AYUKO Soul Quest. "スピってるがフィジってる"

元気になってくれ。
自分にときめいてくれ。
そして愛を見つけてくれ。

避けてるところに何かがある?

2022年05月28日 | 自分を変える、どう変える
避けている・・・
避けてきた・・・


ありませんでしょうか。


私。
あります。


気づいていましたが、
色々と言い訳をつけて無視していました。


それは何かと言うと。


『オリジナル曲を書くこと』


あぁ・・・。


私はもともと「歌うこと」が好きでした。
それはずっと。
若い頃(10代)からオリジナルのものを書きたいと思ったことがなく、
それは「避けていた」ではなく、
本当に興味がなかったのです。
とにかく歌っていたかった。色々な楽曲に挑戦していたかった。


それがあって、
アメリカの音大に行った時も、
パフォーマンス科を躊躇なく選択して、
とにかく歌うことのスキルを身につけることに集中しました。


良いのです。
それで良いのです。



歌うことを学んだと同時に、
音楽理論も一通り学ばされたので、
オリジナル曲を書くための術は身につけていました。


思えば。
学生時代の最後の方に
生まれて初めてオリジナル曲を作って、
そういやレコーディングまでしていました。


でも、
決してそこから書き続けることはありませんでした。
やはり、そこからも歌うことに一番興味があって、
スキルとか表現力とかの探求が続いたのです。


だから、
その時点ではまだ「避けてない」のね、笑。


ちょうど30歳前後のあたりでしょうか、
「やっぱ、オリジナル曲とか書けた方がいいのかな」と
ほぼ強制的に作詞作曲モードに自分を入れたことがあります。


シンガーソングライターの方々はきっと、
オリジナル曲を歌ってなんぼ、だと思うので、
多分常にアンテナを立てているでしょうし、
産みの苦しみはあれど、
オリジナルを書くというのは、
自然、当たり前、のことかもしれません。


ですが、私の場合は、
「よ〜し、書くぞ!」とスイッチを入れて、
わざわざアンテナを立てて
(アンテナというのはインスピレーションをキャッチするためのね)
まさに「挑む!」という感じになります。


それでも、その時、書こうと決めたのでした。
今でも全部残っているのですが、
その30代前後のオリジナル曲、結構あるのです。
英語だったり、日本語だったり、色々。
それでね、これがなかなか・・・


悪くないのよ、笑。


作った曲のいくつかは実際ライブでも歌ったりしました。
ここ数年、歌手復帰してからのライブでも、
あの頃の曲を何曲が歌ったりして。
悪くない。くるしゅーない。


で、その30代前後、
ライブでもオリジナルを歌ったりしましたけれど、
やはり「書き続けよう。オリジナルを歌って行こう。」とは
思わなかったのです。


なんか。
自信がなかったのです。


「自信がなかった」・・・
はい、ここからですね、
「避ける」ようになったのは。


以前のような「とにかく歌うことに集中したい!」とは違う何かが
入り込んできたわけです。


自信のなさからでしょうか、
あの時も、ここ数年のライブでも、


オリジナル歌いました。
悪くない。
で?
そんで?
オリジナル書いたからどうだっつーの?
はい、書けますけど?
でも、特に「みんなに伝えたい!」とかっていう、
なんていうか、メッセージの押し売り的なのやだしな。
それに、素晴らしい楽曲が既にこの世にあるじゃない。
今更?今から?
すごいソングライターなんて死ぬほどいるじゃん。
私は「歌手」なんだから、
そういう楽曲をいかに私のワールドで歌うか、
そういうフォーカスでいいんじゃない?


と、まあ、いくらでも
やんややんや出てくるのですがね。



最初の話に戻りますけど、
「避ける」というのは、
そこにそのための意思が存在しますわよね。

避けたい何かがあって
その存在をちゃんと認識していて
意思で持って避ける。


本当に興味のないもの、
素通りするのものって、
認識もしませんもの。
スルーよ、まさに、自然なスルー。
避けるも何も、「ない」から。



・・・なんてことを
最近、あるテレビのニュースで紹介されていたアーティスト、
まだ16歳という若さで、オリジナルを作って歌っているのですが、
その女の子のインタビューを見て(見ちゃって)

