如意樹の木陰

古い記事ではサイババのことが多いです。
2024年に再開しました。

「真理」について

2006-05-12 23:17:03 | Weblog
このブログのめざすところは「真理」ということにしてあるのだが、正直なところ、私にはこの「真理」というのがよくわからない。

辞書によれば「判断と実在が一致する事」を真理というらしい。では実在とは何かというと「客観的に存在するもの、またその在り方」とある。
ほかの辞書では「普遍妥当性をもった知識」を「真理」というとある。

ためしに、googleで検索すると、××真理教関連ばかりが出てきてしまう。これでは「真理」とは程遠い。

googleで検索した中にこういうのがあった。
国立国会図書館法の前文「国立国会図書館は、真理がわれらを自由にするという確信に立って、憲法の誓約する日本の民主化と世界平和とに寄与することを使命として、ここに設立される。」
「真理がわれらを自由にする」 なかなか良いことばです。
図書館でたくさんの本を読むことにより「普遍妥当性をもった知識」をたくさん詰め込めば、多様な価値観を理解できるようになり、たぶん物事の本質も見えるようになる。
そうすれば視野が広がってきて、結果として多少は自由になれるかもしれない。

ただし、このことばのもともとの出所は新約聖書ヨハネによる福音書8章31節あたりらしい。
新約聖書で「真理」といえばイエスキリストの御言葉のことだ。
イエスはこう言います 「私の言葉にいつも聞き従うならば、君たちは真理を知り、真理は君たちを自由にする」

サイババの場合であれば「アートマンの知識」=「真理」といった感じだろうか。
「アートマン」とは「真実の自己」とか「自己の本質」。

どちらにしても「真理」は一筋縄でゆけるようなものではない。
したがって、真理をめざすといっても、私に出来る事は、それらしいあたりを遠巻きにしてグルグル廻りながら覗き見ることくらいである。

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2 コメント

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意外とシンプル (たまやん)
2006-05-13 10:30:24
真理ですか? 真理というのは、1つなので多様な物事から自分を切り離して1つという、信念に向かえば理解出来るものだと思います。。。

もし、その周りを巡る感じなら、その中にポンと入っちゃえば良いわけですが、普通は「それが本物かどうか」信頼してないんで、大多数の人は「知らないことに対しては勇気を持って」入れないわけなのですよ。



実際、体験と実感伴えば、ババの存在やヴェーダンタや祈りの言葉の意義も難なく解るもんだと実感していますね。
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真理はひとつ (だるまばらむ)
2006-05-13 15:12:04
「真理はひとつ」といえるたまやんはすごい!!



わたしはどうも、まだ多様性を愛しているようです。



神の作り出す多様性の世界がマーヤなんでしょうが、どうもまだここのほうが住みやすく感じている私です。





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