宝満山研究会(山岳宗教遺跡の保全と研究)

大宰府の北東に聳える宝満山の歴史的価値を掘り起こし、山の保全を考える会です。

宝満山と白山4

2007-09-16 | Weblog
守護國界の神


白山と宝満(竈門)の神。
「水配り(みくまり)」の神としての存在だけで
地縁の薄い厳島の明神が応位に変化して現じた
とまで説明して関係性を説くものであろうか?

ここにはもう一つ、異界との結節点を守護した
神としての性格が重要であったのではないか?


『厳島大明神日記』は次のように述べる。
「百王ヲ守護シ 教法ヲ渡サムハカリ事」
のために王城に近い安芸に来たのだと・・・。


現実世界においては大宰府には唐・新羅使のための鴻臚館が、
能登、加賀には渤海使のための客院が置かれた。
両地域は大陸からの新来の文化や情報の窓口であり
現実的な国の境としての認識があったと思われる。

宝満も白山も航海(寄港地認定)の上での
座標の役目をした山でもあったと考えられ、
平安時代にあっては、そこにおわす神仏には
外交交渉・文化交流の振興と
交通の無事、異敵からの守護といった
境界であるがゆえの験力が求められたことであろう。
国界を守護する東西の神、
それが宝満と白山の共通する一つの姿だったのでは・・・


白山から日本海を望む

牛に曳かれて・・・ではないが
宝満を母とする自分たちが
白山に導かれるようにして登拝したことは
なにかしらの縁に惹かれてのことであったのでは、

そう今も感じさせられるのである。

(了)

参考文献

小田富士雄1969「筑前竈門山旧記校本」『神道史研究』17-5,6
森弘子2004「宝満山玉依姫考」『日本宗教文化史研究第8巻第1号』
森弘子2004「宝満大菩薩の誕生」山の考古学会研究会資料
高瀬重雄編1977『白山・立山と北陸修験道』名著出版
石川県立歴史博物館2007『白山 聖地へのまなざし』

宝満山と白山3

2007-09-16 | Weblog
白山妙理権現と玉依姫命


(だんだん素人が首を突っ込むと危ない領域で
神道体系でも引っ張り出さないとまずい
とは知りつつ・・・)

『厳島大明神日記』の成立背景については
不勉強で明確ではないが少なくとも鎌倉期の成立とされる。
少なくとも岩清水八幡宮や比叡山延暦寺の
地方進出が完了した時期以降のことであることは間違いない。

厳島大明神は『日記』によれば「尺加羅龍ノ次ノ娘
八歳ノ龍女ニハ妹神宮皇后淀姫ニハ姉也」とされている。
一方、竈門宮の玉依姫命は『八幡宮宇佐宮御託宣集』(鎌倉後期)
などによれば「娑竭羅龍王」娘五人中の次女(長女は八歳龍女)に
位置づけられている。)

この背景には龍王を象徴とする水の祭祀を
強く意識した関係性を読み取るべきであろう。

泰澄上人の夢想に登場した「白山妙理大菩薩」は、
白山山頂下の池で「九頭竜」となる説話が『泰澄和尚伝』
(正中二(1325)年以前成立)に見られ、
ここでも龍を媒介とした水の神の姿が垣間見える。

厳島の祭神は宗像三女神(市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命)
であり神道では海上交通を司る位置づけであり、
祭神のうちの市杵島姫命は天台宗にあっては
本地が「弁財天」に比され
各所の天台系、八幡宮系寺社内では水源地に
頻繁に勧請されている神である。

白山から発した水流は富山県の庄川、
岐阜県の長良川、福井県の九頭竜川、
そして石川県の手取川となり中部北陸の
両平野を潤す源となっている。

宝満も宝満川は南流して筑後平野を下り有明海に
御笠川は北流して福岡平野を経て玄界灘に注ぐ。

「水配り(みくまり)」の神としての存在
これが白山と宝満(竈門)の神に共通して仮託された
信仰の実態の一つの柱ではなかったか?


石川県白山市手取渓谷


(つづく)