AYUKO Soul Quest. "スピってるがフィジってる"

元気になってくれ。
自分にときめいてくれ。
そして愛を見つけてくれ。

「光と闇について〜富・名声・使命と〜」

2020年01月28日 | スピリチャル&ヒーリング
今日は午前中からイトーヨーカドー(!)にて
一人の時間を満喫し、
午後帰ってきたから少し昼寝をした。

昼寝から目が覚めてからも
しばらくベッドでぬくぬくしていたのだが、
何やら色々な考えが廻り出し
そして何やら色々と「降りてきた」(と感じだ)。

ます、使命について、たくさんの疑問点が浮き上がった。
もちろん全て分かったわけではない。
才能や能力についても。
富と名声についても。
そして、そこから光と闇について。

そして、
リンクしたのは、私の歌手としての使命というか
在り方に関することなのだが、
かつてある人と話した時に言われたことだった。
それはプリズム効果を例えにしたものだった。

私が届けようとしているスケールの大きい愛、例えば宇宙の愛
それを一点に集中させ、
そこから外へと出される、というお話についてのクリアな理解だった。

私のハートの背中側の一点へ
宇宙の愛がグーーーっと集める。
そして、ハート(表側・胸)から、
ぐわーーーっとその宇宙愛が外へと放出される。



↑まさにこれなのだと思う。

私が生まれてくる時にどれだけの才能を与えられ、
(才能というのは選べるのか。その程度も選べるのか。
その仕組みがよく分からない)
どのような使命を持っているのか、
魂が何を体験しにここに生まれてきたのかは分からないけれど、
私が音楽、歌、言葉を通して、
ハートからどれだけの宇宙の愛を放出できるか、
(イメージでは、放出される角度。大きければ大きいほど、
多くの人に届く)
というのは、私の覚悟や決意、
そして才能をフルに使うために、
どれだけ自分の創造性を働かせ、
そしてどれだけ天とのco-creationに身を投じるか、
にかかっているように思う。
その可能性は無限なのか、有限なのかは分からない。
なぜなら私の才能の程度がどこまでそれを許してくれるか分からないからだ。
私がこれまで培ってきた技術や経験が
本来無限である「光」をどこまで自分を使って放出できるか、
というのは、やってみないと分からない。

けれど、
可能性が有限であるのならば、
私はその限界までやりたい。
それこそが使命なのではないだろうか。
そして、使命というのは、ある種の衝動であり、
自分を駆り立てるものだ。
それに抗わず、挑戦し続けること、が使命なのかもしれない。
最大限の可能性を具現化するのである。

そして、
その個々の最大限というのは
他と比べてもしょうがない。
それこそ、人々が陥る罠だ。
才能の大小、影響を及ぼす人数の大小、
富や名声の有無や大小。。。

だが、
魂の衝動に従うならば、
そこに挑戦もあるだろうが、
そこには大いなる喜び、至高体験が待っている。
もし、宇宙というのが、そもそも
魂の衝動を応援するものならば、
自分が抵抗しない限り、
必要な富、豊かさは与えられる、
つまり支給されるようになっているのではないだろうか。
そのように、なっているのではないだろうか。

豊かさとは、
私たち一人残らず、本当は与えられるようになっている。
魂の道を歩み、腕を広げて受け取るのであれば。。。

光と闇について。

多くの人たちに影響を与えるということは、
ものすごい光を放つということ。
ということは、そのものすごい光の対極にある
ものすごい闇ももれなく引き寄せることになる。

人々は、その「ものすごい光」ばかりを見て、
これはもう魂の本能なのか、
光に引き寄せられる、魅了されるのは当然で、
その極にある闇を見ようとはしない。

いわゆる、この世での多くの「成功者」と言われる人たちは、
日々、凄まじい闇とも戦うことになる。
それを覚悟して上に行った者もいれば、
ひたすら「光」に魅せられて行ったはいいが、
辿り着いたら、とんでもないことも背負うことになった、
という者たちもいるだろう。

光だけではない・・・というのが真実なのだ。

そして全ての「成功者」が
闇と戦う、もしくは闇を交わす能力を持っているとは限らない。
それは私たちはよく見たり、聞いたりしている。

だからこそ、
ただただ成功したい、富と名声が欲しい、だけでは済まないのだ。

それがいわゆる「成功者」が対峙させられる
最大の試練であると思う。
闇に決して呑まれないこと。
一番最初に踏み出した時に見た光から目をそらさないこと。

その光とは魂が見た光だ。
ハートいっぱいに感じた光だ。

ビッグになる!絶対に成功してみせる!
絶対に大金持ちになってみせる!

