2021年も
今日を入れて後二日となりました。
一年が終わり、
新しい一年が始まります。
「終わりと始まり」というサイクルは
永遠に続きます。
暦や季節、
日が沈み、日がまた昇る、
宇宙、自然は「終わりと始まり」を
永遠と繰り返します。
また
私たち人は、人生の中でも
いくつもの「終わりと始まり」を経験します。
永遠のサイクルの中の一つのペアを切り取ってるわけですから、
「始まりと終わり」という切り取り方をしてもいいのですが、
どうしても私たちにとって
「終わり」とは
悲しかったり、寂しかったり、苦しかったり・・・
終わりって・・・ちょっと怖いでしょう?
けれど、
何かが終わるということは
次に新しい始まりがある。
必ずある。
次の新しいステージに
何があるか分からない不安と、
でも、何かが終わったことによって
古いものでいっぱいだったポケットが空いて
「どんな新しいものが入るのだろう?」という期待、ワクワク感・・・
「終わり」というものは本当はとてもポジティブなことなのです、
という意味をこめて、
私は「終わりと始まり」という切り取り方が好きです。
私はこの年末に
大きな「終わり」を経験しました。
「終わった」のではなく
「終わらせた」のです。
それは外的な出来事ではなく、
自分の中のこと。
これまでの自分の在り方、
もう役には立たない思考癖、パターン、
小さな箱の中での思い込み、
それらがあまりにの長年のものであったので、
あまりにも慣れていて当たり前でしたので、
気づきもしなかった。
ただただ、違和感を感じていました。
何か狭苦しいような、
自分が本当に願っていることと
実際の行動が伴わないような、
同じ場所でクルクルと回りながら、
一向に前に進まない・・・
そんな違和感に雷のごとくに気づかされるような出来事があり、
あまりにも突然であり、
頭も身体もついていかないような状態でありながら、
気づけば、
私はこれまでの自分の在り方を「終わらせて」いました。
実際に行動もしなければいけませんでした。
その人にとっては寝耳に水であったろうことを
ある人に伝えなければなりませんでした。
ただ、その外的な事柄そのものが「コア」なのではなく、
それはただ「古い自分の在り方の集大成」を代表していた事柄であり、
多分、私はそのように心の中だけで変化を起こすのではなく
「実際に具体的な行動を通して」、
私は自分に知らしめなければいけなかったのだと思います。
雷が落ち、古い自分というタワーが一瞬で崩れ落ち、
そのタワーの下から這い出して来たのは
私のコア、魂の私であり、
私はその崩れ去ったタワーを後にしました。
今回の大きな「終わり」とは
長年の古い自分の終わりとは、
勝手に終わるものではなく、
私の「意志の力」で終わらせなければいけませんでした。
そのための雷であり、
そのための嵐であったのだと思います。
もし私が「逃げる」という意志を使っていたら、
雷が落ちても、
私は崩れ落ちたタワーを崩れてなんかいない、と言い張り
私はそこにしがみつき、居座ったでしょう。
でもその代わり、私の魂はタワーの下深くに置き去りにされたでしょう。
思えば、
私たちの心の在り方というのは、
現実にそのまま映し出されます。
心の在り方に沿って、現実が創られる、
出来事が起きる・・・
そこにもし「違和感」があるのであれば、
必ず自分のコア、魂が感じとっています。
でも、表面の自分は言い訳をつけて
それを無視してそのまま先に進んだりします。
多分それはその違和感を直視するのが怖いからです。
ですが、
魂の違和感というのは、
絶対に放っておかれないのです。
不思議なことなのです。
その違和感に気づき、軌道修正をするよう、
あちらこちらから色々な形でサインが出されるのです。
気づくまで。
なぜでしょうね。
魂が望んでいる道から外れるというのは
どのような生き方となるのでしょうね。
「気づけ、気づけ」となぜそこまでして
サインを出してくるのでしょうね。
そして、その警告のサインというのは
どんどん大きなものになっていくのです。
自分がそれに気づかなければ。
でも、無視し続けていた「違和感」というのは
いつの間にか苦しみとなり、悲しみとなり、
自分の心をがんじがらめにするのです。
そしてある日、
(それは宇宙という愛なのでしょう)
最終段階としての爆弾を落とす。。。
目を覚ませ。
自分に戻れ。
本来の道へ戻れ。
と。
その爆弾は・・・
愛と言わずして何と言えようか。
今回、自分の意志の力で終わりにした
「終わり」は
そのようなものでした。
