『名盤ドキュメント③はっぴいえんど『風街ろまん』(1971)~“日本語ロックの金字塔”はどう生まれたのか?~』
(2014年12月30日:NHK)
<内容>
「はっぴいえんど」が1971年に発表したアルバム『風街ろまん』の特別番組『名盤ドキュメント③はっぴいえんど「風街ろまん」(1971)~“日本語ロックの金字塔”はどう生まれたのか?~』が、12月30日(火)にNHK BSプレミアムにて放送されることが決定した。
番組では、細野晴臣、松本隆、鈴木茂が一堂に会し、『風街ろまん』制作の舞台裏について語る。はっぴいえんど解散から40年あまり、メンバーたちがテレビ番組で当時のことを語り合うのは今回が初となる。
また、レコード会社の倉庫から発掘された8チャンネルのマスターテープをデジタル化して、メンバーの目の前で再生。さらに、さまざまなアーティストにカバーされている“風をあつめて”の誕生秘話も語られる。
はっぴいえんどの風街ろまんは、当時の日本の音楽シーンの否定から始まりました。
ビートルズ来日後に、雨後の筍のようにグループサウンズが発生しましたが「歌謡曲の延長」とバッサリ切り捨て、フォークソングは「メロディーは美しいけどリズムがつまらない」と切り捨てました。
彼らはアメリカの音楽シーンを研究しました。
バッファロー・スプリングフィールド(スティーブン・スティルス、ニール・ヤングが在籍)やジェームズ・テイラーを研究し尽くし、自分たちの血と肉にし、自分達しかできない新しい音楽の創作を目指しました。
一つの大きな実験は「日本語でロックを歌うこと」。
それまでのロックは英語で歌うことが不文律でした。
「風街ろまん」はそれを成し遂げた最初の日本のアルバムになりました。
しかし、当時の音楽界はそれを認めませんでした。
その急先鋒は内田裕也(樹木希林の旦那さん)。
「風街ろまん」のどの曲を聴いても、何を言っているのかよくわからんじゃないか、世界進出するためには英語が必須条件である、と。
「風街ろまん」は売れませんでした。
はっぴいえんども細野と大瀧が不仲になり解散しました。
しかし、才能ある各メンバーはソロになって活躍し、カリスマになっていきます。
松本隆は作詞家として成功。
細野晴臣は坂本龍一らとYMOを結成。
大瀧詠一は「Long Vacation」(私の愛聴盤!)でブレイク。
そのときになって初めて、彼らのルーツである「風街ろまん」が注目されるようになりました。
番組を見て、メンバーの各曲への思い込みがとても強いことを知りました。
「風をあつめて」は、まだ東京に空き地があり、子どもたちがそこで遊べた頃の風景を凝縮した歌詞だったのです。
ドラえもんに出てくる風景ですね。
当時は東京に都電が走っていたそうです。
東京オリンピックを機に、開発の波が押し寄せて空き地はあっという間になくなりました。
<参考>
□『MASTER TAPE ~荒井由実「ひこうき雲」の秘密を探る~』(当ブログ)
(2014年12月30日:NHK)
<内容>
「はっぴいえんど」が1971年に発表したアルバム『風街ろまん』の特別番組『名盤ドキュメント③はっぴいえんど「風街ろまん」(1971)~“日本語ロックの金字塔”はどう生まれたのか?~』が、12月30日(火)にNHK BSプレミアムにて放送されることが決定した。
番組では、細野晴臣、松本隆、鈴木茂が一堂に会し、『風街ろまん』制作の舞台裏について語る。はっぴいえんど解散から40年あまり、メンバーたちがテレビ番組で当時のことを語り合うのは今回が初となる。
また、レコード会社の倉庫から発掘された8チャンネルのマスターテープをデジタル化して、メンバーの目の前で再生。さらに、さまざまなアーティストにカバーされている“風をあつめて”の誕生秘話も語られる。
はっぴいえんどの風街ろまんは、当時の日本の音楽シーンの否定から始まりました。
ビートルズ来日後に、雨後の筍のようにグループサウンズが発生しましたが「歌謡曲の延長」とバッサリ切り捨て、フォークソングは「メロディーは美しいけどリズムがつまらない」と切り捨てました。
彼らはアメリカの音楽シーンを研究しました。
バッファロー・スプリングフィールド(スティーブン・スティルス、ニール・ヤングが在籍)やジェームズ・テイラーを研究し尽くし、自分たちの血と肉にし、自分達しかできない新しい音楽の創作を目指しました。
一つの大きな実験は「日本語でロックを歌うこと」。
それまでのロックは英語で歌うことが不文律でした。
「風街ろまん」はそれを成し遂げた最初の日本のアルバムになりました。
しかし、当時の音楽界はそれを認めませんでした。
その急先鋒は内田裕也(樹木希林の旦那さん)。
「風街ろまん」のどの曲を聴いても、何を言っているのかよくわからんじゃないか、世界進出するためには英語が必須条件である、と。
「風街ろまん」は売れませんでした。
はっぴいえんども細野と大瀧が不仲になり解散しました。
しかし、才能ある各メンバーはソロになって活躍し、カリスマになっていきます。
松本隆は作詞家として成功。
細野晴臣は坂本龍一らとYMOを結成。
大瀧詠一は「Long Vacation」(私の愛聴盤!)でブレイク。
そのときになって初めて、彼らのルーツである「風街ろまん」が注目されるようになりました。
番組を見て、メンバーの各曲への思い込みがとても強いことを知りました。
「風をあつめて」は、まだ東京に空き地があり、子どもたちがそこで遊べた頃の風景を凝縮した歌詞だったのです。
ドラえもんに出てくる風景ですね。
当時は東京に都電が走っていたそうです。
東京オリンピックを機に、開発の波が押し寄せて空き地はあっという間になくなりました。
<参考>
□『MASTER TAPE ~荒井由実「ひこうき雲」の秘密を探る~』(当ブログ)