AYUKO Soul Quest. "スピってるがフィジってる"

元気になってくれ。
自分にときめいてくれ。
そして愛を見つけてくれ。

私にとっての歌とは あの頃と今

2022年07月30日 | 音楽と歌と私と・・・
私は30代前半、
なんの興味もなかったのですが
ご縁があって、ある先生のもとで
一年間ボイス・ヒーリング(声の波動を使ってヒーリングする)を
学ぶことになりました。

ボイスヒーラー養成講座であったわけですが、
ヒーラー?は?私が?という「場違い感」のもと、
そこからの一年は私にとって人生の転機、
というか、心の中の最大のシフトが展開されたのでした。
(それについては過去にいくつかブログに書きました)


さて先日、
その先生(と言っても一才年下、で、今はお友達、で、今はヒーリングはとっくに引退されて、
内装の会社の社長をしていらっしゃる。バリバリの超やり手ビジネスウーマン)と、
当時の仲間、今も大っ好きで大切な友達、の三人で、
(三人で集まるなんて10年以上ぶり?)昼飲みをしました。
(まさかの8時間@サイゼ in 恵比寿)


後半、あの頃の話になったのです。
つまり20年近く前になります。


そして、(先生が)私に初めて話してくれたことがありました。


先生とは全く繋がりのないある人から、先生の話を聞いて、
けれど私はとても興味があったので、
本当に「好奇心」で彼女にヒーリング&カウンセリングセッションをしてもらいに会いに行きました。

当時、歌のことで今後どうしようと悩んでいたので、
そのことについて相談でもしてみようと。
(本当にその程度)


ここからが初めて知ったこと。


私が現れて、彼女が最初に見たものは
私の母(後で実際の母に会って、それは私の母であったことを確信したらしい)が
私の背後から覆いかぶさるようにいて、
私を鎖のようなものでグルグル巻きにしているような姿であったと・・・


その後私と話をしている間も
「あなたは裏切らないわよね。あなたは裏切らないわよね。」という言葉が
母から聞こえていたという・・・



この下りだけだと
『うしろの百太郎』か!という怖さ。

いや、私も怖かった。



初めて聞いた。
だけど、今なら分かる。
よく分かったよ、これまでのことが・・・



その時に先生は
「ああ、これをなんとかしてあげないと、この子は歌えない」と思ったそうだ。

私がわざわざアメリカの音大に行ったのも、
「お母様から離れるため」って後に言われた。
その時はさっぱり意味が分からなかったけれど・・・


母は、成功し大変裕福な作家(母にとっての義父)の息子(つまり私の父)のところに嫁いだ。
昭和時代のお話。

細かい話は割愛するとして、
先生曰く「お母様は本当に必死だったと思う」と。



母は必死であった・・・か。

自分も子供も「きちんと」「ちゃんと」していなければならない。

小さいながらも、私は母の夢と希望と期待を一身に受けているのは
無意識でも感じていたと思う。

「ここに嫁ぐこと」によって
彼女が諦めなければいけなかった夢、
諦めなければいけなかった自由、
諦めなければいけなかった自分。
でもそれに対してどうすることもできなかった自分。
「なんにもない自分」・・・。

私は母の「夢」だったのだ。
それは分かっていた。
私は母の夢を背負っていたこと。
母が叶えられなかった夢を私が叶えること。
母の代わりに生きること。

思えば私はいつも一生懸命だった。
無意識に、一生懸命だった。
それは母の夢と希望を背負ってのことだったのだろうか。


私はいつも「ちゃんと」していた。
私はいつも頑張っていた。
ぎゅーぎゅーに縛られていることも感じず、
当たり前のように。
だからいつも疲れていた。

それ故だったか、感情の起伏がひどかった。
特に落ちる時はひどい落ち方をしていたな。


小中高の友達に聞けば
「あゆちゃんはいつも頑張ってた」って口を揃えて言うんじゃないだろうか。


でも、頑張るのはいいことだと思っていたし、
ちゃんとしていることは、もはや「当たり前」のことだった。


かと言って、私は頭の固い優等生というわけでもなく、
また母はそれよりもむしろ、
「勉強はできるが、しっかり外で遊んでる」のがかっこいいと思っていたので、
中高の時は驚くほど自由を許してくれていた。


・・・と書きながらも、
ああ、私は「母の代わりに青春やってたのか」と思い始めた。


お嬢様的な感じを身につけることも、
ちゃんとしているように見せるのも、
まあ、一つの処世術のようなもので、
それらは決して悪いものではなく、
役に立てられるものだ。


