AYUKO Soul Quest. "スピってるがフィジってる"

元気になってくれ。
自分にときめいてくれ。
そして愛を見つけてくれ。

Back on the road

2024年05月02日 | 生きていると
前回、前々回と、
かつてのパニック障害の経験や、
そこから私は何を学んだのか、
今私は何を学んでいるのか、
そんなことを書きました。


幸い今回は危うい方に行くことはなく、
更に長い月日の色々なことに
やっと終止符を打つことになりました。


昨日、最後の一発をくらうような出来事があり、
私は躊躇なく友達に頼ることにしました。
今回は「もう私一人では無理だ」と思ったのです。
わがままを聞いてもらおうと。

私をこよなく大切にしてくれる二人の友人です。
私を「知っている」数少ない友人たちです。


その一人にLINEで事情を話したら、
すぐに「今夜の予定全部キャンセルしたから」と。
(ご自分の会社を持つ経営者で、それはそれはお忙しい方なのです。)


普段は、その日に急に外出するということはないのですが、
昨日ばかりはその友人に会わなきゃいけないと思ったのです。
どうしても。どうしても、助けてもらわなければならないと。


もう一人の友人には、
あることをお願いしました。
それも、最後のお願いを託しました。


側から見たら、
一人でテンパってる女が
女友達を巻き込んで大騒ぎしている、

そんな風にも思えたけど、
私にとってはとても大事なことだったのです。
彼らの力を借りて、正確に安全に終止符を打ち、
新しいスタート地点に踏み出す必要があったのです。


カフェに彼女がやってきて、
そこからどんな話をしたかは
ここには細々書きませんが、
思いもよらなかった視点、
私が盲目になっていたこと、
気づかなければいけないこと、


「ああ、やっぱり、私は今日、
この人の話を聞かねければいけなかったのだ」


と、深く深く納得したのでした。


先ほど、もう一人の友人にお願いしていたことの返信も、
ものすごいタイミングでやってきて、
カフェでの話と、それが見事に混ざり合って、
私の中でモヤモヤしていたものが、
どんどんとクリアになったのでした。


最後の一発を喰らって、
友人たちに最後の大きな一押しをしてもらい、
私はやっと目が覚めたのでした。
ダダ漏れだった自分のパワーをかき集め、
元に戻す必要があったのでした。


私は大切なものを失ったのです。
悲しみと、情けなさと、恥ずかしさと、
色々な感情が湧き上がりました。
自分の未熟さも痛感しました。
認識の違い、甘さも反省しました。
「自分の弱さ故の、自分を安売りした結果」だったと。
それは自分自身を深く傷つける行為だったのだと。
関わった人たちとの誤解、認識の違いに気づいていれば、
最初にちゃんと話していれば、
そもそも「何も起こらなかった」かもしれない。
「これまでの自分のやり方」について疑問を持つことをせず、
一番最初の大事なコミュニケーションをスキップしてしまったことが、
後々の「ズレ」の原因になったのだろうと思います。


私の思い込みで、夢見る夢子ちゃんで突っ走って、
でもそれは「私だけの認識」であることに気づかず、
最終的にはバッサリと無言で切られてしまった。
これまでのことは一体なんだったのだろう、と思うほど、
あっけないものでした。


そのあっけなさがあまりにもあっけなく、
夢見る夢子の私は信じられなかったのです。
「そんなはずはない」と。何ヶ月も。


でも昨日、友人たちの厳しい言葉で
私が気付けなかったことに気づかせてもらえた。
私が反省しなければならないこと、
私が変わらなければならないこと、
私が思い出さなければいけないこと。
私一人では到底無理だったと思います。


「夢見る夢子ちゃん」と表現しましたが、
「夢見る」だけではダメなのです。
その夢(自分が求めるもの)に遠慮してはいけないのです。
そこに「私が求めるものはこれだ」というブレない軸を持ち、
それに対して妥協せずに、ちゃんと「叶える」ことが大事なのです。
夢見る夢子ちゃんの夢が満たされていないのなら、
環境なり、人選が間違っているのです。
それには見極めることやコミュニケーションが大事だと思うのです。
そうじゃないと皆んなに迷惑をかけることになる。


夢子ちゃんが「頑張らなければならない。無理をしないといけない。」
という経験をしているのなら、それは間違っている。
夢見る夢子ちゃんの願望というのは、
夢子ちゃんが自然体で叶えられないと夢子ちゃんじゃないのです。


そんなことも、
昨夜、友人からお説教されました。
深い愛のムチであります。


二人の友人のパワフルなサポートで、
一気に階段を登った私でしたが、
やはりもう少し時間が必要なようです。


今日になれば、
やっぱりとても悲しいのです。
そりゃそうだ、大切なものを失ったのだから。
でも終わりは終わりです。
自分の心の中でもちゃんと終わらせるには、
気が済むまで悲しんだり、泣いたりする必要がある。
それもまた、夢子ちゃんを大切にすることだと思うのです。


これまでは、「何も気づかないまま」、
ただ茫然と迷路の中を泣きながら出口を探していました。
「間違った希望」を持ったまま、「間違った涙」を流していました。


でも、昨日、「本当の出口」まで連れて行ってもらった。


Place of no return...