気づいてしまったのですね。

気づいてたけど、無視していたことを、
やはり気づいたと認める、ということです。


彼女が言っていたこと、
「自分の気持ちとかを
ただ自由に音に乗せて歌う・・・」
とかなんとかっていう部分が
すごく私の心に残ったのですね。


特に
「自由」という言葉。


何かを創造するのに、
そこに自信とかそういうものなど必要ないのです。
ただ「自由に」やってみること。
出てきたもの、できたものをジャッジせずに
自由に、その時の感覚を通して、
表現してゆく。
それを続けてゆくと、
創造の「通路」みたいのがどんどんクリアになってきて、
どんどん「そもそも創られようとされていたもの」が
よりリアルに表れてくる・・・。



確かに
私は元々「歌うこと」そのものが大好きでした。
もちろん今も。


けれど、
多くの音楽、歌手、楽曲を聴いてきて、学んで、歌って、演奏して、
私の中にはたくさんの「インスピレーション」が
あるはずなのです。
それはそれはたくさんの。
先人たちが残して、リレーで繋げてきてくれたもの。


何か、そろそろ、
「自分が歌いたいもの、自分で作っちゃえば?
こういうの歌いたい、そういうの作ればいいじゃん?
メロディーも言葉も、ぜ〜〜んぶ、
自分にとって『どストライク』なもの作れば?
だって、もう知ってるでしょ、どんのが好きか?」


自分好みの美味しい料理を自分で作って食べる、
みたいな、笑。


避けてること。
避けてきたこと。


普通に引っかからずに流れいたものが、
「避けるべきもの」となった時、

それは、
そこに「何かがある」ということなのでしょう。
何があるかは、やってみないとわからない。
だけど「避けている」ということは、
ずっとそれは追いかけてくると思うのです。


例のニュースで見た女の子の話。

同じ日だったか、次の日だったか。

譜面を並べてある棚があるのですが、
薄いファイルがなぜか床に落ちたので、
それを手に取ってみると・・・



ギャギャギャ。
それは書きかけのメロディーとか
いつか使ってみたいと思って書き留めていたコード進行とかの
五線譜を入れておいたファイルでありました・・・



あぁ。

「やれ」と言われている気がする。


一応。


ピアノの上にそのファイルを乗っけておいて・・・と。
いつでも書けるように・・・と。



距離がじわじわと近づいていますが、
(今もこれを打っているところから
ピアノの上のファイルが見える。)



まだ現在、互いににらめっこ状態でして。
いや、もう決着はついている。


将棋の戦いのようですな。
相手(ファイル)は
こちらが「参りました」というのを待つのみ。
こちらは時間ギリギリまで「言わない」みたいな。


時間ギリギリまで言わない。
言うもんか!


もう決着ついてんだから、
分かってますから、
最後まで地団駄を踏んでやる!




威圧感すらある余裕の態度を見せる、オリジナル曲ファイル。。。







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Illumination

2022年05月26日 | 自分を変える、どう変える
自分の中に
隠れていたもの
隠してきたものに
光をあてると


自分が遠い遠い過去から
持ち運んできた
未だしがみついている怖れが
見えてきます。


そこから手を離すことが
きっと魂の成長ということなのだと思います。


自分が遠い過去に明け渡してしまった
本当の力を取り戻すこと、
それは結局のところ愛、
愛という力なのですが、
そのためには
「怖い、怖い」でいっぱいになっていたところを
きれいに空けなければなりません。
「怖い、怖い」で曇っていたところを
クリアにしなければなりません。


自分の魂が本当に望むもののために
そしてそれも、結局のところ愛、なのですが、
それが入ることができる場所を空けなければなりません。


その場所が空いてくると、
まず希望が見えてくるのです。

希望が見えてくる、ということは
「もともと魂が知っている」
ということです。


その場所から見ると、
なぜだか、
自分も自分の大切な人たちも
ちゃんと守られている、
ちゃんと繋がっている、
と知るのです。


自分がしがみついている「怖い、怖い」から
手を離すという作業、
それは大きな変容が促されているわけですが、
それは蛹から蝶へと変身するようなものです。


それは自分一人でやるしかないことで、
それは「時」が鍵を握っているのかもしれません。


でも時が満ちた時に
深い魂の繋がりを持っている人とは
ちゃんと再び同じ道で一緒になる。
きっと変容とは、ほんの通過点です。
そんなことも含めて、
つまりそれぞれが必要な蛹から蝶への変身を促されながら
一緒に幸せを体験することは
そういう魂同士で遥か昔に約束したこと・・・そんな風に思うのです。