今の私は、
「終わり」と「始まり」の間にいるような感じです。
凪。
Voidと言ってもいいかもしれません。
(「鬼滅の刃」の富岡ファンとしては凪という言葉に反応する、笑)
そして「始まり」について。
始まりも「終わらせる」と同じように
「始める」のか。
これまでの私だったらそうでしょう。
「何か始めないと」と考えを巡らせたでしょう。
でも、もうそういうのはやらない。
その姿勢も終わりにする。
ここ数日の嵐の中、
私はたまたま(結果、たまたまではなかった)
自分の過去のブログ「デイドリーム2」(10月10日の投稿)というものを読みました。
「幸せとは何か」という問いから始まり・・・
要はあの時、私は疲れ切っていたのです。
それは日々の忙しさとかそのようなものではなく、
心が疲れ切っていたのです。
「歌とかそういうの、何もかも手放して
家庭の中でのんびり暮らすのもいいのだろうか」と。
まあ、魔が刺したのではありますが、
でもそのブログでは結果、
「歌わないという選択は私はしない」という結論、
そして、
「私はいつも何かに向かっているのが好きなのだ」と
書いていました。
どちらも本当なのです。
けれど、久しぶりに読んで気づいたこと、それは、
「いつも何かに向かっているのが好き」がいつの間に
「いつも何かに向かっていなけれならない」となっていたことです。
ちょっと前のブログ「真相の深層」に書いた通り、
私がそうだと思っていた真相の深層が現れたのです。
どれだけハッとしたことでしょうか。
いつも何かに向かっていなければいけない、とは
なんて疲れることでしょう。
「〜なきゃいけない」というのはどんなものであれ、
心を縛ります。
そこからも自分のこれまでの古い在り方に気づいたのでした。
何かに力強い意志を持って向かうことは素晴らしいことです。
魂に後押しされ、宇宙に後押しされ、周りに後押しされ、
どんどん切り開いていくこと。
そこには純粋な「後押し」があるからこそ、
どんな道でも、そこには苦労でも努力でもなく
ただ進むというパワーがみなぎっています。
ですが、
「何かに向かわなければならない」という
焦りのような、自分に課したプレッシャーのようなものがある時、
それは、何かを「強制的に進行させる」という
『無理』が生じるのです。
それは宇宙の流れ、宇宙が差し出す最高に美しい流れを
邪魔することになるのです。
つまり、自分が自分の本来の流れの邪魔をする、ということです。
前に行けない、行けないと嘆きながらも、
「実はあなたがあなたの道を塞いでいるのですよ」ということです。
次に「始まり」について考えて、
たまたま(!)そのブログを読んだ私は
そんなことに気づいたのでした。
ですので、
私は「始めない」。
私は宇宙の流れに身を委ねる、
という体験をする。
私の「個人的な」「焦り」の意志ではなく、
全てを愛で運営している「宇宙が始める」のを
凪(!)の中でくつろぎながら見ている。
切り開く、進める、行動するという「男性性」のエネルギーではなく、
委ねる、受け取る、包むという「女性性」のエネルギーを体験する。
なぜなら私はそのような意味での女性性を
私は怖くてずっと体験しなかったから。
選ばなかったから。
委ねる、受け取るということが怖くて、
ずっといつも私は「男性性On」の状態でやってきたのだから。
人生初めて、
生きる姿勢として「女性性On」にしてみる。
そうしたら何が起きるか、何が変わるのか、見てみる。
男性性、女性性を両方体験することによって、
この先、いつ、どちらをOnにするのかが分かるようになるでしょう。
いつ積極的に「行動する」「取りに向かう」のか。
いつ流れに「身を委ねる」「向かってきたものを受け取る」のか。
そして、次の「始まり」においては
「身を委ねる」というのが私の課題。
魂からの課題なのです。
自分を
自分の人生の流れを
宇宙の愛の流れを
100%信じる練習です。
これが今年最後のブログとなります。
いつものに輪をかけての超長文を
最後まで読んでくださって
ありがとうございます。
今年、
このブログ、Sound Blogを訪れてきてくださった皆様、
心より感謝いたします。
今日初めて訪れて、とんでもない長文を読まされてしまった皆様、
心より感謝いたします。
二日前の「Sound Blog Vol.7 気高く、優美に」の冒頭で申し上げましたが、
私は時間をかけて深く「今年」「これまで」を振り返りましたが、
さっくり振り返ろうが、
じっくり振り返ろうが、
(振り返らないのだってアリだね!)