それが今までずっと怖かったのでしょうね。
でも、もう受け入れないといけない時が来た。


つまり、私は新たなスタート地点に立たなければいけない時が来たのです。


人間の姿で二人の天使が
両側から私と手を繋いで
「さあ、次に行くよ!」ってね。


十分に悲しい、悲しい、え〜ん、え〜んをやって、
これまでの自分を許して・・・


いつしか全部に「ありがとう」と心から言えるような、
そんな日がきっと来ますように。


前回のブログで書いた
「未来のことは未来に託す」を今こそやる時ね。



まずは緩やかに力を取り戻していければいいと思っています。



最後は悲しい、悲しいばかりなっちゃったけど、
嬉しい、嬉しい、幸せ、幸せもたっくさんあったことも忘れずに。
だから余計に悲しいのね。。。


でもね、夢見る夢子ちゃんはやめないよ。
次は間違わなければいい。
夢子ちゃんは成長するのです。


二人の天使に感謝を込めて




「こっち、こっち!」と連れてかれた。





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今、私は何を学んでいるのだろう(つづき)

2024年05月01日 | 生きていると
昨日のブログ「今、私は何を学んでいるのだろう」を打ち終わってアップした後に、
もう一つ気づいたことがあり、
頭の整理のためにも書くことにしました。


昨日の時点では
「このまま危うくなるのか、
復活するのか、
という岐路にいる感じ」
と書きましたが、

結果、このまま持ち直すことができそうです。


30年前のように、
いきなりバーン!!!と振り子が振ってしまうと、
もうどうにもならない状態で、
粛々と治療するしかないのですが、


今回の場合は
「私しだいである」ということ。

変わらず同じ思考の迷路に入ったまま、
ぐるぐるとやっていれば、危うい方に行くでしょうが、
今の時点であれば、まだ「迷路を出る選択ができる」。


私は迷路を出る方の選択をすることにしました。


それが長い間できなかったのです。
常にその選択がありながらも。
でも結果、昨日のようなことが起きる。
ということは、これまでのは「間違った選択」だったということです。


昨日、とうとう「あ、ヤバいかも」となって、
私はようやく「知ってて選択していた間違った選択」を
放棄すると決めました。


怖くてどうにも手放すことができなかったこと、
それは簡単に言えば「未来」です。

未来を手放すって言ってしまうと、
まるで夢や希望を捨てて絶望的になる、ような響きがありますが、
そういうことではないのです。


それは「未来のことは未来に託す」ということです。
「自分がコントロールできないことを諦める(手放す)」ということです。


そこから今日のお話、昨日のブログの続きとなります。


再び30年前のパニック障害を患っていた時のお話。

因みにパニック障害とは、パニックになって理性を失う、ということではなく、
逆に理性があるからこそ、理性では理解できないことに対して、
理性がパニックする、私にはそんな風に思います。
少なくとも私の場合はそうだった。
(医学的にどうなってるのかはさておき)


まあ、どっちにしても「おかしい」、笑。


まだ患って間もない初期の頃、
共通していたのは
「何か一つの存在に気づきフォーカス」してしまうと、
それに対して凄まじい恐怖を覚え、パニック発作になる。

ここからは、マジ、ホントに「頭おかしい」話ですが、
お付き合いください。


例えば、

ある日は急に「町に生えてる低木などの緑の植物」。
ある日は「男性」。(←特定はない)

その対象となったものがなぜそれなのかは分からないのですが、
とにかく「それらの存在に気づいてしまったら」最後、
それらへの恐怖が、その日、続くのです。

そのパターンが分かってくると、
「ああ、次に私は何の存在に気づいてしまうのだろう」と
またそこでビビる。

とにかく普通(健康な)の人だったら、
気にも止めないし、スルーしながら生きていることに対して、
(じゃないと、生きていけない)
いちいち気づいてしまうのです。


ある日は、自分が道を歩いていた時に、
「あ、一歩前の私はもう存在しないのだ。
一歩前の自分にはもうもどれないのだ。」
ということに「気づいてしまい」、
これまた大パニックよ。
(今は笑えるけど)