問題なのはメンタルの方。



先生から先日「まさかの怖い話」を聞いてからの、
でも腑に落ちての、
今、思うことね。



私は小学1年生の時に松田聖子に恋に落ち、
そこからLPが出る度に父に秋葉原で買ってもらい、
全曲歌詞を覚えるまで歌うようになり、
中1からはそれが洋楽に移ったわけですが、
やることは同じ。
いつしかLPはCDへと変わっていき・・・。



私にとって歌は・・・



自分の心を自由にできる唯一のツールだったのかもしれない。
そこだけは「ちゃんと」しなくていい。
そこだけは私は自由に曲を選び、
自分が思い描く憧れの世界に浸れる。
もしくは「憧れの自分像」みたいな・・・


先に書いたように、
私の感情の動きというのは
辛いほどのものでした。
(今思えば。)


そういう感情を声に乗せ、
その声を歌やメロディーに乗せて、
「外に出してやる」というのが
どうしても必要だったのだと思います。


音楽、というより「歌」なの。
ピアノもやっていましたが、
言葉があり、メロディーがあり、声を使う、
歌である必要があったのだと思います。


中高の時に(英語)演劇部に入ったのも、
何かの形で安全に感情を出す必要があったからかもしれません。


少し前にある人に
「歌があって良かったですね」と言われたのですが、
今になって、ああ、そういうことか、と。



自分の中で渦巻く感情を「外に出してやる」必要があった、
と書きましたが、
私が一つのジャンルにこだわらずに、
色々なジャンルを歌っていたのも、
もちろん、それは勉強も兼ねていましたけれど、
外に出してやらないといけない心の中のもの、
満たしてあげないといけない、心の中で描いていた色々な世界、
をカバーするには、
一つのジャンルでは足りなかったからかもしれない。


2016年に5年間の休業を経て復帰した時に、
初めてディズニーやミュージカルのナンバーをやったのも、
「まだカバーしなきゃいけない私の内なる世界」があったからかもしれない、
と今だから思ったり・・・。



私は自分のために歌わずにはいられなかったのでした。
自分を救うために。
自分を守るために。


そして、自分を「証明」するために。


人のためなんかじゃなかった。
自分のために。
自分の存在証明のために。


でも、それも
30代前半で終わりました。


それは色々な理由がありましたが、
自分を守るための、
自分証明のための歌であるならば、
もういらない、
そういうことだったのかもしれません。


先生から先日聞いた初めての話、
実はその後数日尾を引きました。
すごく考えてしまったのですね。

母のこと。
母と自分。
絆なのか、鎖なのか。


そして、今も、無意識のうちに何かが残っている・・・きっと。


それが急に怖くなってしまってね。


私は未だに「母の夢全部を背負って生きているのか」と。

じゃあ、「私」は一体どこにいるのか。
「私」って誰なんだ。


ってね。


でもね。それを突っ込むのはやめた。
今の私は、十分に今の私だ。
ここまで成長し、ここからも成長する私がいる。
肉体の年齢は50歳だけど、中身の成長にはそんなの関係ない。



こうやって
満を持して(?)先生からの話を聞いて
過去を振り返ったり、今の自分の確認をしたり、
そうやって、ちゃんと大切な機会を与えられているということは、
ここからの自分の成長過程も信頼すればいいじゃないかと。


誰もが、父と母から影響を受ける。
それは避けられない運命だ。
たとえどちらかが不在、どちらも不在で育ったとしても、
不在としての父と母がいる。

みんなにいる。


良い影響だか、悪い影響だかなんというのは後付けで、
「今の自分」の幾らかの割合はそれで形成されている。
でも結局、じゃあ、どうする?というのは自分の選択で。

恨むも、感謝するも、
「今の自分」をどう捉えるかだと思う。


母は母で懸命だった。
彼女の夢と希望という情熱でもって私を懸命に育てた。
それを全て背負ったのはなかなかのアレだったし、
頭と心への打撃も相当で、思えば、多分それで30代にパニック障害という形で
爆発したのではないかと、色々今になって辻褄が合ってきたけど、今も生きてるし、
そういう「執着という情熱による縛り」がなければ
私は歌を必要としなかっただろうと思う。


つまり歌手AYUKOは誕生しなかったわけよ。



そしてね、
かつてのように
「自分を救うために、守るために、証明するために歌うこと」は
もう必要なくなった今、


私は今度は自分の意思で、
自分を自由にする。


二つ前のブログ『パンドラの箱〜あの時の私が諦めたこと、そして夢』に
書いたように、

誰に言われたのでもない、
自分が本当にやりたいことを「ちゃんと」やる、笑。
(これこそ正しい「ちゃんと」。)

