本日午後、第18回の宝満山研究会例会が
太宰府天満宮崇敬者会館2階の宝満の間で
おこなわれました。
参加者は46名という大盛況ぶりで、
席が足らずに急遽椅子をだしたり、
レジュメをコンビニまでコピーに走ったりと
まったくうれしい悲鳴の会となりました。
今日の講師は九州歴史資料館主任技師の岡寺良さんで、
「宝満山二十五坊と宝満山城-山岳遺跡の平面構造調査-」
というテーマでパワーポイントを使われながらご発表いただきました。
なにしろ宝満の近世の坊跡については
考察の基礎となる平面図が作られたことがなく
本研究会でも平板実測の話も上がっていたところです。
今回はじめて山城の縄張り実測の方法を用いて
岡寺氏が昨年単身で宝満山中の通称「東院谷」(筑紫野市側)
と「西院谷」(太宰府市側)双方の図を作成され、
その図から近世地誌『筑前国続風土記附録』(元禄期頃)や
絵画資料『宝満山絵図』(江戸初期、県指定)、井本家文書
『竈門山水帳』などを足がかりに坊の推定地を探る
基礎的な作業を披露されました。
また、坊跡に批定される段造成の平坦面の相互の関係が、
座主である平石坊を除いて決定的な優劣を示していない様子から、
山内での坊どうしの並列的な関係を想定されるなど、
宝満二十五坊全体のあり方にも論究されました。
宝満山城についてはその中枢の所在地を山頂を含む
山頂を含む東斜面側の東院谷に求められ、
山頂の北東三郡山側の頭巾山の頭巾山城跡、
南西側の愛嶽山の枡形城跡、内山の有智山山城跡が
16世紀後半には相互に有機的に機能して
宝満山頂への登山ルートと遮断する目的で存在
していたと論じられました。
微視的になりがちな九州の山城研究に一石を投じる
貴重なご発表でした。今回のご発表の内容は
九州歴史資料館『研究論集』33号(頒布価格1,500円)
「宝満山近世僧坊の調査と検討-山岳寺院の平面構造調査-」
に詳細が掲載されておりますのでご参照ください。
会友末永さんの制作された会の活動記録の画像については
機械不良のため次々回の上映となりました。