私の音楽 & オーディオ遍歴

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名盤ドキュメント「風街ろまん」

2017年08月18日 | ポピュラー
名盤ドキュメント③はっぴいえんど『風街ろまん』(1971)~“日本語ロックの金字塔”はどう生まれたのか?~
(2014年12月30日:NHK)



<内容>
 「はっぴいえんど」が1971年に発表したアルバム『風街ろまん』の特別番組『名盤ドキュメント③はっぴいえんど「風街ろまん」(1971)~“日本語ロックの金字塔”はどう生まれたのか?~』が、12月30日(火)にNHK BSプレミアムにて放送されることが決定した。
 番組では、細野晴臣、松本隆、鈴木茂が一堂に会し、『風街ろまん』制作の舞台裏について語る。はっぴいえんど解散から40年あまり、メンバーたちがテレビ番組で当時のことを語り合うのは今回が初となる。
 また、レコード会社の倉庫から発掘された8チャンネルのマスターテープをデジタル化して、メンバーの目の前で再生。さらに、さまざまなアーティストにカバーされている“風をあつめて”の誕生秘話も語られる。




 はっぴいえんどの風街ろまんは、当時の日本の音楽シーンの否定から始まりました。
 ビートルズ来日後に、雨後の筍のようにグループサウンズが発生しましたが「歌謡曲の延長」とバッサリ切り捨て、フォークソングは「メロディーは美しいけどリズムがつまらない」と切り捨てました。

 彼らはアメリカの音楽シーンを研究しました。
 バッファロー・スプリングフィールド(スティーブン・スティルス、ニール・ヤングが在籍)やジェームズ・テイラーを研究し尽くし、自分たちの血と肉にし、自分達しかできない新しい音楽の創作を目指しました。
 一つの大きな実験は「日本語でロックを歌うこと」。
 それまでのロックは英語で歌うことが不文律でした。
 「風街ろまん」はそれを成し遂げた最初の日本のアルバムになりました。

 しかし、当時の音楽界はそれを認めませんでした。
 その急先鋒は内田裕也(樹木希林の旦那さん)。
 「風街ろまん」のどの曲を聴いても、何を言っているのかよくわからんじゃないか、世界進出するためには英語が必須条件である、と。

 「風街ろまん」は売れませんでした。
 はっぴいえんども細野と大瀧が不仲になり解散しました。
 しかし、才能ある各メンバーはソロになって活躍し、カリスマになっていきます。
 松本隆は作詞家として成功。
 細野晴臣は坂本龍一らとYMOを結成。
 大瀧詠一は「Long Vacation」(私の愛聴盤!)でブレイク。
 そのときになって初めて、彼らのルーツである「風街ろまん」が注目されるようになりました。

 番組を見て、メンバーの各曲への思い込みがとても強いことを知りました。
 「風をあつめて」は、まだ東京に空き地があり、子どもたちがそこで遊べた頃の風景を凝縮した歌詞だったのです。
 ドラえもんに出てくる風景ですね。
 当時は東京に都電が走っていたそうです。

 東京オリンピックを機に、開発の波が押し寄せて空き地はあっという間になくなりました。

<参考>
『MASTER TAPE ~荒井由実「ひこうき雲」の秘密を探る~』(当ブログ)

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