音楽を通し、歌を通し、
好きなように、自由に、表現をする。
そういう本当の自分をさらす、
という意味で、
私は人のために歌いたい。
ここからは。


母の夢から
私の夢へ。


かなりタフな基盤を作ってくれたのは母。
母を許すこと。
母に感謝すること。
そして私を許すこと。

今だから。


親はどんな形であれ、
「愛」について教えてくれることは確かだ、と思うのです。


どう学ぶかは
自分次第。


そしてね、
私の母はそれでも、ちょっと(相当?)形が崩れていたとしても、
精一杯私を愛してくれた、
いっぱいいっぱいのところで、
愛してくれたのだということは、
私は忘れてはいけない。




そして今、もう一つ先生に当時教えてもらったことを思い出しました。

一人一人が「愛のビーカー」を持っているとして。
親の愛のビーカーはいつも満杯ではなくて。
(愛が)足りないんだって。
だから、こちらから(愛を)注いであげて、
そこから溢れてきたものをこちらはもらうんだ、って。


皆さんはこのお話をどう思いますか。










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誰かに愛されたいと思う時

2022年07月20日 | 人との関わり(愛とか)
愛されたいと思う時、

その根底には「自分は愛されていない。愛される価値がない。」というものがあるのです。
それが真実だと思っているからです。


「愛されたい」という欲求は「自然な」ものなのだろうか、
と私は考えました。


その欲求があるということは、
やはり「愛されてない(と思っている)」という前提があるはずなのです。



その前提は本当なのだろうか。
それは自然な状態なのだろうか。



誰かに愛されたい、ということは
その欲求が満たされるか否かは、
その自分以外の誰かにかかっている・・・。


自分は愛されてない、
だから愛されたい。


自分は愛されてないという考えを前提にすると、
どういう結論に至るか。


それは。


「自分は愛されるために、何かしなければいけない」


となります。


つまり。


「自分は愛されるのに十分ではない。
だから、愛を『得る』ために
プラスアルファ、何かをしなければいけない。」


ということです。



それは愛を乞うことです。
愛を乞う、ということは、
自分は愛される価値がない、という前提です。


自分は愛される価値がない、という前提があると、
どんなに愛を得るために何か努力しても、乞うても、
自分はそもそも愛される価値がないと思っているわけですから、
愛されるどころか、
「愛される価値のない自分」に値するものを受け取るだけです。
「愛される価値のない自分」に値する人を惹きつけるのです。



そう。
「誰かに愛されたい」という思いの根源はそこなのです。


つまり、誰かに愛されたいと思っている限り、
誰かに愛されるということはないということです。


更に言うと、
愛されていても、「愛されている」ことに気づかないのです。
差し出されている愛を無意識に拒むのです。


だから、あなたの中では
「自分は愛されていない」となるわけです。



自分は愛されている、愛に値する、という真実に気づかない限り。



では。
自分は愛されている、愛に値する、という真実に立ち返るとどうなるか。



愛を「必要としなくなる」ということです。
それは全世界に背を向けるとか、
愛を拒むということではなく、


必要としなくなる、
つまり、愛に値する自分に値しないものはやって来ない。

つまり、あなたはただ「愛される」のです。
必要とする必要がないということです。


だって、愛以外のものは入ってこないのですから。



自分が愛に値する、ということは、

最上級、最高級に値する。
それより下はない、ということなのです。


自分が愛に値するという真実に立ち返ると、
「自分に値しない、こと、もの、人」を見極めることができます。


そして、自分に値しないものを「拒む」力を持ちます。




先ほど言ったよように、
「自分が値すると思っているもの」が
そのままあなたの現実を彩ります。



言うは易しでしょうか。



そうすると今度は。



「どうやって自分の真の価値」に立ち返ればいいのか、になります。


そもそも、何が、どうやって、
あなたを真の価値から遠ざけたのか。


あなたの真の価値は不動です。
これは絶対です。
絶対なのです。


歪められているのは、
あなたの「思考」です。
あなたを「自分の真の価値」を忘れるようにしたのは
「思考」です。


ではそのような「思考」は
どうやって、どこで、形作られたか。



あなたが生まれて
ここまで経験して得た、
「嘘の情報」です。


それは親かもしれない、兄弟かもしれない、友達かもしれない、
恋人や伴侶かもしれない。
学校や社会で教えられたこと。
メディア・・・など、全部、「外側から」受け取った情報です。