でもそれを証明するものなどありません。


ただあるのは、
Soul Knowing(魂は知っている)と
それに対してのFaith(信じること)のみです。



Let real love speak...
そうしたら、どんなことだって乗り越えられるのに。








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Ever-unfolding Rose

2022年05月23日 | 詩と言葉
棘のないバラがあるのなら、
私はそんな風になりたい。


つまり
棘で自分を守る必要がないほどの
強さがあって


その強さとは

中心から外へ向かって
永遠に花びらが開いていくように

傷つくことを怖れることなく
自分を開き続けてゆく

何を疑うこともなく
今に咲き続けるように

無条件のFaithをもって
完全に丸腰になる

そういう強さと
美しさと

そして
決して完璧にはなれない
人間らしさと

それら全部が全部で
棘のないバラのようになりたい



Ever-unfolding










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バークリーでの体験

2022年05月21日 | 音楽と歌と私と・・・
今日はなんとなく私の学生時代のことを
振り返っています。


これが読者の皆さんにとって
興味深い内容かどうかは分かりませんが、
私にとっては備忘録のような、
そんなようなものかもしれません。


バークリー音楽大学( Berklee College of Music)というのは
米ボストンにあるアメリカ・コンテンポラリー音楽の専門大学です。
Jazzで有名ではありますが、
ジャンルはJazz/Soul music/Rock/Pop/Latin...
考えられる全ての現代音楽を扱っていて、
コース(学部)においても、
私が取った、演奏自体を勉強するパフォーマンス科から、
作曲、アレンジ、フィルムスコアリング(映画音楽)、
ソングライティング、レコーディングエンジニアリング、
先生になるためのMusic Education、
その他、たくさんのものがありました。
あれから25年も経ちましたので、
今はきっともっとあるだろうと思います。



今「あれから25年も経ち・・・」と書いて、
改めて、ああ、25年も経ったのかあ!と感慨深いです。



さて、かの(?)バークリーでの経験はどうだっのかと聞かれると。



何よりも宝だと思える経験は
あらゆる人種、あらゆる国の人たちと交流できたことです。
もちろん、音楽の学びも大層貴重なものでしたけれど、
一番心に残るのは、「彼ら」との交流。
もちろん音楽が媒体となっていることで、
そこに感性の交流も起こります。


アメリカの音楽を本場で学べたことは
本当に素晴らしかった。


でも、それに更に加えて、
地球上の色々な人たちがそこに集まり、
出会えたこと、新たな文化を知ることができたことは、
それはそれは私にとって大きな経験でした。


そして、「色々なバックグラウンド」を持ちながらも、
やはりみんな「人間」なのです。(って当たり前なのだけど、笑)
生まれた場所や育った環境が違っても、
みんな人間で、共通することろもたっくさんある。
悲しかったり、嬉しかったり・・・みんなおんなじ。
笑顔はやっぱり誰の笑顔も素敵で、
何かが「通じ合った時」の嬉しさなんかも、みんなおんなじ。


何を持って、肌の色の違いがどうとか、国の違いがどうとか、
って言うのだろう、と思うようになりました。


で、もちろん、人間ですから、
そういう表面的な違いを超えて、
ムカつく奴はムカつくし(笑)
いい奴はいい奴なわけで、

結局のところ「その人」がどうなのか、というところだと思います。


ただ、確かに文化の違い、慣習・習慣の違いはあり、
それを理解していないと「あれれ?」と思ったり、思われたり、
不快に思ったり、思われたり、そういうことはあるのです。


だからこそ「知る」ことは大切なのだと思います。
自分の知っていること、常識は決してみんなのものではない、という自覚でしょうか。


でもね、やっぱり「その人」が放つもの、
それは違いを超えて伝わってくる。
それは違いを超えた、その人中心からの輝きだったりとか、
愛だったりとか。


そして彼らとの交流を音楽を通してできたことは、
それはそれは幸せな体験だったと思います。


まだまだみんな学生で未熟ですから、
みんなで音を作るというよりは、
自分、自分、になっちゃうことも多かったのですが、
それでも一緒に「いっせーのーせ!」で音を出せるって、
(今でも思いますが)本当にワクワクすることです。


