「爾時仏復告薬王菩薩摩可薩・・・
薬王当知如来滅後 在在処処、若説若読誦若書、
若経巻所住処、皆応起七宝塔極令高広厳飾。」
『妙法蓮華経』法師品第十
その時釈尊は薬王菩薩に告げて
「如来の滅後において、在々所々において、
「法華経」を説き、読み、誦し、書き、
そして「法華経」のあるところには、
みな七宝の塔を建設してそれを高く大きく
厳に飾らしめよ」
このように最澄が最高原理とした
『法華経(妙法蓮華経)』の経巻中の
造塔に関する箇所をひも解く時、
最澄が企画した「六所宝塔」は
法華経世界を古代日本において
現実のものにするという
彼自身の強い使命感に基づいて
企画されたものであったことが知られます。
また、後継者たちがこれを実践したのも、
ただ師の意思を継ぐということに留まらず、
自らが法華経世界に生きる修行者として
釈迦の言葉を現実のものするという
宗教者としての敬虔な実践的行為に
位置づけられるものであった、
といえるようです。
薬王当知如来滅後 在在処処、若説若読誦若書、
若経巻所住処、皆応起七宝塔極令高広厳飾。」
『妙法蓮華経』法師品第十
その時釈尊は薬王菩薩に告げて
「如来の滅後において、在々所々において、
「法華経」を説き、読み、誦し、書き、
そして「法華経」のあるところには、
みな七宝の塔を建設してそれを高く大きく
厳に飾らしめよ」
このように最澄が最高原理とした
『法華経(妙法蓮華経)』の経巻中の
造塔に関する箇所をひも解く時、
最澄が企画した「六所宝塔」は
法華経世界を古代日本において
現実のものにするという
彼自身の強い使命感に基づいて
企画されたものであったことが知られます。
また、後継者たちがこれを実践したのも、
ただ師の意思を継ぐということに留まらず、
自らが法華経世界に生きる修行者として
釈迦の言葉を現実のものするという
宗教者としての敬虔な実践的行為に
位置づけられるものであった、
といえるようです。