AYUKO Soul Quest. "スピってるがフィジってる"

元気になってくれ。
自分にときめいてくれ。
そして愛を見つけてくれ。

アラフィフに向けて

2018年01月26日 | 女性であること、のあれこれ
アラフォーとか、アラフィフとかって言いますが、
私の個人的な定義として、
アラフォーは38歳〜43歳。
アラフィフは48歳〜53歳。
一般的定義はわからないんだけど、
何となく私の中では上記の通りでして。

私は現在46歳で今年47になるんだけど、
私の定義からいえば、アラフォーでも、アラフィフでもないお年頃でして、
でも確実に50は近づいている、という。

20、30、40、50、とかっていう、10の位が変わる時って、
毎度ドキドキするというか、節目感があるというか、
確かに10年間というなかなかの期間を共にしてきた10の位の数字が変わるわけだから、
まあそれなりに感慨深いことなのかもしれない。

それに40を過ぎると、
「ああ、いよいよ人生も折り返し地点か〜」とかなったりして、
同時に「ああ、いよいよ歳を取ってゆくのだわ〜」とかなったりして、
特に女性にとっては、美しくエイジングか!アンチエイジングか!とかなったりして、
どうも40を過ぎると、何やら様変わりするような感じがする。

とは言え、
60代とか70代のお姉さま方からしたら、
私などは「あら〜〜、まだ若いわね〜〜、今が一番綺麗なときよ〜」
ってな感じかもしれないが、
私はまだお姉様方の「域」に行ったことがないので、
「ぎゃ〜〜50が確実に近づいている〜〜」とおののくわけだ。

思えば、40になる時もそんな感じだったような気がするが、
未知の世界の恐ろしい40代も、なってみれば楽しいもので、
それなりに美の追究も充実し、「なかなか、くるしゅーない」と言った感じで。

しかしながら、
色々な衰えというのが、「40代の道」には現れて来るもので、
それは30代にはなかったものだ。
で、40代の真ん中を過ぎると、いよいよそれらが顕著に出てきて、
「もしや、これって、どーにもなんないじゃねえ?」という、
もはやにっちもさっちも行かないような現象を認めざるを得ない状態となり、
「己を受け入れる」という、「自己啓発系の先生方」が口を酸っぱくして言い続けているアレの意味が、
ようやく分かってくるというか、
「TO BE OR NOT TO BE」くらいの選択を迫られる事態の中、
ほぼ敗北感に近い形で、己を受け入れる訳である。


さて、以前の投稿でもふにゃふにゃ書きましたが、
私にとって「どうしたらキレイに見えるか。いい感じに見えるか」という
女としての美の追究みたいのは、諸々のコンプレックスが原動力となる「趣味」な訳ですが、
これから益々「コンプレックス(?)」が増えていくであろう中、
どうしたものかと。
そして、「そうだ!参考にできる、目指したみたいと思えるRAW MODELが私に必要だ!」と思い立ち。
私よりも若い方々は今や参考にはできないので、40代50代というところで、考えました。


そして。

先日はダイアン・レイン。
昨日は、キム・ベイシンガーなんかをググって、画像なんかを拝見しましたよ。
はい。目標は高く。夢は大きく。
ふむふむ。

彼女たちはナチュラル系と言いますかね。
ナチュラルに美しく、セクシーで、大人の女ってこうなんだわ、という。

Sex And The CityのSamanthaとか、はたまた叶恭子さんまで行くと、
もはやアッパレとしか言いようがなく。
Sexualityをいくつになっても全面に出してゆくというのは、
なかなか勇気がいることだし、リスクもあるし、賛否両論にもなるだろうけど、
我が道を全くの迷いなしに進んでいる人たちはすごいし、強い。

また個人的にかっこいいなと思うのはロックミュージシャンでしょうか。
若い頃からのロックスピリットというのが損なわれることなく、
おばさまになってもロックしてて、それまたかっこいい。
まさにロングランで培った賜物だ。
なので急にロックなおばさんには絶対なれないので、私は無理です。

で、結局ね、
それでもみなさま「おばさま」なのです。
どう見ても、おばさまなのです。
若い女の人ではないのです。

「対若い女の人」という、変なこだわりを捨てない限り、
本当の意味で素敵なおばさまにはなれないのではないかと。
それでも。
いつまでも美しい肌で、美しい髪で、美しい肉体で、と願い、
色々手をかけるというのが、女性なのかもしれないけど。