振り返るのは一回で十分!
軽やかに
年を
またぐ!
それで行きましょう。
来年も引き続き、
私のSoul Quest、
すったもんだ劇場(笑)は続きます。
新年、
これまでどおりここでお待ちしております。
それでは
良いお年を。。。!
愛と感謝を込めて
AYUKO SAITO
凪の中、天を仰いで様子をみる。優美!ふふふ。
*聴くブログ!?「Soul Quest Sound Blog」という
ラジオなようなものを勝手に作って展開しております!
このブログの調子が、そのまんま私のトークと音楽で展開されています。
このブログのカテゴリー「Sound Blog」から是非どうぞ!
クリックしてすぐに聴けるようになっています。
私のオフィシャル・ページを
どうぞご訪問くださいませ。
プロフィール、経歴、ライブ情報、
それから私の歌も視聴できます!
https://www.ayukosaito.com
↓日々の「歌ってる動画」をInstagram(IGTVセクション)/ Twitterにアップしています
Instagram https://www.instagram.com/ayuko.is.here/
↓「歌ってる動画」以外にも、『今日のインスピレーション』(短い言葉)を展開しています
Twitter https://twitter.com/AyukoSaito
↓私の過去のlLIVE映像などはYoutubeでアップしています
https://www.youtube.com/channel/UCZiH2XUoIk7XVpWLuowKDUA
今日を入れて後二日となりました。
一年が終わり、
新しい一年が始まります。
「終わりと始まり」というサイクルは
永遠に続きます。
暦や季節、
日が沈み、日がまた昇る、
宇宙、自然は「終わりと始まり」を
永遠と繰り返します。
また
私たち人は、人生の中でも
いくつもの「終わりと始まり」を経験します。
永遠のサイクルの中の一つのペアを切り取ってるわけですから、
「始まりと終わり」という切り取り方をしてもいいのですが、
どうしても私たちにとって
「終わり」とは
悲しかったり、寂しかったり、苦しかったり・・・
終わりって・・・ちょっと怖いでしょう?