その中の経験で、

「自分はダメなんだ」
「自分は十分ではないんだ」
「自分は愛される価値がないんだ」


と思わされることがあったのだとしたら、
そしてたくさん傷つき、悲しんだのだとしたら、



それらは全部嘘です。



もちろん完璧な人もいなければ、
過ちを犯したことがない人もいない。
私たちはそうやって学び、成長してゆく。
みんな、同じ道を歩んでいるのです。


真実は


愛に値しない人などいない。



ということです。
どんな極悪人と言われている人でもです。


では極悪人がなぜ極悪人になったのか。
嫌いな言葉ですが、ダメ男とかダメ女はなぜそう呼ばれるのか。



なぜなら、彼ら自身が「自分は愛に値しない」と思っているからです。
自分が自分を極悪に、自分をダメ、にしているのです。
自分で自分を愛から遠ざけているのです。



自分は愛されている、自分は愛、最上級のものに値する、
という真実に立ち返るためには、



「嘘の情報」を「それらは嘘だ」と知ることです。



「知る」のです。
自分の真実の部分が「知っているはず」なのです。


そこに断固として行くのです。


断固として、という理由は
このプロセスはそう簡単ではないからです。
「嘘の情報」をずっと本当だと思ってやってきたわけですから、
その嘘のパワーは強いのです。


とても勇気がいることなのですよ。


それだけ、長い時間の中で「あなた自身のパワー」は
その「嘘」に奪われていたのです。


一夜にして「はい、すっきり!」とは行かないでしょう。


「自分はダメなんだ。十分ではないんだ」と思うようになった経験を、
その一つ一つのトゲを
一つずつ抜いていかなければならないのです。



何度も何度もその「嘘」に負けそうになりながらも、
「断固として」「それは嘘だ」と言い放ち続けるのです。
そこから、勇気を持って離れ、
自分が本来いるべきところにRISE UPするのです。



私は誰かに愛されたい
だって愛されてないから


それは愛ではなくて「欠乏感」です。
自分に対する。


それは嘘だ、ということに気づくこと。
自分はそもそも最初から何も欠乏していないと。



結構前に「引き寄せの法則」というのが流行りましたね。
表面的な欲にまみれた人たちが飛びついたでしょうね。
(だから、あのムーブメント、私は大っ嫌いなのよね。)
この法則は宇宙の法則であり、真実です。


お金が欲しい、恋人が欲しい、
あれが欲しい、これが欲しい・・・いいでしょう。


引き寄せの法則を表面的に学んでもこの魔法は使えません。


「思考」が「現実を引き寄せる」とはどういうことでしょう。


自分が成功した姿をイメージする。
自分が誰かと幸せになっている姿をイメージする。


ただこの法則に飛びついた人たちはここで止まったでしょうね。


この真髄とは

自分が願っているものに、
「自分は値する」と知ること。


です。
どんなに願っていても、
深いところで自分はそれに値すると思っていなければ、
どんなに毎日毎日「夢を想像しても」無駄です。



本当の引き寄せの法則の意味とはそういうことです。




なぜ今回、こんな話になったかというと、
私自身もそのプロセスにいるからです。
ここまで書いてきたことは私が体験してきたことなのです。
私自身も今やっと「本気でこれに気づいた」というところです。

自分自身に対して「気づけ!」と言っていることを
今日は皆さんとシェアしたかった。



「言うは易し」かもしれない。
でも、実行してみることこそ意義がある。




人間の生とは
愛に返る旅なのだと思うのですよ。
そしてすごく勇気がいる。



最高級、最上級(愛)を受け取るということが
なぜこんなに勇気がいるんだろう。



だからこれ以上「自分は愛に値しない」という嘘を受け入れちゃいけない。

誰も、何も、あなたのその価値を奪える人はいないのですから。


自分の中の愛を、力を、取り戻す。
愛に返る。
生き返る。




外側からの価値判断なんてものともしないのさ。
You are Queen. You are King. That's what you really are.
それは物質的なものじゃない、それはメンタリティーです。






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パンドラの箱〜あの時の私が諦めたこと、そして夢

2022年07月19日 | 音楽と歌と私と・・・
昨日のブログ『自分の「本当の好き」を見つける』で、
私はここからアーティストとしての歌手としてやっていく上での
課題について書きました。

善は急げ?

