいと無条件で思える存在をみつけ、それに対する愛を使って、自分の中で菩提心をスイッチオンしろ、みたいなことを言っていたのですが、ここでユートさんがおっしゃられている内容とかなりかぶっていたので、ちょっとビックリしました。我々が繋がってる一つの意識だと思えば当たり前なのかもしれませんが。。。

読もうと頑張れば原文でも読めるのですが、やっぱりC.I.さんのフィルターを通して訳してもらった方が、言語的な事以外に、いろんな面で判りやすいので感謝しています。

いつもありがとうございます☆

ありがとうございました。
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ボーディ・チッタ (C.I.)
2012-11-27 20:13:35
仏教系の学校に行ってたので、菩提心(ボーディ・チッタ (bodhi-citta) )の意味は知っていますが、それを現代生活の中で実践していくというのは、なかなか骨のあることですね!

悟り(ボーディ)・心(チッタ)、悟りの心、悟りを求める心、他者を悟りへと導こうとする心。

強さも弱さも、厳しさも優しさも包含して、自他の成長を願い、また慈しむために生きる・・・

僕は「愛の定義」というものを自分なりに追究していますが、この頃は、ひょっとしたら定義不能なのではないかとも思うことがあります。無条件のものに果たして定義付けできるのか・・・

All That Isこそが愛であるならば、どんなことでも(一見愛に思えないことでも)愛に変わる、変えられる、愛として受け止められるのかもしれない、と。

菩提心や魂の炎を見つけたり起こしたりすることは、言い換えれば、愛せるものに気がついていったり、その幅を広げていったりする作業なのかなー。太陽が、その放射熱や光線を太陽系や外宇宙へと広げていくように。

愛がユニティの印とは何度も語られていることですが、互いが互いの愛の中に包含されてゆけば(数学の集合の概念みたいに)、自然と調和の取れた世界が形作られていくんだろうなぁとか、そんなことを考えてます。

ゆきさんブログやコメントでの素直な表現に、いつも心身を洗われているような気持ちがします。

いつもありがとうございます。
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