今日はお天気が良いので近くの多門院に出かけました。この多門院は江戸時代元禄7年(1694)時の川越城主柳沢吉保は武蔵野開拓を始め、新しい村名は吉保が中国の孔子の教えに基ずき豊な村になるよう「富」と名付けられ、村民の祈願所として創建されました。多門院境内にある毘沙門堂は元禄9年(1669)の創建で現在の堂は明和3年(1766)に再建されたもの。堂の構造は三間三面の寄棟造り向拝つきで周囲に浜縁をめぐらしています。
本尊は高さ4センチの純金の毘沙門天で武田信玄の守り本尊であり兜の中にこの毘沙門天を納め戦陣に臨みあの川中島の合戦にも上杉謙信の刀も見事に避けられたとのこと、信玄の没後柳沢吉保の手にわたり、この毘沙門天を守り本尊にしたと言われています。その境内には見事な牡丹の花が咲き、来園者の目を楽しませております。蜂も美味しそうに花の蜜を吸っていました。
本尊は高さ4センチの純金の毘沙門天で武田信玄の守り本尊であり兜の中にこの毘沙門天を納め戦陣に臨みあの川中島の合戦にも上杉謙信の刀も見事に避けられたとのこと、信玄の没後柳沢吉保の手にわたり、この毘沙門天を守り本尊にしたと言われています。その境内には見事な牡丹の花が咲き、来園者の目を楽しませております。蜂も美味しそうに花の蜜を吸っていました。