バークリーで音楽的に学んだことは数知れず。
そしてその頃が一番、音楽を聴いていたと思います。

学校のすぐ近くにタワーレコードがありまして
ほぼ毎日通ったと思います。
気になるアルバムを片っ端から試聴したり、
ある時は全く知らない歌手のアルバムを
あまりに強烈な「お顔」だったのでジャケ買いしたら、
大当たりで、その後聴きまくったとか。
(それはEetta Jamesという歌手です。)


私はボーカルを学びに行ってましたので、
とにかく「歌もの」を日々探して聴いていました。
音楽鑑賞としてではなく、
勉強になる歌手を聴いて、練習して、真似して、
それをすることによって、自分に必要なスキル、
練習すべき点が分かりました。


私は当時は歌手としては劣等生でしたが
周りには「あなた、勉強する必要ある?」というくらい
本当にうまい人がたっくさんいて、
自分が惨めで、悲しくて、本当によく泣いていました。
でも、それが、私にとって「どうやったらあの人たちみたいに上手になれるのだろう?」と
頑張る力の源であったと思います。


一つ、自分はよくやったと思えること。
それは、校内ではありますが、セルフプロデュースのショー(ライブ)
一学期に一回、やり続けたことです。

本当にうまい人たちは、周りから声がかかったりするからか、
実はショーをやるほどの勇気はなかったのか(笑)
意外と自分から何かをやる、という人たちがいませんでした。


そういう意味では行動力はずば抜けてたぜ、おいら。
すごい下手くそだったけど、
何か、やりたかったのですな。
それは今も変わりません。


そんな訳で、歌は上手くないが、ルックスはいい(生涯唯一の大モテ期)という
かろうじての自信でもって、
そして、歌いたい!表現したい!面白ことしたい!という気持ち一心で、
私はショーをやり続けました。
そして有難いことに、毎回たくさんの人たちが観に来てくれました。


下手だからね、
周りはすんごいスタープレーヤーで揃えるわけ。
集客のための見栄ではありましたが、
でも、みんな上手だから、貴重な体験をさせていただきました。
あの頃は、リズムセクション(ドラム、ベース、ギター、キーボード)に加えて、
ホーンセクション(3~4管)、バックアップボーカル(コーラス)3人、
一度はダンサーも加えて大所帯なショーをやっていました。


なぜ、そのようなことができたかというと、
当時、日本人のボーカリスト(今でも大切で尊敬する先輩友人)が
率先して大所帯の派手なショーを展開していたからです。
彼は主にPrinceの楽曲をやっていて、
当時はまだパソコンとか当たり前ではない時代、
彼は全てのパートを耳で聞き取り、
全て手書きで、見事なパート譜(楽器ごとの譜面)を書いて、
見事なリハーサルから、見事な本番まで持っていっていました。
ありがたいことに、私は彼のコーラスとして毎回参加させてもらい、
私は彼から大変多くのことを学んだのです。