更にある日は、
日が暮れて、夜がやってきた時に、
「あ、日が暮れて勝手に夜がやってきた。
これは私にはどうすることもできないんだ。」
ということに「気づいてしまい」、
大パニック、アゲイン。


そんなような「どうでもいい、どうにもならない気づき」に
日々、翻弄されていたのですが、
回復していく中で最後の最後まで残っていた、
「本当は気づかない方がいいこと」というのは、


「私が在る」


ということです。
これは自分の存在意義とか、生きる意義とかではなく、
根本の根本、「存在する」というその感覚、
その不思議・・・を通り越して、
決して「頭で理解することなどできない」脅威として、
残っていました。


最後のやつは、
何を調べても無理です。
わかりません。

それこそ、
スピリチュアル、形而上学の話で、
その世界であっても、
言葉で説明できないことなのです。


「決して、『脳で理解できる』ことではない。」


ここまで、当時の「イっちゃってる」例をお話ししましたが、
全てに共通することがあるのです。

また、今回、危うくなってしまった理由にも。


植物の存在にしろ、男性という存在にしろ、
一歩前を歩いていた自分に戻れないことにしろ、
日が暮れて夜になることも、
自分が「在る」ことも、

全て、


「私にはどうすることもできないこと」

なのです。

「頭では理解できないこと」なのです。

脳の構造がどうなっているか分かりませんが、
脳というのは、理性で理解できないことについては、
そこを司る場所がないわけで、
それを上手に排除して、不安にならないようにしているのでは、
と何となく思うのです。
じゃないと、パンク(パニック)しちゃうから。

だから「気づかないように」なっているのかな、って。

「これ以上先はダメだよ」っていう、
なんか防壁のようなものがあって、
(それが脳における、バランスを取る化学物質なのかな)


当時の私は、その防壁が崩れ、
行っちゃダメなところに行ってしまった、
そんな風に思うのです。

なぜ行っちゃダメなのかというと、
それは脳が司る場所ではないから。
無理だから。
(少なくとも今の2重構造のDNAでは。
本来は12本あると言われてる。)



人間の健やかな生き方として言うなら、
やはり先に述べたことからの


「自分にコントロールできないこと、
自分にはどうすることもできないことを、
手放す」


ということだと思うのです。


その代わり、
「自分にできること、変えることができること、
それらに着手すること」

なのではないかと思います。


ここで思い出すのは
「Serenity Prayer」という有名なお祈りです。
キリスト教からのものだと思いますが、
なるほどと思うのです。


God grant me the serenity
to accept the things I cannot change,
courage to change the things I can,
and wisdom to know the difference.

神様、私に静穏を与えてください
自分には変えることができないことを受け入れること
自分が変えられることを変える勇気
そして、それらの違いを知る叡智を


これは、
人間として生きる上での大切な学びであろうと思います。

自分には変えられないこと・・

それは宇宙の在り方から、
日常のこと、あらゆる出来事、人の気持ちまで。
それから未来を知ることも。



30年前の経験では
私は「人に頼ること、助けを受け入れること、
弱い自分をそのまま愛してもらうこと」、
そのようなことを学んだと、昨日のブログで書きました。


何もかも、自分で自分で、と張り詰めて生きてきた。
つまり、何もかも、自分でコントロールしないといけない、と生きてきた。
私は「委ねる」ということを知らなかった。
周りにいた私を愛してくれた人たちの介入を許さなかった。
つまりは宇宙の介入さえも許さなかった。


私は信じることができなかったのです。



今回は前回のように「植物が!男性が!日が暮れる!」
とかっていうのはありませんが(ヤバすぎるだろ)、


やはり、
自分には変えられない物や事や人を、
「その時のそのままで」受け入れることができずにいたこと、
自分に変えられることを変える勇気がなかったこと、
それらの「違い」をちゃんと分かっていても、
受け入れられなかったこと、だったのだと思います。


そして、決して人間の脳では「理解できないこと」、
でも、心の奥の何か、理解はできないけれど、
「感じること」、
その微かな感覚を大切にすること。


人間という肉体という制限を持った存在として、
謙虚に、でも怯むことなく、
理解を超えた何かに、頭ではなく「心を」開くこと。


今知ることができない未来を
頭で制限するのではなく、
広い広い無限の可能性のあるフィールドとして、
ただそこに在らしめること。


願いごとは一度願って
心の片隅に大切に保管したら、
あとは委ねる。


自分は怖い世界ではなく、
優しい世界に住んでいると決めたなら、
それらが提供してくれる優しさや喜びを、
どこからでも受け取れるように
扉を全開にしておくこと。


そして、


なんだか分からないが、
「信じて」みること。
試しに。




今日は、こんな感じです。



お花も私も「在って」良い。怖がることはないさ(笑)。





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