国史跡・樺山遺跡。岩手県北上市稲瀬町大谷地。
2023年6月13日(火)。
陸前高田市立博物館を見学後、北上市の樺山遺跡へ向かい、14時30分すぎに遺跡上段の住居跡に着いた。6月11日に見学した北上市立博物館で概要が展示されていた。
遺跡上段の高台には、縄文時代の復元住居が数軒あるだけだった。青年が一人座っているので尋ねると、金ヶ崎町から自転車でやって景色がいいので佇んでいたという。
たしかに、ここから眺める農村風景は「53.悠久の眺め樺山歴史の広場」として「きたかみ景観資産」に選定されている。
ガイダンス施設があるはずなので、車で高台から下って遺跡下段へ移動し、樺山歴史の広場縄文館横に駐車し、展示を見てから現地を見学した。
樺山歴史の広場縄文館。フォートラベルより。
国史跡・樺山遺跡。
樺山遺跡は、北上市街地の南方約7km、北上川の左岸に張り出した北上山地の麓に所在する縄文時代中期の遺跡である。昭和25年に発見され、翌26年から51年まで数次にわたって発掘調査が実施されている。
遺跡は標高約80mと約100mの上下2段にわたっており、下段に配石遺構群があり、上段は竪穴住居を持つ集落が営まれている。
下段の配石遺構は径約1.2mの範囲に石を敷きつめ、一端に立石を設ける類を典型とし、合計37の存在が確認されているが、ほかに耕作によって破壊されたものがある。配石の中にしばしば石皿が入っており、立石に用いている例もある。また、配石の直下には土壙が設けられており、配石遺構が墓ではないかという推定がなされている。
周辺から発見される土器によって縄文時代中期に属するものと判断され、特別史跡大湯環状列石等の系統につながって行くものと考えられる。
上段の集落跡は、東側の高台上には約5,000年前の村が、西側の斜面には約4,000年前の村があり、台地の周縁に住居跡が集中している。また、中期末から後期初頭にかけても再び集落が営まれ、竪穴住居跡と甕棺が発見されている。
樺山遺跡を見学後、北東近くにある河野通信の墓へ向かった。