ですから、
私自身も自分のショーをやるようになってから、
彼がしていたことを全部やりました。

それが、バークリーの授業で学んだいたことの「実践」となり、
そうやって色々なスキルが身についたのだと思います。



バークリーでの尊い「地球人異文化交流」、
そして、「音楽の実践」、
これらが私が体験して得た、宝です。



歌手としてのスキル(ご安心ください。
その後、3年生の時に素晴らしい先生と出会い、
下手くそな私はようやく必要なスキルを身につけていきましたよ)
においては、

本当に、自分のものとして、
自分の肌となっていったのは、
卒業して日本に帰ってからです。


色々な体験をしながら、
「必死の真似」から「私のものとして」のスキルへと
時間をかけて身につけていきました。


そうそう。
すんごいうまい人はたくさんいます。
でもね、人が聴きたいのは歌のうまさや音域ではないのですね。
「その人」を聴きたいのだと思います。

スキルはそれを助けくれるツール・・・
スキルに引っ張れるのではなく、
いかにスキルを「自分という人間の表現に使うか」、
というのが大事なことなのだと思います。



それは、だいぶ後になって分かったのでした。




という感じが、私のバークリーでの体験、備忘録でした。









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元の場所へ・・・

2022年05月13日 | スピリチャル&ヒーリング
東京は雨。
夕方から激しくなるらしいのですが
今は心地よい感じで

ちょうどショパンの「雨音」がぴったり、
そんな雨です。

雨好きの私ですが、
あくまでも家の中で、それこそ雨音を聞くのが好きで、
あえて外には行こうとは思わないのですが、

今日はなんとなく外を歩きたくなりました。

そこで思いついたのが、
近くにある子安神社という神社。
氏神様ですな。

大変失礼なことに
今年は初詣もしなかったという始末で
今更ではあるけれど、
お参りに行こうと。


小さな神社なのですが、
やはり神社と言えば、
そこの空気と、ご神木をはじめとする木々。

そこだけ異世界。


ちょうど昨年、神殿が新しくなったとのこと、
真新しい立派な神殿が建っていました。


雨の中の新緑も美しく、
緑の匂いと、なぜかどこからかジャスミンの香りも漂ってきました。


雨の中、歩いてきてよかった。


本当はずっとそこに居たいような気分でしたが、
はい、帰ってきて、今私は自分のベッドでこのブログ打ってます。


そう、雨音を聞きながら。

静かで心地よい午後。
ありがたいことです。




さて。



この1ヶ月ほど、
私はかなりタフな癒しの旅をさせられたように思います。


そもそも。
本当の癒しというのはタフなもので、
「気持ちいい〜〜〜癒される〜〜〜」なんて夢の話で


傷の「中に」入っていくものが癒しのプロセス
・・・ということが改めて分かりました。


以前にもこのブログに「ヒーリング(癒し)」について書きましたが、
どうもね、



その時期は選べない。


少なくとも顕在意識は選んでいない。
勝手にゴングが鳴って
「そういう出来事」が起こり始める。


一体誰がGOサインを出してるんだか。
でも、明らかに「始まる」のです。


そんなプロセスの途中途中で書いてきたのが、
この1ヶ月くらいのブログだと思います。


あるところにやっと着地できたと思ったら、
また引き戻され、
よーし今度こそは!と思って着地できたと思ったら、
また違う方向に持っていかれる・・・



どうも。。。
今回の旅というのは、
「はい!ここがゴール!おめでとう!」というものではなかったようで、
けれど、着地点と思っだけど、でも違ったいくつかの着地点というのも、
今振り返ると、決して通過点ではなく、
それぞれが必要な着地点だったのかもしれない、と思うのです。

どれも間違っていない。

その点は最後には全部繋がるようになっていたのではないか、と。


癒される必要のあった部分というのは一つの大きなテーマで
それを色々な出来事、色々なアングルから、
検証&癒されなければいけなかった・・・


そんなように思えるのです。


そうして、
それらが少しずつ、いつの間に統合されて、
気づけば、「あら?治ってきてる?」
そういう感じ。


全くドラマチックじゃない!


ドラマチックな癒しもあるわけでして、
あることをきっかけに


スコーン!!!と一発で抜ける。


でも、今回はそうはいかなかったみたい。


私の中のDemonはなかなか、いや、かなりしぶとく、
「戦いは長時間に及んだ。」っていうね。



まさに、


(鬼滅の刃の)炭次郎、上弦の鬼と戦う!危うし!


という、戦いっぷりでした。
でも、あの物語をご存知の方には分かると思いますが、
炭次郎に首を切られた鬼たちは
必ず元の自分を思い出し、癒されて死んてゆく。



そう、「元の自分に、本来の自分に戻る」ことが
本当の癒し、ということなのだと思います。



上弦の鬼レベルであった私の中のDemonも
今静かに返っていっているのかもしれません。
元の場所へ。
ただ純粋な源へ。




そうは言っても
上弦の鬼って6人いるわけ。
1人倒したところで・・・

いやいや、今はもういいわ。


ゆっくり行きましょう。
今は優しさに抱かれましょう。




子安神社 かな〜り急な階段。


真新しいご神殿。


新緑。


「雨の中、歩いてきてよかった!」







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