けれど、
何かが終わるということは
次に新しい始まりがある。
必ずある。
次の新しいステージに
何があるか分からない不安と、
でも、何かが終わったことによって
古いものでいっぱいだったポケットが空いて
「どんな新しいものが入るのだろう?」という期待、ワクワク感・・・
「終わり」というものは本当はとてもポジティブなことなのです、
という意味をこめて、
私は「終わりと始まり」という切り取り方が好きです。
私はこの年末に
大きな「終わり」を経験しました。
「終わった」のではなく
「終わらせた」のです。
それは外的な出来事ではなく、
自分の中のこと。
これまでの自分の在り方、
もう役には立たない思考癖、パターン、
小さな箱の中での思い込み、
それらがあまりにの長年のものであったので、
あまりにも慣れていて当たり前でしたので、
気づきもしなかった。
ただただ、違和感を感じていました。
何か狭苦しいような、
自分が本当に願っていることと
実際の行動が伴わないような、
同じ場所でクルクルと回りながら、
一向に前に進まない・・・
そんな違和感に雷のごとくに気づかされるような出来事があり、
あまりにも突然であり、
頭も身体もついていかないような状態でありながら、
気づけば、
私はこれまでの自分の在り方を「終わらせて」いました。
実際に行動もしなければいけませんでした。
その人にとっては寝耳に水であったろうことを
ある人に伝えなければなりませんでした。
ただ、その外的な事柄そのものが「コア」なのではなく、
それはただ「古い自分の在り方の集大成」を代表していた事柄であり、
多分、私はそのように心の中だけで変化を起こすのではなく
「実際に具体的な行動を通して」、
私は自分に知らしめなければいけなかったのだと思います。
雷が落ち、古い自分というタワーが一瞬で崩れ落ち、
そのタワーの下から這い出して来たのは
私のコア、魂の私であり、
私はその崩れ去ったタワーを後にしました。
今回の大きな「終わり」とは
長年の古い自分の終わりとは、
勝手に終わるものではなく、
私の「意志の力」で終わらせなければいけませんでした。
そのための雷であり、
そのための嵐であったのだと思います。
もし私が「逃げる」という意志を使っていたら、
雷が落ちても、
私は崩れ落ちたタワーを崩れてなんかいない、と言い張り
私はそこにしがみつき、居座ったでしょう。
でもその代わり、私の魂はタワーの下深くに置き去りにされたでしょう。
思えば、
私たちの心の在り方というのは、
現実にそのまま映し出されます。
心の在り方に沿って、現実が創られる、
出来事が起きる・・・
そこにもし「違和感」があるのであれば、
必ず自分のコア、魂が感じとっています。
でも、表面の自分は言い訳をつけて
それを無視してそのまま先に進んだりします。
多分それはその違和感を直視するのが怖いからです。
ですが、
魂の違和感というのは、
絶対に放っておかれないのです。
不思議なことなのです。
その違和感に気づき、軌道修正をするよう、
あちらこちらから色々な形でサインが出されるのです。
気づくまで。
なぜでしょうね。
魂が望んでいる道から外れるというのは
どのような生き方となるのでしょうね。
「気づけ、気づけ」となぜそこまでして
サインを出してくるのでしょうね。
そして、その警告のサインというのは
どんどん大きなものになっていくのです。
自分がそれに気づかなければ。
でも、無視し続けていた「違和感」というのは
いつの間にか苦しみとなり、悲しみとなり、
自分の心をがんじがらめにするのです。
そしてある日、
(それは宇宙という愛なのでしょう)
最終段階としての爆弾を落とす。。。
目を覚ませ。
自分に戻れ。
本来の道へ戻れ。
と。
その爆弾は・・・
愛と言わずして何と言えようか。
今回、自分の意志の力で終わりにした
「終わり」は
そのようなものでした。
今の私は、
「終わり」と「始まり」の間にいるような感じです。
凪。
Voidと言ってもいいかもしれません。
(「鬼滅の刃」の富岡ファンとしては凪という言葉に反応する、笑)
そして「始まり」について。
始まりも「終わらせる」と同じように
「始める」のか。
これまでの私だったらそうでしょう。
「何か始めないと」と考えを巡らせたでしょう。
でも、もうそういうのはやらない。
その姿勢も終わりにする。
ここ数日の嵐の中、
私はたまたま(結果、たまたまではなかった)
自分の過去のブログ「デイドリーム2」(10月10日の投稿)というものを読みました。
「幸せとは何か」という問いから始まり・・・
