With the I Ching

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お釈迦様の記事の後記と、今後について

2010-09-06 01:05:09 | 占い全般のコラム
後記など:

しばらく手付かずのまま放置状態が続いてしまって、すみません。
もしかしたら、以前に書いた通り、そろそろ休閑期に来ているのかもしれません。
本格的にそうなる前に、気になることはやっておきたいと思っていたら、なぜかいつの間にかお釈迦様についての再考察を始めていました。でも、振り返ってみると、お釈迦のことを考えている間、結局、ずっと自分のことについて考えていたようなものでした。

仏教の開祖ということで、あまり関心のない人が多かったもしれません。ただ僕個人は、宗教家や思想家としての伝説的偉人というよりも、一人の実在した人間として、その劇的な生涯を知り、どんなことに直面し、どんなことを考えていたのか、そしてどんな振る舞いをしたのか、ということに興味を抱いています。

例えば、一体どんな気持ちで、妻子や王子としての職責を捨ててまで出家を求めたのか、とか。ある意味、成道後の教え(仏教)そのものよりも、まだ菩薩として悟りの過程にある時の方に魅力を感じます。それは僕自身の弱さの投影か裏返しだったり、あるいは憧れでもあるのだと思います。

一人の男が精神の高みを獲得していく中で経験してゆく深い悲しみや裏切り、犠牲などの人間関係の厳しさ、孤独、不安、失敗、さらには社会的な抑圧・・・。きっと筆舌に尽くしがたいものがあったんだろうなと思い巡らしています。普通の人ならば動揺するような状況でも、そうはならなかった理由とか、仏典には記されていない様々な胸の内にこそ僕の関心があります。そして、それが分かることで釈迦、いえゴータマ・シッダッタという人の説いた教えに、より真実味が増すような気がするのです。

話を戻して、これからのこと。

冒頭に書いたように、どうやら個人的な過渡期が迫ってきたようです。
易の解説、今までのやり方だとダメかもしれない。できたら続けたいですが、別の書き方なり方法なりを見つける必要がありそう。あと、現時点での”純”に関するサビアンと易との対応関係は逆かもしれない。ただ、これは易とサビアンの視点の違いが出ている可能性もあるので、その辺のところの考察も進めないと。あと、四純卦についても改めて考えたりしています。まあ、これらに関しては、以前から「作っては考え直し」を繰り返してきたので、今更へこたれることはないです。

問題は、自分自身の悪い癖が文章に出ていること。もっと簡潔に要点を述べるようにしたほうが良いだろうし。なんせ回りくどい。自分で読んでても冗長に感じる。文章を絞ることに慣れないと。

そして特に重要なのは、意識を鮮明に保って集中力を途切れさせないようにすること。この頃、なんだか堕落してしまっているので、自分をリトレーニングし直さないとダメだーと実感しています。


2 コメント

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こんにちは。 (kotokoto)
2010-09-07 06:09:26
CIさん、お久しぶりです。
>以前に書いた通り、そろそろ休閑期に来ているのかもしれません。
私がこちらを訪ねるようになった期間は短かったですが、内面的に自問自答するきっかけをくださったこと、いろいろと感謝しています。
CIさんが書かれて研鑽されている事柄についていつもすごいなぁと思ってます。

私もCIさんと同じ、休閑期(同じ言葉を使うのが失礼かもしれないですが;;)
頭の中が情報過多になっているような気がして、テレビなどから離れて静かに本を読む、ただ横になる、そういう時間が増えました。

心豊かにするための時間を静かな時間の中で造っていきたいと思っています。
またいつかこういうやり取りでお会いする機会ができる日がきたら、そのときはどうぞよろしくお願いします。
今年は本当に暑いですね。ご自愛ください。
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こんにちは^-^ (CI)
2010-09-07 20:37:34
>私がこちらを訪ねるようになった期間は短かったですが、内面的に自問自答するきっかけをくださったこと、いろいろと感謝しています。

僕もkotokotoさんのコメントには毎回励まされました。体調のことを気にかけてくださったり、四柱推命のことを含め、色んなことを一緒に考えることができて楽しかったです。ありがとうございました。

お互いにリフレッシュして、新たな気持ちでやり取りできる日が来ることを楽しみにしています
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