プーチンのウクライナ攻撃を支える“まさかの世論”…ロシア国民の本音がヤバすぎた
Yahoo news 2024/12/27(金) ダイヤモンド・オンライン 駒木明義
2024年3月の大統領選挙で圧勝し、最長で2036年まで大統領を務めることが可能となったプーチン大統領。メディア弾圧や選挙制度の操作など、彼はいかにしてロシア国民を“骨抜き”にしてきたのか。
※本稿は、駒木明義『ロシアから見える世界 なぜプーチンを止められないのか』(朝日新書)の一部を抜粋・編集したものです。
自由なメディアを潰し首長選挙を形骸化 プーチンによって民主主義が失われた
茶番と化したのは、大統領選だけではない。より根本的な問題は、言論の自由、情報公開、地方自治、政権を監視するメディアや議会の存在といった、民主主義が健全に機能するために必要不可欠な前提条件が、プーチン氏の統治のもとですっかり失われてしまったところにある。
プーチン氏は2000年に大統領選に初当選したころは、エリツィン前大統領の路線を受け継ぐ西側志向の指導者だと受け止められていた。しかし、民主主義の形骸化を進めたという点については、プーチン氏の姿勢は、政権の座についた直後から一貫していた。
2000年に大統領に就任したプーチン氏が真っ先に標的にしたのは、自由なメディアだった。チェチェン紛争の悲惨な実態を伝える報道や辛辣な政治風刺番組で人気を集めていた民間テレビ局NTVは、オーナーが詐欺などの嫌疑をかけられて追放され、政府系企業の傘下に入った。
日本の都道府県に相当する、州や地方といった「連邦構成主体」の首長選挙は、2004年9月にロシア南部北オセチア共和国のベスランで起きた学校占拠テロを機に廃止され、大統領による任命制が導入された。
首長公選制は2012年に復活した(一部の地域では、議会による間接選挙制)が、実態としてはその後も大統領による事実上の任命制が維持されている。
その仕組みはこうだ。政権が首長を交代させたいときには、まず現職に辞任させ、プーチン大統領が意中の候補を首長代行に任命する。このため首長代行はその後に行われる本番の選挙に、事実上の現職として臨むことができる。
つまり日本とは異なり、首長が任期途中で退陣した場合、後任を選ぶ選挙は新人同士の争いにはならないのだ。こうして選挙は形式的な信任投票の色彩が濃くなる。
実態として、プーチン政権下で、首長職は大統領府が任命権を持つ重要ポストの一つという扱いになっている。そんな首長たちが政権にたてつくことなどあり得ない。
大統領府から任命された首長たちは、常時大統領府から厳しい査定を受けている。大統領選や議会選での投票率や与党候補の得票率は、特に重視されているようだ。
チェチェン攻撃にはあった議会からの弾劾 プーチン政権下では想像さえできない
かつては大統領と激しく対立することもあった議会も巧妙に手なずけられた。2007年の下院選を機に小選挙区制が廃止され、比例代表区で当選に必要な最低得票率が5%から7%に引き上げられた。
これによって、一部の地方で個人的な人気がある反政権派の有力政治家や、小政党が締め出された。その後、選挙制度はほぼ元に戻されたが、すでに批判勢力が議席を獲得することは困難な状況となっていた。
プーチン氏の前任のエリツィン時代、大統領と議会の関係はまったく異なった。エリツィン氏は下院から3回も重大犯罪を理由に弾劾の手続きを受けた。
特に1999年のケースがよく知られている。今はすっかり牙を抜かれてしまった共産党が、エリツィン氏への弾劾手続きの音頭を取った。問われた罪状は5件。その中には、エリツィン氏が1994年12月に開始したチェチェンへの大規模な攻撃も含まれていた。
共産党はこの紛争を引き起こしたエリツィン氏の大統領令について「多数の犠牲者をもたらした犯罪行為だ」と主張した。
1999年5月に行われた下院での採決の結果、定数450のうち過半数の284人が弾劾に賛成票を投じた。しかし、手続きの継続に必要な300票には届かず、弾劾には至らなかった。