要はあの時、私は疲れ切っていたのです。
それは日々の忙しさとかそのようなものではなく、
心が疲れ切っていたのです。
「歌とかそういうの、何もかも手放して
家庭の中でのんびり暮らすのもいいのだろうか」と。
まあ、魔が刺したのではありますが、
でもそのブログでは結果、
「歌わないという選択は私はしない」という結論、
そして、
「私はいつも何かに向かっているのが好きなのだ」と
書いていました。
どちらも本当なのです。
けれど、久しぶりに読んで気づいたこと、それは、
「いつも何かに向かっているのが好き」がいつの間に
「いつも何かに向かっていなけれならない」となっていたことです。
ちょっと前のブログ「真相の深層」に書いた通り、
私がそうだと思っていた真相の深層が現れたのです。
どれだけハッとしたことでしょうか。
いつも何かに向かっていなければいけない、とは
なんて疲れることでしょう。
「〜なきゃいけない」というのはどんなものであれ、
心を縛ります。
そこからも自分のこれまでの古い在り方に気づいたのでした。
何かに力強い意志を持って向かうことは素晴らしいことです。
魂に後押しされ、宇宙に後押しされ、周りに後押しされ、
どんどん切り開いていくこと。
そこには純粋な「後押し」があるからこそ、
どんな道でも、そこには苦労でも努力でもなく
ただ進むというパワーがみなぎっています。
ですが、
「何かに向かわなければならない」という
焦りのような、自分に課したプレッシャーのようなものがある時、
それは、何かを「強制的に進行させる」という
『無理』が生じるのです。
それは宇宙の流れ、宇宙が差し出す最高に美しい流れを
邪魔することになるのです。
つまり、自分が自分の本来の流れの邪魔をする、ということです。
前に行けない、行けないと嘆きながらも、
「実はあなたがあなたの道を塞いでいるのですよ」ということです。
次に「始まり」について考えて、
たまたま(!)そのブログを読んだ私は
そんなことに気づいたのでした。
ですので、
私は「始めない」。
私は宇宙の流れに身を委ねる、
という体験をする。
私の「個人的な」「焦り」の意志ではなく、
全てを愛で運営している「宇宙が始める」のを
凪(!)の中でくつろぎながら見ている。
切り開く、進める、行動するという「男性性」のエネルギーではなく、
委ねる、受け取る、包むという「女性性」のエネルギーを体験する。
なぜなら私はそのような意味での女性性を
私は怖くてずっと体験しなかったから。
選ばなかったから。
委ねる、受け取るということが怖くて、
ずっといつも私は「男性性On」の状態でやってきたのだから。
人生初めて、
生きる姿勢として「女性性On」にしてみる。
そうしたら何が起きるか、何が変わるのか、見てみる。
男性性、女性性を両方体験することによって、
この先、いつ、どちらをOnにするのかが分かるようになるでしょう。
いつ積極的に「行動する」「取りに向かう」のか。
いつ流れに「身を委ねる」「向かってきたものを受け取る」のか。
そして、次の「始まり」においては
「身を委ねる」というのが私の課題。
魂からの課題なのです。
自分を
自分の人生の流れを
宇宙の愛の流れを
100%信じる練習です。
これが今年最後のブログとなります。
いつものに輪をかけての超長文を
最後まで読んでくださって
ありがとうございます。
今年、
このブログ、Sound Blogを訪れてきてくださった皆様、
心より感謝いたします。
今日初めて訪れて、とんでもない長文を読まされてしまった皆様、
心より感謝いたします。
二日前の「Sound Blog Vol.7 気高く、優美に」の冒頭で申し上げましたが、
私は時間をかけて深く「今年」「これまで」を振り返りましたが、
さっくり振り返ろうが、
じっくり振り返ろうが、
(振り返らないのだってアリだね!)
振り返るのは一回で十分!
軽やかに
年を
またぐ!
それで行きましょう。
来年も引き続き、
私のSoul Quest、
すったもんだ劇場(笑)は続きます。
新年、
これまでどおりここでお待ちしております。
それでは
良いお年を。。。!
愛と感謝を込めて
AYUKO SAITO
凪の中、天を仰いで様子をみる。優美!ふふふ。
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ラジオなようなものを勝手に作って展開しております!
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