というのが、一番の目的になって、
成功した人はいないと思う。

そんな風に言っているようで、
彼らを動かしていたのは、
「素晴らしい音楽を作る」だったり、
「みんなが喜ぶ商品を開発する」だったり、
必ず人々を照らすような何かを創造することへの衝動だ。
それが大きな力となり、
あとは使命だとか、持ってきた才能だとか、
決意とか覚悟とか、そういうものが合わさって、
この世でいう「成功」というものが達成されるのではないだろうか。

しかしながら、
富や名声と言った成功というのは、
あくまでも我々が住むこの世界での成功であって、
それは、魂にとってはどうでも良いことである、

ということを知っておくことはとても大切だ。

そこを勘違いすると、
いわゆる「この世の苦しみ」に呑まれる。
人と自分を比較し、物質的なことで比較し、
才能の大小で比較し、あることに対する能力の有無で比較し・・・
どれだけ多くの人がこのトラップにハマることか。

でも、魂の成功というのは
そんな事柄とは無縁である。

魂の成功とは、
一つ一つの生をフルに生きることだ。
悔いなくフルに生きることだ。
そしてできるだけの愛を体験することだ。

それ以外はただの幻想にしかすぎない。

だからこそ、
私たちは真実を見る目を養っていかなければならない。
トラップに気づき、トラップをかわしてゆく。

そして
「楽しむ」ことがとてもとても大事だ。
それは深刻にならないためだ。
深刻は重い。
深い洞察力と、明晰さを保つために必要なのは、
深刻にならずに、軽やかでいることだ。
「楽しむ」という気持ちが、重くならないよう助けてくれる。
「楽しむ」という気持ちが、
光の極に潜む闇に呑まれないように助けてくれる。

いつも喜んでいなさい
絶えず祈りなさい。
全てのことについて感謝しなさい。

というのはイエス・キリストの言葉だが、
「喜んでいる」ことが闇から遠ざけてくれ、
「祈ること」によって自分の真の想いとそうでないものがわかり、
「感謝すること」によって、宇宙との調和が生まれる、
と私は思っている。

この物質界での成功よりも、
魂の成功こそが目的であるのは、
そもそも私たちの本質が魂だからだ。
今は、肉体という服をまとって、
三次元で修行中の身である。
いずれ、この肉体は卒業して、
元の魂だけに戻るのだから。

物質界に呑まれるのではなく、
この物質界を楽しむ!
というのが、私たち全ての人間の基本的使命であると思う。
どれだけ楽しみ、どれだけ喜びを体験するか。

闇に呑まれないように軽やかに!
「だって、本当は魂なんだもーん!」と思えば、
本当の意味でこの世界を楽しめるのではないのだろうか。
それは自分の使命も含めて。


追記:インスピレーションでそのまま書きました。
なので、私が書いていますが、私でないところもあり、
自分もまだまだ修行の身であり、
「そうは言ってもさあ」と、自分が書いたことに突っ込みたくなる感じです。




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"Enchanted Night"~LIVEを終えて〜

2020年01月23日 | 音楽と歌と私と・・・
18日のLIVEが終わりました。時が流れている限り、
始まって終わって始まって終わってが永遠に続くわけで、
時というのはすました顔で変わらず流れてゆくのだなあ。
あ〜れ〜〜ってな感じで。

中目黒のあの場所で、奇跡的にマトリックスをくぐり抜けて(?)
同じ時を過ごしてくださった全ての皆様に心からの感謝を申し上げたいです。
それ自体が私にとってはミラクルであり、魔法(enchantment)以外の何ものでもありませんでした。

ステージに立つ者が、
ステージ裏の話をするのはどうなのだろうと思ったのですが(スキャンダルとかではなく、笑)、
書いてみようと思います。

今回は、実は、これまで経験したことのないほど、LIVE前の数日が本当に苦しく辛かったのです。
初心者か、私は!というほど、一人ウィーウィー泣いたり、情けない状態でした。
本番当日の朝までそのような状態で「今晩、私は大丈夫なのか。できるのか。」という感じでした。
それは、満足のいくリハーサルができなかったとか、練習不足とか、歌詞を覚えていないという類のものではありません。

具体的にあることに不安を感じていたのですが、割愛するとして、
要は、
「私はこのままの私で受け入れてもらえるのだろうか。愛してもらえるのだろうか。」という、
非常に根本的なことです。
それがたまたまある不安と共に、前面に出てきた、ということだったと思うのです。

そして、更にその核の裏を返せば、ずばり、
「私は自分自身を受け入れているだろうか。そのままの自分自身を愛しているだろうか。
認めているだろうか。」というところに辿り着くのです。
人が自分をどう思うか、という不安や恐怖は、自分が自分をどう思っているか、というのを
ただ反映しているだけなのだと思います。

