AYUKO Soul Quest. "スピってるがフィジってる"

元気になってくれ。
自分にときめいてくれ。
そして愛を見つけてくれ。

「大人」

2019年01月30日 | 生きていると
という言葉だけに反応するならば、
私にとっては「つまんな〜〜〜い」という印象だ。

そんな私も大人なので、
ちゃんとすべき時はちゃんとしている。それが大人だ。

きちんと冷静に判断し、必要あらば自分を抑え、
周りが滞りなく流れるように仕向け、
気遣いを怠らず、礼儀を重んじ・・・
大人=社会人っていうことであろう。
(まあ、私がそれらをどこまでできているかは疑問ではあるけれど)

そして、上記のことは、大小問わず社会ではとても大事なことだ。
色々な人たちが関わる場で、できるだけ皆が心地よく日々を営む上で。
相手の立場に立って考える、とか、人を思いやる、というのは、
まさに子供から大人に成長したからこそ、できることなのだと思う。

しかし、なぜ最初に「つまんな〜〜〜い」と言ったのは、
いつも大人を演じていると、全てにおいて
「お行儀よく」なってしまいいかねないからだ。
生き方までお行儀よくなってしまう。
お行儀が良いというのは、
決して羽目を外さないということだったり、
感情を押し殺して自分をなんでも後回しにすることだったり、
常に完全防備の守りに入るということだったり。
そして、それらをする言い訳として出てくるのは、
「なんちゃらのため」みたいな「ご尤もな美談」だ。

果たしてその「なんちゃら」は、
自分が本当に心から守りたいもの・誰か、なのだろうか。
それとも、自分の本心と向き合わないために、
逆になんちゃらを防御壁にしているのだろうか。

大人は「折り合い」という言葉もよく使う。
その折り合いというのは、考えて考えて納得したものだろうか。
それとも、自分の人生に対する責任逃れと諦めなのだろうか。

大人らしく振る舞うというのは、
素晴らしい、もってこいの逃げ場にもなり得る。
「大人なのだから」と言っておけば、なぜか人々は納得する
・・・ような気がする。
そんで、自分をも納得させられる。

おそるべし、「大人」!
なんてややこしい!

私は「成熟」という言葉が好きだ。
もし「大人」という言葉の代わりに使うのならば。

「大人」というのはなぜかカッチカチで、乾燥している印象なのだけど、「
成熟」というのは、私にとっては、
juicyで柔らかい実がたわわに成る木だ。
年月を経て、根を伸ばし、幹は強くなり、
より深く甘い果実を実らせる。

人生に対して、ゆったりと、そして無邪気に、
腕を大きく広げることができるのなら・・・
本当に失うものなどない・・・のかもしれない。

まだまだ発展途上(未熟)の私は、そんなことを想像する。



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「芸風」後編

2019年01月20日 | 音楽と歌と私と・・・
私は、彼女たちが歌で見せるその「強さ」が、
自分に欲しかった。
当時の私にとって「強くてかっこいい女性」は、
ソウルミュージックを歌うDivaたちだった。(前編から)


技術的には程遠いながらも、
私は学生時代はとにかくLIVEでもパワー系ソウルを好んで歌った。
私にとってロック時代となった4年生の時も、
「強さ」というのは私にとって大事なキーワードだった。

で、「今の私」にとって、あの時代というのは、
振り返ってみると「強い」というより
「一生懸命強がっていた」時代だったなあと思う。
(これは、例の私のお得意の「女性性」と繋がるわけだが、
アレについては十分語ったので、今回は黙るとする)

そして、当たり前のこと
「私はアフリカ系アメリカ人女性ではない」ということに、
ようやく気づいたのだ。

私は今もよく人から「パワフル」と形容されるが、
多分、それは放たれるエネルギーの量なのか、
表現がいかんせん直球なのでそれがパワフルなのか、よく分からないけれど、
少なくとも「強がり」からのパワフルではないんだろうなあと思う。

色々な経緯を経て、
「女性を謳歌する!」なんてのに目覚めちゃった私にとって、
もう「強い女を演じる」必要がなくなってしまった。
よって、かつて歌っていたような「グイグイ強いソウル曲」と、
「本来の私」とにズレが生じてきたように思う。

女性が歌うソウル系の歌は、
男性に挑戦状を突きつけるような、
女性上位な感じの、
ガオ〜〜ってライオンとかヒョウみたいに誘惑するような・・・
歌詞が、やっぱり多いんだけど、
「私、実はそういうタイプではありませんでした」というのが正直なところで、
今ちょうど困っているところである。

そうは言っても、あの(それこそ)パワフルなソウルやロックというのは、
いつまでも私にとって大っ好きな音楽で、
私を育ててくれた音楽なので、
今こそ「考え込んで」いるけれど、
トンネルから抜けたその先には

「私、なんでも歌いま〜〜〜〜す!」

という、達観した歌手AYUKOがいることを・・・祈る。


「何を歌っても私」なのだから。

完(!)