急ぐ必要はないのですが、
私は昨日から早速「私の好きな音楽徹底解析」を始めました。

パソコンのPagesを新規で開き、
色々なカテゴリーを作りながら
これまで自分が好きになった音楽、
歌った曲を振り返り、カチャカチャと打ち始めました。


その作業を始めると止まらないのでした。
つまり、私は「今やりたいことをやっている」ということです。


私もやり出すと、
炭二郎に負けず劣らずの(いえ、劣りますが)「全集中」が可能になるのですが
久しぶりに脳みそをフル回転したがために


疲れた・・・。


が、やる気は満々でして、
今朝もその全集中でもって解析を進めました。


私はこれまである意味、
その場その場で「歌いたい曲」を選んできたので
このように客観的に自分の傾向やスタイルを
分析、解析をするのは初めてです。


ですが、
色々なものが早速見えてきました。


その場その場、と言いつつも、
(当たり前ですが)好みがあるわけで、
その傾向がはっきりと見えてきた。


音楽的にです。


「〜だろうな」と薄々分かっていたのが
「やっぱりな」という感じです。


始動二日目で随分と見えてきましたよ。
(全集中のなせる技、ふふ。)
でもまだ分析段階ですから、
ここから実技といいますかね、
ここから「オリジナルに落とし込む」作業、
つまり頭だけではできないクリエイティブ作業が待っています。
きっと一筋縄では行かないと思います。


でもね、やらないといけないのです。

やってみないと分からない。
(曲を)書いてみないと分からない。
だからまずはやるしかない。



そんな感じで腹を括りましたよ。



そして私は驚くべきことに気づいたのでした。
過去に封印したことすら忘れていたことでした。
当時、私は封印したつもりはなかったのです。
でも・・・私は封印したのですね。
あの頃。



昨日今日と色々分析してみるとね、


私はやっぱりSoul Musicが大っ好きなんだ。



ということが分かりました。
いや、私に近しい人々たちにしてみれば、
「は?今更何言っちゃってんの?そんなの明らかじゃない。」かもしれない。


けれど、
私の中では違いました。
もちろん大好きなのだけれど、
自分がその音楽を本気でやることは・・・



私はとうに諦めていたのです。



そうだ。
あの頃、私は「諦めた」んだ、と。


それに気づいたのでした。
「諦めた」という言葉が出てきた時に
正直、私はびっくりしました。



そこから私は遠い過去を思い出しました。



ボストンでの音大時代。
入学してすぐに観たGospel Choirのコンサートに衝撃を受け、
私はすぐに虜になって、そこからあらゆるSoul Musicを聴き始めました。
「私もあんな風に歌えるようになりたい」という一心で。


本場アメリカで、しかも音楽の専門大学。
「本場のSoul Singer」が周りにたっくさんいるわけです。
今更何を学ぶ必要があるの?っていうくらいすごい歌手もたくさんいました。


私はというと・・・


自分は日本人で、それを聞いて育ったわけもなく、
何から何まで最初から身につけなければいけない。


叶いっこないじゃん。
彼らに。


劣等感です。
凄まじい劣等感。


それでも虜になって、大好きになって、
私なりにとにかくいっぱい聞いて、練習して、
2年生ではようやく「夢のGospel Choir」の試験に受かって・・・


頑張ったさ。


なぜなら、大好きだったから。


なかなか伸びなかった歌のスキルも
3年生で出会った先生のおかげで
卒業する頃までには随分と身につきました。


けれど、
私はいつも「私はまだまだ」だった。
決して自信を持つことはできませんでした。
最後まで劣等感を手放すことはできませんでした。



そう。
それはね。


私自身が自分に偏見を持っていたからです。


日本人だし。
彼らの音楽に手を出すこと自体が図々しい。
恥ずかしい。
彼らみたいになれるわけないだろうが。
真似っこにしか見えないよ。
かっこわる。


そしていつしか
本当に「必死に真似している」自分に気づいて、
それ以上Soul Musicを追求するのはやめました。

でもずっと好きで、
ずっと歌っていたけれど、


今度は帰国した時に、
レコードデビューを狙っていましたが、
結局「日本語で歌わないといけない」と言われ、
そういえばとあるレコード会社のA&Rに声をかけられて
デモとして当時華々しくデビューしたUAの歌を歌わされて、
随分と違和感を感じたなあ。


アメリカの音楽が好きで
わざわざアメリカまで勉強しに行って、
なぜアメリカ由来の音楽を
日本語で歌わなきゃいけないんだ。



そうじゃないと売れないから。
(日本はそういう時代が長く長く続きましたね。
今も相変わらずその傾向は強いですが、
今は発信の仕方がたくさんあること、
多様性の広がり、自由があります。)