大統領令で始まった軍事行動に対して下院から犯罪に問う声が上がること、ましてそれが過半数の賛同を集めることなど、今となっては想像もつかないことだ。
プーチン氏はこのとき、KGBの主要な後継組織として国内の治安を司る連邦保安庁(FSB)の長官を務めていた。弾劾のなりゆきをつぶさに観察していたプーチン氏が、議会を政権に逆らえない存在にする必要があると痛感したことは間違いないだろう。
2011年の下院選では、不正疑惑に怒った市民がモスクワなどで大規模な抗議デモを行った。その翌年、プーチン氏が4年ぶりに大統領に復帰すると、選挙監視団体などを「外国の代理人」に指定する制度が作られ、活動が抑え込まれた。
「外国の代理人」制度は、導入当初は外国からの資金援助を受けてロシア国内で政治的な活動をするNGOが対象だった。それが2017年にマスメディア、2019年に個人へと対象が広がった。
さらに2022年2月のウクライナ全面侵攻開始後、資金提供の事実を立証できなくても「外国の影響下にある」と政府が認定すれば指定できるようになり、侵攻を批判するジャーナリストや文化人らが軒並み指定されてしまった。
政権にとって目障りな有力者に好き勝手に「非国民」のレッテルを貼るための制度と化してしまったのだ。
ちなみにロシア語で外国の代理人は「иностранный агент」と書く。「агент」は英語の「agent(エージェント)」に相当する。「スパイ」や「工作員」といった語感を持つ言葉だ。
プーチンが絶対権力を手にした結果 国民は国家に対して無責任になった
一連の動きに通底するのは、民主主義やそれを支える制度の背景にある思想や歴史を軽視し、形だけのものだと冷笑的に理解し、操作する対象としてとらえる傾向だ。これは、プーチン氏がKGBで工作員としてのキャリアを積んだことと無関係ではないだろう。
ロシアでは本来違法とされている民間軍事会社「ワグネル」を設立し、個人的な友人だったプリゴジン氏をトップに据え、軍が表立って行えないような工作や作戦に従事させたことも、民主主義の軽視と同根だ。
2020年にプーチン氏が進めた憲法改正は、こうした取り組みの集大成と言えるかもしれない。これまでの大統領任期をいったんリセットすることで、プーチン氏がさらに2期12年、最長で2036年まで大統領を務めることを可能にしたほか、大統領経験者の生涯にわたる不逮捕特権が新設された。
「祖国防衛者の記憶の尊重」や「歴史的真実の保護」を国家の責務と位置づける条項も導入された。その背景には、ソ連をナチスドイツと並ぶ占領者としてとらえるバルト三国や旧東欧の国々の歴史観への反発がある。政権とは異なる歴史解釈を許さないという考えは、ウクライナ現政権への「ネオナチ」のレッテル貼りに通じる。
「在外同胞の権利を擁護し、ロシアに普遍的な文化的アイデンティティーを維持することを支援する」という新たに盛り込まれた条項も、ウクライナ全面侵攻への道を用意する役目を果たしたと言えるだろう。
改正憲法には、プーチン氏が近年重視している復古主義的な道徳観の数々も盛り込まれた。
すでに四半世紀に及んでいるプーチン氏による統治の深刻な帰結は、ロシアという国家の行為に対して、国民一人ひとりが責任を負っているという自覚の欠落だ。
ウクライナ戦争についての世論調査がそのことを浮き彫りにしている。
2022年12月にレバダセンターが「ウクライナで起きている一般住民の死や破壊について、あなたに道義的な責任があると思いますか」と尋ねた調査では、「完全にある」と答えたのはわずか10%。「ある程度ある」も24%にとどまった。一方で、59%もの人々が「まったくない」と答えたのだった。
もともとロシアの国民は、年金や物価の問題を巡って政権に反発することはあっても、外交や軍事といった分野は自分たちとは関係ないと考える傾向が強い。議会、報道機関、地方自治が骨抜きにされて、そうした問題が公然と批判される場がなくなってしまったことで、ますますその傾向は強まっている。