・・・そんなことにも気づかず(んな、余裕はない)、当日の朝を迎え、
心身共に決して万全とは言えない状態で、午後に現地入りしました。
でも、現地入りすると、必ず気が引き締まります。スイッチが入ります(魔法1)。
一人、二人と仲間たちも入ってきて(魔法2)、そして、サウンドチェック、リハーサルが始まりました。
「今晩LIVEをするステージ」の上で歌い出すと、あることが起きました(魔法3)。

そう、私は・・・

諦めた!!!!
Surrender!! 降伏!!!
「もーしょーがない、どうにかなんだろ。」
ケセラセラ〜〜

ああ、これがニルヴァ〜〜〜ナというのか。
ついに私は中目黒の一角で境地に達したのですっ!
そのまま一瞬体が浮いたかもしれません!(浮いてない)

いよいよ本番。フルハウス。
さあ、DJ AKKYがビヨンセのLove On Topをかけ始めたので、AYUKO、オンステージ!
観客の9割以上が女性で、立ったり座ったりの大騒ぎの大盛り上がりで、
アタクシがステージに登場しても気づかず・・・というまさかの事態で、
おかげで「ま、いっか!アッハハ〜!」と、私のスピリットは更なる高みへとアセンション。
「みんな、始まるよ〜〜!席に着いて〜!」から始まった本番でございました。
(思えば、アレは魔法4だったのかもしれない)

アセンションを達成した身とは言え、やはり最初の1,2曲というのは緊張・・・というか、
自分と相手(観客)をうかがいながら、ゆっくりコミュニケーションを図る感じです。
焦らない。走らない。声張り上げない。。。などなど。

そして、最初のトーク。
そもそもLIVEで長く喋る私は、実はこれに多大なる不安を感じていたのです。
最初はちょっと緊張気味でしたが、「私、おしゃべりが長いんです、喋りたいんです!」と認めた途端、
ニルヴァ〜ナが戻ってきて(魔法5)、あの日で一番長いやつ(削るかどうかをずっと悩んでいた)を、
「だって、アレもコレも全部、みんなに話したいんだもん!」という自分の願いを叶える方を選びました。(
強行突破?笑)

昨日か一昨日、facebookに
「ひたすら自分で在ること以外、何を差し出せよう。
でも、それはとても勇気がいることでもあります。
でもその先にきっと本当の自由があるのだと思います。」
と、いつものように何やら偉そうなことを投稿しましたが、
それが今回のLIVEで最も感じたことだったのです。

そして「すんません、これが私です。私なりに私の最上級の私です」を差し出した時、
何が返ってくるかというと、皆さんの最上級の愛なのです。
それは、歌がうまいとか下手とか、ほれなんだ、あれなんだとかっていう批評を超えた、
無条件の愛のようなもので、それはそれは言葉には出せないほどの・・・(言葉が出ない)・・・何かなのです。

プロですから、お金もいただきますし、
そのための準備を徹底して最高のプロデュースをする、というのは当然のことなのですが、
最後の最後には「ステージの上で、嘘のない生身の人間で在る」ということが、
観客の皆様へ示せる精一杯の誠意なのではと私は信じています。

そして、その誠意を示すためには、
「観客にどう思われるだろうか。愛されるだろうか。受け入れてもらえるだろうか。」という
一切のエゴを捨てる勇気が必要なのだと、私はようやくわかりました。
そして、観客の方々が、私をどう思おうが、受け取ろうが、感じようが、どんなものでも全てOKなのです。

そして、そのエゴを捨てるというのは、
これが私!、と笑って自分を受け入れることなのかもしれません。
自分を認める、愛する、というと、どうもこれまで私は生真面目に考えてきたように思いますが、
「諦めた!アッハハ〜!」というニルヴァ〜ナ体験(笑)をして、
そうか、実はとっても軽やかなことなのでは!?と気づきました。
自分を愛を持って笑えちゃうって、なんて素敵で無敵でしょう。
そして、そうなった時に初めて、
ようやく、自分ではなく相手を見つめ、
愛を発する準備ができるのかもしれません。

LIVE"Enchanted"は、結局のところ、私が一番魔法にかかってしまったのかもしれません。

それは一緒にステージに乗ってくれた仲間たちの魔法、
あの夜、集まってくださった全ての皆さんの魔法、
楽屋の店長をはじめとするスタッフの方々全員の魔法・・・そして中目黒の氏神様の魔法(忘れちゃいかん!)・・・

魔法とは、かかってるのもわからないから魔法というのね、きっと。。。

Thank you for the enchanted night, my dear friends.
ニルヴァ〜〜〜〜〜ナ!

LOVE, AYUKO


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