私はその辺りで、
多分、全部諦めたのです。


自分がアーティストとしてやりたいことを。
オリジナルを書くという発想もなかったですしね。
時折やるLIVEで好きなものを歌って
後は職業歌手として(こちらは)色々活躍させていただきました。




そして時間は過ぎて
時は今。


学生時代から30年経った今、
私は新たに本気で音楽をやろうとしている。


私の「オリジナルの世界」を音楽で表現しようとしている。


そしてね、
あの時の私と違うところは、



彼らみたいにならなくてもいいじゃないか。
っていうかなれないし、なる必要もない。
私のスタイルで私オリジナルのSoul Musicをやればいいじゃないか。
言語だって英語で書きたいならそうすればいいじゃないか。


だって、好きなんだから。




っていうところに辿り着いたということでしょうか。
そして、今は、自分が持っているもの、培ってきたものに、
ちゃんと健全な自信を持っている。(認めることができるようになった)



そして冷静に考えてみますと、
クラシック音楽はヨーロッパの人たちにしか演奏ができないのか。
いやいやオーケストラでもオペラでも
世界中の人がやっているじゃないか。
きっと、好きだからでしょ?
オペラだってその元々の言語でやってる。
だって、多分、それが一番美しいから。



私はアメリカ由来の音楽を
日本語で歌うことを否定しません。
それはそれで「新しいジャンルのへ挑戦」であり、
多くの日本のアーティストたちが
切り開いてきました。


ただ、私の場合は、

それらの音楽を英語で歌うのが好き。



というだけの話。


「〜が好き、というだけの話。だからそれやる。」に落ち着くまで
あ〜あ、30年もかかっちゃったよ。



自分への偏見や劣等感や自信のなさ・・・
周りにどう見られるか、どう評価されるのか・・・
オリジナルなんて書けないという思い込み・・・
それらが「好きを追求する」をずっと妨げてたのでした。



でも今回の作業で
パンドラが開いて
中から出てきたものがこれだったとは
私は予想もしていませんでした。



でもあの時「諦めた」自分を許そうと思う。
そうするしかなかった自分を。



けれど私はまだ生きている。
生きているということは、
「あの時できなかったことに挑戦できる」
ということです。



そしてもう一つ思い出したこと。


30代の頃だったでしょうか。


「私は一度でいいから
本気で音楽に取り組んでみたい。」


ということを思いました。
それはその結果として成功する、しない、よりも
何よりも、
私の「夢」だったのではないかと。



その夢を叶えるチャンスが
ようやく訪れているのかもしれません。





本来パンドラの箱というのは
「触れてはいけないもの、
実行すれば何が起きるか分からないもの」
という、ちょっとおどろおどろしい意味らしいですが、


私のパンドラの箱は
開けてもらうタイミングを
ずっと待っていたのかもしれません。


今だから触れられるもの。
そこに新しい発見をする。




怖くないやい!





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自分の「本当の好き」を見つける

2022年07月18日 | 音楽と歌と私と・・・
前回、前々回と
「ついに真っさらな更地になり、
なんにもない、なんにもない、全くなんにもない」
というのが
今の私の世界であると書きました。

厳密にいうと、
私の音楽の世界、
歌手としての私の世界です。


更地、なんにもない、
というのは目の前になんにもない、
ということであって、
ここから先必要なもの全てを既に持っている、
「私自身はすっからかんどころか、
満ち満ちている(はず)」ということです。


つまり、
ここから何を耕していくのか、
新たにどんな世界を構築していくのか、


そこが今の私の課題です。


そして具体的には
自分の「本当の好き」を見つける、見極める、
ということです。


長年、「職業歌手」をやって参りました。
そうするとね、ある意味、
なんでも歌えちゃうのです。
職業ということは、それだけのスキルを
身につけているからです。


しかし、
アーティストとして歌うということは、
「なんでも歌う」ではないのです。


私はここからアーティストとしての歌手として
歌っていくと決めたのですから、
「なんでもある世界」ではなく
「AYUKOの世界」を創っていかなければならない。
それこそが、アーティストとしての、
喜びであり、挑戦であると思います。


