AYUKO Soul Quest. "スピってるがフィジってる"

元気になってくれ。
自分にときめいてくれ。
そして愛を見つけてくれ。

「Personalな歌手でいたい」

2019年09月30日 | 音楽と歌と私と・・・
*7月の福島でのLIVEから*

昨日は朝から新幹線に乗って、初めて福島へ。
びっくりするほど暑く、お店に向かうタクシーからは、何やら街ではイベント中なのか、
そこら中にコスプレの若者がいて、運転手さんも私もびっくり、笑。
生で見るのは初めてだったのですが、確かに写真が撮りたくなります。(撮らなかったけど)

Peace!!!ギターの関くんは長年をかけて、
東北〜山形や福島で色々な繋がりを作ってきました。
地道という言葉の語源はわかりませんが、「地」と「道」とあるように、
自分の足で一歩一歩歩いていくことなのだと思います。
車や飛行機を使わずに、自らの足で、時間はかかろうとも、
踏みしめながら、歩いていくのです。
そこには、車や飛行機を使ったら、決して見ることができない景色や、出会いがきっとあるのです。

昨夜は、福島の「ぼんと」という、
歌手活動もしていらっしゃるママ、しのぶさんのスナックでのライブでした。
関くんは年に2回ほど、そこに呼ばれて、機材を全部持ち込んで、
ローカルファンの皆さんにとびっきりの音楽を届けているようです。今回は、私はそれに便乗させていただいたしだいです。
スナックですから、ライブハウスやライブレストランのような「LIVE仕様」に作られていません。
ステージもありません。ライブのために所狭しと椅子が置かれ、手作り感満載!

ただ音響機材に関しては、ギターやボーカル用マイクも含め、
関くんが全部持ってきてセットアップしてくれましたので、
歌い手としては全く問題なし。関くんに感謝です。

時間が来ると、ママさんつながりの常連さん、
前回から関くんのファンになった方々がたくさんお越しになり、超満員。
もはや、一体私はどこに立って歌えばいいのか!?
完全に、関くんの前に立ちはだかり、かぶりまくりとなってしまいましたが、ご勘弁を、笑。

私は2ndセットの後半から歌わせていただきました。
先日の千歳烏山でのライブでの「お客さんが近くて緊張する〜〜」
なんていう事態をはるかに超えた環境でしたが、
ママさんや関くんが既に作ってくれてきた「お客さんとのファミリーな空気」は、
とてもあたたかく私を迎えてくれました。

初めての方々しかいない、というところで歌うのは実は初めての経験でした。
お客さんももちろん私のことは知らないし、
私も、この目の前にいる方々が日々を何をして、どんな風に生きてきたかも知らない。

知らない。。。からこそ、私は私として、ただただ歌を届ける。
彼らがどんな人たちかなんていう想像や憶測もないとなると、
私は素直に私でいるしかない。素直に歌うしかない。

ああ、でも、そういうことなのではないか、と思ったのです。
初めての人でも、知っている人でも、
その人たちを音楽やお話でもてなすという上で、
私ができることというのは、相手にこう受け取ってもらいたい、とか、
相手にこんな印象を残したい、なんていうことではなく、
私が歌手として、今ここで差し出せる最高級の自分でいる・・・ことしかないのでははないかと。


営業でも、ライブでも、どんな場所でも、どんなお客さんでも、そこだけは変わらない。
そこだけは絶対にブレてはいけない、と。

そして、タイトルにあるように、私はパーソナルな歌手でいたい。
規模が小さくても、大きくても、心の中で、一人一人に歌っていたい。
表現としては「みなさんに歌っている」となりますが、想いはいつも一人一人に。
一人一人が顔を持ち、名前を持ち、生きて、歩んでいる。
それぞれの心があり、感情や想いがある・・・
私は全ての人の顔を見ながらは歌えない、全ての人を知ることもできないでしょう、
けれど、その場にいる誰一人をも取り残さず、
心の中で一人一人を大切に抱きしめることができるような・・・そんな歌手になりたいです。

そして、先ほどの「地道」、というのは、自分の足で歩く道の上で会う一人一人を貴ぶ、ということなのだと思うのです。


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「なりたい自分に向かってみてはどうでしょうか?」

2019年09月05日 | 自分を変える、どう変える
〜ありのままの自分を受け入れる〜というのは、
自己啓発だとか、スピリチュアル系では、
今や「基本の基本」となってはいますが。

これが、理解するのがなかなか難しい。
誤解もされているのではないかと思います。
そんな私も、どこまで理解しているのかわかりません。

ただ一つだけ、私が思うに、「自分に妥協して、諦めなさい」ということではないということです。

ありのままの自分を受け入れる、というのは、
もはや宇宙規模で自分を抱擁するようなことかもしれません。
つまり(これ永遠に続いちゃうんだけど)、例えば、

「ありのままの自分を受け入れたくない自分を受け入れる」
「ありのままの自分を受け入れたくない自分を受け入れたくない自分を受け入れる」(以後、永遠に続く)

と、私は最近思っていて、なので、
「これ宇宙規模じゃね?」という結論に至ったわけです。
ひたすらに無条件。永遠に無条件。
自分規模で「ありのままの自分を受け入れる」となると、
許せない部分、認められない部分、罪悪感、だとかワッサワッサ出てきて、
スケールが小さすぎて無理だと思うのです。

つまり、(これまた私の想像)神様が豆粒のような自分を上のほ〜〜〜から見つめていて、
ケツの穴ほどの(失礼)スケールでああでもない、こうでもない、
これは正しいのか、間違っているのか、とかなんとかを
「はい、はい、そうなのね^^愛してるよ❤️」と見守っている様
・・・であるような気がするのです。
で、神様も、豆粒のような自分も、「自分」・・・という構図。

で、タイトルの「なりたい自分に向かってみてはどうでしょうか」というのは、
「それは、ありのままの自分を受け入れていないことになってしまうのではないか。
まずはそこからなのではないか。」、、
と私のように生真面目に疑問に思っている方が万が一いらした場合の、ものです。

ありのままが嫌で、なりたい自分があるのなら、
周りが、社会がなんと言おうと、なりたい自分に嬉々として向かってみてはどうでしょうか?

そこから開けてくる世界がきっとあるような気がします。


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