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岩手県遠野市 妖怪の世界 重要文化的景観「山口集落」

2023年12月14日 11時17分14秒 | 岩手県

重要文化的景観「遠野 土淵山口集落」。遠野市土淵町山口。

2023年6月12日(月)。

高清水展望台から民話の世界・遠野盆地を見下ろしてから、馬産地・遠野を象徴する重要文化的景観「遠野 荒川高原牧場 土淵山口集落」の一部である山口集落へ向かい、8時30分ごろ案内板があるバス回転場に着いた。

重要文化的景観「遠野土淵山口集落」。

(1)馬産地・遠野と山口集落

馬は戦いや移動、運搬、農耕等に役立つ大事な動物で、遠野一帯でも古くから飼養されていた。江戸時代には南部藩の奨励により馬産の礎が築かれ、近代以降も基幹産業として営まれてきた。現在も、乗用馬や競走馬の育成が行われている。

山口集落は、江戸時代には山口村と栃内村、明治時代には土淵村、昭和29(1954)年に遠野市の一部となった。集落には遠野城下から東方の三陸海岸へと向かう街道が通過しており、大槌方面と釜石方面に分かれて山道へと変わる分岐点に立地し街道を軸に発展した集落である。沿道に並ぶ家々では、かつては馬を飼い、農耕や駄賃付け(運送業)に利用していた。昭和34年(1959)に街道が切り替えられたため大規模な開発を免れ、遠野の農村部における集落景観と、伝統的な生活文化や共同社会をよく残している。

(2)柳田國男『遠野物語』と山口集落。

人馬が行き交った山口集落では、目新しい話、珍しい話、不思議な話など、旅人によって様々な話がもたらされていた。これと合わせて、家々や地域の由緒や伝承なども語られていた。この山口集落に生まれ育って当地に残った話を収集していた佐々木喜善(1886~1933)が題材を柳田國男(1875~1962)に語り、まとめられたのが日本民俗学の記念碑的著作とも言われる『遠野物語』で、遠野に生きる人々の生活・生業の実態を示し、特に自然・信仰・風習に関連する独特の文化的景観が描かれている。

山口集落には、山男山女に出会うとされた界木峠や河童が出る姥子淵、ザシキワラシがいたという屋敷跡、60歳をこえた人が追いやられたデンデラノなど『遠野物語』説話の舞台に描かれた様々な場所が随所に残っている。人が馬と一緒に暮らしていたころ、山々への畏怖、危険な場所や物への警告、不思議な出来事、貧しい生活の悲しみなど物語と景観を肌で感じることができる。

大槌街道。『遠野物語』第37話には、馬で荷物を輸送する駄賃付けが、大槌街道上にある界木峠で、たびたび狼に遭遇したという話が紹介されている。この街道は、近代になるまで駄賃付けを主とした、内陸部と沿岸部を結ぶ輸送の道で、情報や文化の行き交う街道であった。駄賃付けの賃金は、冬の夜間で3割増しにもなるが、積雪のために道がすっかり埋まり、命を落とす人も多かった。

佐々木喜善の生家。

『遠野物語』の話者・佐々木喜善の生家。茅葺から瓦葺に代わっているが、南部曲がり家の形態を残している。喜善はこの家で家族から数々の民話を聞きながら育った。ザシキワラシに関する伝説を集めた著作『奥州のザシキワラシ』を出版し、『江刺郡昔話』では「昔話」という言葉を初めて使った。『遠野物語』の著者である柳田國男も喜善の家を訪れている。

佐々木家の道路反対側にはウマがいる。

ダンノハナと佐々木喜善墓地。

ダンノハナは、山口集落を挟んでデンデラ野と向かい合う丘にある。生の空間の集落、死の空間のダンノハナ、その中間がデンデラ野として解釈される。

ダンノハナ(壇之塙)。『遠野物語』第111話には、境の神をまつる小高い丘を「ダンノハナ」というと紹介されている。山口集落を見わたせるこの丘は、山口館の一部で、死者の冥福を祈る地とも、館があった時代の処刑場跡ともいわれている。現在は集落の共同墓地となっており、『遠野物語』の話者・佐々木喜善の墓がある。

デンデラ野(蓮台野)。遠野物語の姥捨て伝説の地として知られる。『遠野物語』111話に、60歳を超える老人がデンデラ野に追いやられる慣習があったと記されている。日中は里へ降りて農作をし、夕方になるとここに戻った。里へ降りることを「ハカダチ」、戻ることを「ハカアガリ」という話が残っている。現況は、原野と畑地になっている。

孫左衛門の屋敷跡。『遠野物語』第18話には、この家に童女の神(ザシキワラシ)が二人いる、と紹介されている。孫左衛門は村の旧家で、20人もの雇人がいるほど栄えていた。ある年、この二人が家から出ていったのを村人が目撃した。ほどなくして、家の者はキノコの毒にあたり、遊びに出ていた家娘一人を残し、みんな死んでしまった。ザシキワラシのいる家は栄え、出ていくと没落するという。今は井戸と墓のみが残る。

山口の水車小屋。この水車小屋は、遅くとも明治期にはこの地にあり、遠野を象徴する建物として親しまれている。老朽化により長らく使われていなかったが平成27年(2015)度に修理し、実際に使える水車となった。

車輪が小屋の中央にあり、ワラと豆類などを両方同時に打てる構造になっている。往時は、脱穀や製粉のため、昼も夜もゴトゴト音をたてて粉塵を噴き上げていた。

水車小屋見学者用駐車場の案内板から。

大洞家。『遠野物語』第69話には、この家の当主・大洞万之丞の養母おひでが魔法に優れ、まじないで蛇を殺したり、木に止まっている鳥を落としたりする話がある。この家の屋号は「大同」で、『遠野物語』に何度も登場する家柄であり、第83話には家の間取りが掲載されている。第69話、馬と娘の悲恋の物語「オシラサマ」を佐々木喜善に語ったのもこの家のおひでであった。

田尻家の怪異 。『遠野物語』第77話には、田尻家は土淵村で一番の物持ちとある。第79話には田尻家の奉公人が、玄関の雲壁に張りついて首を垂らし、目玉を突き出した男に遭遇する話が紹介されている。第82話では、田尻家の人が家の中で知らない人と遭遇し触ろうとしても触れない話もある。柳田國男はこの怪異の話者について、近代的で利口な人、嘘を言う人ではない、と締めくくっている。

9時過ぎになり、釜石市の世界遺産・橋野鉄鉱山へ向かった。

岩手県遠野市 恋愛成就のパワースポット「うねどりさま」 高清水展望台