その一番最初の挑戦こそが、


私は何を本当にしたいのか。
私は何を本当に歌いたいのか。


そこを「知る」ことです。


・・・って、
つまりね、
私はまだちゃんと分かってない、
ということです。


だからこそ、
私はずっと前に進めないでいたのです。
ずっと足止めをくらっていたのです。


ということを、
私の親愛なる(シンガーソングライターの)友達と話して
やっと理解できたのです。


昨年末にしたLIVEで、
完全に全てが流れ去ったというのは、
そういうことだったのだと
今、やっと心底理解できたように思います。


アーティストとしてやっていきたいのなら、
あのままではいけない、
あのやり方ではもういけない、
そういうことだったのです。


ただ、これまでの自分を否定はしません。
これまでの自分を責めることも。


子供二人を産んで、
歌をやめるか、やめないかで悩み、
それでも「ここからはソロ活動をやる」と決意して、
2016年にワンマンライブで復帰して・・・


それがなかったら、
今の私はここに到達していなかったでしょう。

そして、復帰してからのLIVE全ては、
たとえ、今となっては「古いやり方」だったとしても、
私にとって大きな喜びでありました。


私にとって歌は喜びである、
ということを確認する旅でした。


だから今、
「次の旅」の準備をする時なのだと思います。

いや、きっともう始まっているのです。
(こんなブログ書いてるんだから、笑)



さて、
AYUKOの音楽の世界ってどんな世界なのか。


最初に「自分自身の中は満ち満ちている。
必要なものは全て持っている」と書きましたが、


それがドサっとですね、
ぐちゃぐちゃの引き出しの中のような状態なのですね。



あれも好き、これも好き、
っていうか、ぜ〜〜〜んぶ好き!
みたいな感じね、笑。


はい、はい、そうなのね、ですが、
ここから「本当に好き」を見つけないといけない。
漠然と、ではなく、明確に、具体的に、です。


復帰してからずっと困っていたこと、
それは、LIVEをやる時に、
全く別の、大きく違う二つのジャンル、
でも、どちらもどうしてもやりたい、
というのを同じLIVEでどうするか、ということです。


それは、

ブラック・ミュージックと
往年のミュージカル(ディズニーも含む)です。


大丈夫ですか?
人格、割れちゃってますか?


というくらい、
とにかく「混ぜられない」。


なので、
私は1st setはミュージカル系で、
2nd setでブラック・ミュージックやRockと、
Setで分けてやっていたのです。



そう、私は「ありもの」のカバーをやっていたので、
そうするしかなかったのです。


ちょっと前まで、
この先をどうするかと考えた時に、
一本に絞らなければと思い、
どちらかを捨てるしかないか、と思っていました。


ミュージカル系で押していって、
ブラック・ミュージックは趣味で、とかね。


二者択一、と思い込んでいたのです。


でも、どうもそれだと、違う気がする。
なぜ、自分の好きを諦めなければならないのか。。。




そして、先週、
久しぶりのその親友と会って話して
見えてきました。


彼女自身が経験してきたことが
私にものすごくヒットしたのです。



そもそも、昨年末のLIVEの後に、


あゆちゃん、あゆちゃんの本当にやりたいこと、
見つけなあかんで!
(大阪出身)


と言ったのも彼女でした。
その言葉がずっとずっと残っていたのですね。

そして、ようやく更地になっての、再会。
だからこそ、彼女の言葉がよく入ってきた。
今必要な情報を得ることができた。


まずは


自分の好き、を徹底分析すること。


一言ミュージカル、ディズニー系好き、
ブラックミュージック好き、
と言っても、決して全部の曲が好きということではないのです。

多分、ヒントとなるのは、
私が繰り返し、必ずLIVEで歌ってきた曲。


大きくジャンル別というより、
その自分が惹かれる「要素」とは何か。



です。


例えばある曲が好きだとする。
どこが好きなのか。

例えば、
歌手の声や歌い回し?
メロディー?
コード進行?
歌詞?
それともリズムの種類?
他の楽器の感じ?(そうなるとアレンジとかってなる。
そうするとどういうアレンジが好きなのか、という問いにもなる。)



ミュージカルとかディズニーの音楽が好きと言っても、
その世界のどこが好きなのか。

ブラックミュージックと言っても、
この中でまたカテゴリーに分かれていますから、
その中でもどんなものに惹かれるのか。
それはどうして?


絞れ。


彼女もこの作業をして、
そして分からないことは、
周りにいるミュージシャンに聞きまくり、
自分の好きの理由を理解し、
「私はこういうのが好きなんや!」に辿り着いたわけです。


そして、


自分の本当の好きの要素が分かったら、
それらを使って、ここからはオリジナル作れ!