ただ一つ言えるのは、
男女に関係なく、歳をとればとるほど、
その人が生きてきた様が「雰囲気」に出るということでしょうか。
「雰囲気」だけは、外側の飾りだけではカバーできないもので、
また一日二日で身につけられるものでもない。
ある意味、自己啓発的「己を受け入れる」、
つまり自分が歩いてきた道を、生きている様を受け入れる、
ということが、「だからこそこの人はこの人で、それが素晴らしい」という、
確固たる空気が雰囲気に出るのかもしれない。


で、おばさま街道をこのまま歩んでいく私ですが、
「どうありたいか」というのは、多分、ずっと続く、
というか、その時の自分の有様や、人生の有様に応じて、

暗中模索
右往左往
七転八倒
絶体絶命
危機一髪
(その他、それっぽい四文字熟語全部)

しながらやっていくのだろうな、と。
でも、ここからもう死ぬまで「ALL SET」よりは、
あーでもない、こーでもないしてる方が楽しそうだ。



ダイアン・レイン・・・キム・ベイシンガー・・・


どーやったら、あーなるんだ。


なんなら、叶恭子さん・・・うっひゃひゃー


ってんな感じで。うふふ。





歌手AYUKOのページはこちら♪





自分のスタイル&セルフプロデュース

2018年01月21日 | 自分を変える、どう変える
みなさま、こんにちは!

昨年の夏の怒涛のブログアップはどこへやら。
またまた久しぶりになってしまいました。

2018年に入り、お正月も随分前に感じてしまうほど、
「いつもの日々」に戻りました。
みなさまは、いつものリズムに戻れましたか?
それとも新しいリズムが始まったのでしょうか?

さて、
「自分のスタイル」(衣食住から生き方から、その他考えつく自分が関わる全て)という言葉が、
ふと頭に浮かびまして、
そして「自分のスタイル」をいかにして演出するのかというのが、
つまりは「セルフプロデュース」ということなのではと。

自分のスタイルというのは「確立」するものなのか、
死ぬまで「変化」をしていくものなのかは、個々によって違うと思うし、
お若い方々はまだまだ模索中だったりするかもしれません。
私のように40半ばくらいになっていきますと、
自分にとって「不必要な装飾品」のようなものが
自然とポロポロと落ちてゆき、


残ったものが私、とか、私らしさ、なのかしらと。

じゃあ、残ったものを「自分・自分らしさ」という「自分のスタイル」という「「静」だとして、
「セルフプロデュース」というのは、それらを外に向かっていかに表現するかという「動」だと思うのです。

どう表現したいか。
つまりどう見せたいか。
魅せたいか。


もちろんその人のスタイルというのは、
特に意識しなくても、色々なところに出るものではあるのですが、
意識してそれらをプロデュースするとなると、
それらを意識し、人にどう見られたいか、どのような印象を与えたいか
という「己を客観視」するというプロセスが始まり、
それを今度は具体化するというのが次のステップだと思うのです。

私は歌手の仕事をしていますが、
自分の得手不得手を理解しつつ、
どのようなスタイルの歌手として見られたいか、というのは常々考えていますし、
外見上もどのような雰囲気をまといたいか、なども考えます。

レコーディングのようなステージには乗らない仕事でも、
それらを意識して、服を選びます。
間違ってもスーツにピンヒールということはありません。
また、「かわいい格好」も私のスタイルではありません。
現場のプロデューサーやディレクターに、特に初めてお会いする場合は、
「こんな雰囲気のこんなスタイルの歌手なのだ」という形で覚えていただかなければなりません。

私はここ数年、ロングヘアでウェーブをかけていますが、
たまに切りたくなる衝動があります。
セミでもショートでも、私に似合う髪型はあるでしょう。
でも、今の私の感じで髪を切ってしまうと、
「落ち着いた大人の女の、バリバリキャリアウーマン風」になりかねない。
それは私が放ちたい雰囲気ではないのです。


自分・自分らしさ
長所・短所
好き・嫌い
誰に向けて、どのような印象を残したいのか

これらを統合した上で、
自分をどのように演出するか、ではないかと。

もちろん(仕事などの)分野によって、
自分の何に注目し、
どういう形で演出・プロデュースするかは変わっては来ると思いますが、


「自分を知る」


ということは共通して、最も大切なことかもしれません。
そして「自分を知る」という作業は一生続くような気がします。
それでも「なぜか一貫しているスタイル」というのは、
自ずと端々に表れてしまうようなものの気がしていて、
それはプロデュースの方法を変えたとしても
「そこに居る」もの、「そこに残る」もの、
それが「自分のスタイル」なのかもしれません。


歌手AYUKOのページはこちら♪