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「芸風」前編

2019年01月19日 | 音楽と歌と私と・・・
歌手としての芸風というのは、
軸となるスタイルはあっても、
人生を通して変化してゆくものだと思う。

自分の「てっぱん」や「十八番」とするジャンルや楽曲でさえも、
時を経て、(少なくとも歌い手にとっては)受け取り方や気持ちが変わる。
(例えば、聖子ちゃんが今歌う「青い珊瑚礁」は違う)

もちろん早くに自分のスタイルを確立する人もいるが、
私はもう少し紆余曲折が続きそうだ。
いいんだか、悪いんだか。

3月に学生時代の盟友に誘われてLIVEで歌わせていただくが、
彼が私のために選んでくれた曲たちは、
いわゆる私のてっぱんジャンルである、パワー系のソウルである。

私が生まれて初めてソウル音楽と出会ったのは、
バークリーでのGospel Choirのコンサートだ。
「なんじゃこりゃ〜〜〜!」と言わんばかりの衝撃だった。
あの声量、あの歌い回し、あのグルーヴ、
純粋に「私もできるようになりたい!」から始まった。

ソウルミュージックというのは、
アフリカから大陸にやってきた人たちの音楽だ。
彼らの血、彼らのアメリカでの歴史が流れている。
想像を絶する苦悩が流れている。
ソウル=魂・・・の叫びだ。

とにかくQueen Of Soul, Aretha Franklinを筆頭に、
レジェンド、Divaと呼ばれるような黒人女性歌手の歌を聴きまくった。
真似した。もちろんすぐに身につくわけがない。
でも、とにかく好きで、憧れて、私は練習し続けた。

そのような音楽にたくさん触れて、私が得た印象というのは、
アフリカ系アメリカ人の女性はとにかく「強い」。
曲の内容もグイグイと「強い」(もちろんそういうのばかりではないけれど)。
その強さというのは、彼女たちがあの国で、
アフリカ系として、また女性として、
サバイバルするために身につけてきた強さなのかもしれない。
(と、私は思っている)

話がそれるが、入学して間もなく、
私は、一年生ではトップでfull scholarshipで入ってきた
tenorsaxを吹くアフリカ系のハンサム青年と付き合うことになったのだが、
一年間シスターたちに無視し続けられた。
まあ、私はお人好しの日本人なので、
それにもめげずに一年間「Hi!」って挨拶し続けた。
結果、その根性を認められたのか、
その後は、逆に彼の方に「AYUKOを傷つけたら承知しないよ!」
くらいのことを言ってくれるようになった。

彼女たちは「強い」。
でもその強さは、そうでないとやってこられなかった・・・
という、私には決して知ることのない、
彼女たちの決意のようなものを感じて仕方がない。

私は、彼女たちが歌で見せるその「強さ」が、自分に欲しかった。
当時の私にとって「強くてかっこいい女性」は、
ソウルミュージックを歌うDivaたちだった。

<後編につづく>


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「シミ」

2019年01月17日 | 女性であること、のあれこれ
結婚したての頃だったろうか(ちょうど10年前)、
当時私はふくらはぎにでき始めていたシミ
(今やすごいことになっている)に悩んでいた。

そんなことを知ってか、
ある日夫が確信したような顔で、
今やロングセラー、大ヒット商品の『激落ちくん』を持ってきて、
「これでこすったら落ちるかもしれない」と言うではないか。

それにピンときた私は(明らかに間違った直感)、
マジで消せるかもと思い、早速、夢と希望で心を震わせながら、
とりあえず手始めに一つのシミをこすりまくった(夫まで参戦)

・・・結果、激落ちるどころか血が出て、かさぶたになり、
後日、かさぶたの下からは微塵も消えていないシミがそのままの姿を現した・・・

という愚かなエピソードを、今日の昼下がり、
ソファーに寝転びながら「ああ、顔のシミなんとかなんないかなあ」と思いながら、
ふと思い出したのであった・・・。

警告・キケン:「激落ちくん」は決して人体の皮膚に使ってはいけません。

(全然ディープじゃなくてすみません。)


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「我を忘れる」

2019年01月16日 | 音楽と歌と私と・・・
「我を忘れる」

の意味を調べたら、

物事に心を奪われてぼんやりする。
興奮して理性を失う。
「―・れて夢中になる」

と出てきた。
通常、あまり良い意味として使われない。
でも、この言葉通りに、「我を忘れる」ということができたなら、
それってある種の境地だ。
「我」という感覚を失くす。「我」が無い。
それはある意味、私、とか、あなた、とか、木、とか、
動物、とか、ゴミ箱(!)とか、ブランコ、とか、
とにかく宇宙に存在する全ての
「一見個々に見える」存在・エネルギーと
「完全に一緒くた」になることなのではないだろうか。

先に投稿した「本当のところ」を読み返すにつけ、
「ああ、私って本当にまだまだだなあ」と思う。
(まあ、境地に達してるのなら、
そもそも肉体持って生まれてくる必要もなく、
今頃、アセンデッドマスターとして働いているだろう。)

「我」があっては本物は届けられない。
歌手として本物を届けたいのであれば、
究極的に私はスッカスカの「通路」にならなければいけないのだ。

自分が自覚できる「我」なんてものは、大したものではなく、
もっとデカいものに身を委ねることができなければ、
そのパフォーマンスの程度は知れている。

私がせいぜいできることは、
どんなものに対しても通路になれるように、
体のメンテをすることくらいだ・・・

自分が歌っているようで、自分ではない。
でも自分なんだけれど、自分だけではない。

「すっかり我を忘れちゃってるよねえ、あの人」
っていう歌手になりたい、死ぬまでに!

で、やっぱり魂が踊り狂うほど喜んでいることだな。


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