とのこと。

やはり・・・


ちょっと前にブログでも書きましたが、
「私が避けてきたこと」でございます。


でもあれから、全く手付かずだったのです、正直。
でもそれは、「好きなもの、作りたいものが分からなかったから」
となるわけです。



でも彼女から話をたくさん聞いて
思ったのは、


そうやっていけば、
もしかしたら、
二者択一だったものが、


ジャンルを混ぜる、ではなく、
「本当の好き」という要素を混ぜ合わせて、

それこそ「私の世界」が可能になるかもしれない、
と思い始めたのです。


それこそがオリジナルの世界ということか。




まずは自分の「本当の好き」を徹底研究すること。


FOCUS! Dig Deep!



今、そんなところにいます。

ようやく、「一歩」踏み出せそうです。


(注:そして、聴くの大好き、それに合わせて踊るのも好き、が、
「そういうのを自分が歌いたい。歌ってしっくりくる。」とは限らないのも大事なポイント。)





「さあ、音楽のアルケミストになれるのか!」






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Total Reset (なんにもない なんにもない 全くなんにもない)

2022年07月14日 | 生きていると
今日は満月。
満月には何かが完了する、
何かがクライマックスを迎える、
そのように言われています。


五日前に『Clear Land(更地)』というタイトルで
ブログを書きました。


急に訪れた静けさ。
まるで自分の中が更地になったような。
ただ風が吹いているような・・・。


そこで思い出したのが、
懐かしき昭和のアニメ「はじめ人間ギャートルズ」の
エンディング曲の詞です。
(あれが名曲だと思っているのは私だけではないはず)


初めて知りましたが
タイトルは「やつらの足音のバラード」というらしい。


歌詞は3番まであるのですが、
私がよく知ってるのは一番。
私が前回のブログを書いてから思い出したのも
この一番の歌詞でした。


以下、1番の歌詞。




なんにもない なんにもない
全くなんにもない
生まれた 生まれた
何が生まれた
星がひとつ
暗い宇宙に生まれた
星には夜があり
そして朝が訪れた
なんにもない 大地に
ただ 風が吹いてた
吹いてた



これは星(地球)の誕生のことでしょう。
2番以降は少しずつ生物が生まれてくる
恐竜が生まれてくる
最後にやつら(人間)の足音が聞こえてくる・・・
そういう歌詞なのですね。


今の私がいるところは
一番の歌詞のところなんだなと
この歌を思い出して思ったのです。
ぴったり来るな、と。


ようやく「なんにもないところ」に来た。
というか来てしまった。
・・・ということを認めた。


Total Reset



急に訪れた静けさとはそれか。

多分、人生で初めてかもしれません。
私の中にこういう場所があったとは。。。

常に動いてきて、何かに向かっていて、
ひたすらインプットして、
私なりにアウトプットして・・・


そして今、必要なものだけが残り(それが何かまだ分からない)
あとは全部ごそっと去ってしまった・・・


なんにもない更地
平原が広がっていて
そこに風だけが吹いている・・・


生まれたのは・・・
新しい私だ。


けれど、まだなんにもない。


新しいと言っても、
何が新しいのかもわからない。
ただ、多分、新しいのだ。


でも「ふりだし」に戻ったのではない。

これまでに培った、ここから必要なもの全てを
携えてるはずだと。

ただ、ここから、それらがどこで、どのように使われるのか、
それすらも今は分からない。


なんにもない大地にただ風が吹いているだけ・・・


その大地にこれから何が生まれてくるのか、
なんの足音が聞こえてくるのかも
今は全く分からない。


急な静けさが訪れて
その朝はやたらと不思議でやたらと心地よかった。
でも次の日には怖くなった。
そんなこと今まで経験したことがなかったからだ。


そりゃそうだ、新しい、というのは、
未経験ということだ。
未知の世界ということだ。



Total Reset



それを認めることにした。

この静かな平原状態だっていつまで続くかも分からない。
もう二度と味わうことがないかもしれないから、
ちょっとばかし居心地は悪いけど、
味わってみようかと思ってる。


星がひとつ
暗い宇宙に生まれたのだとしたら
それは自然の摂理だ。


夜に朝が訪れたのだとしたら
これから新しく色々なものが「見えてくる」に違いない。


それは私の外界が全く新しく変化する、ということよりも、
私がそれらを「新しい目で新しく見る」ということかもしれない。


新しい経験、新しい知覚、
「新しいもの」を受け取ってゆく。



「ここからは全てが新しいのだ。」


そのつもりでいこう。


ひっそりと生まれた
新しい星の上で。。。




↓って、全然ひっそりじゃないじゃん、笑。






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