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岩手県釜石市 旧釜石鉱山事務所 近代製鉄発祥の地・大橋地区

2023年12月17日 13時10分44秒 | 岩手県

旧釜石鉱山事務所。岩手県釜石市甲子(かっし)町。

2023年6月12日(月)。

岩手県釜石市橋野町の世界遺産・橋野鉄鉱山を見学したのち、遠野方面へ戻って仙人峠の釜石寄りにある釜石市甲子町の旧釜石鉱山事務所へ向かった。仙人峠のカーブを下ると、脇道に入る。方向的にはかなり戻ることになり、JR釜石線の陸中大橋駅前広場を通過すると鉱山跡らしきものが山肌に見える広場に着いた。その外れに旧釜石鉱山事務所がある。この大橋地区は世界遺産・橋野鉄鉱山よりも先に洋式高炉が稼働した近代製鉄発祥の地である。

山肌にしがみつくような選鉱所跡。

釜石鉱山では鉄鉱石と銅鉱石を産出する。地下に広く展開している坑道の範囲は,選鉱所跡の奥に釜石市と遠野市の境の山中に仙人峠を挟んで10キロ四方にわたる。旧釜石鉱山事務所を含めた一帯は、釜石鉱山としてジオスポットになっている。

 

旧釜石鉱山事務所。国登録有形文化財。

旧釜石鉱山事務所は、釜石鉱山株式会社が1951(昭和26)年に建築した建物で、鉄筋コンクリート2階建て陸屋根、建築面積735㎡、延床面積1408㎡。鉄筋コンクリート造二階建の東西棟でとする。平滑な外壁に欄間付の上下窓が規則正しく並び、北東隅の玄関と外壁上端に廻らせた庇がアクセントとなっている。一階東半は事務室で受付カウンターが残る。西端に倉庫等を増築。端正なモダニズム建築である。

2008(平成20)年まで総合事務所として使用されていたが、日鉄鉱業株式会社が所蔵していた釜石鉱山関連資料とともに釜石市に寄贈・寄託されて翌年から一般資料館として公開されている。

1階はレトロな昭和30年代の事務所を再現、2階は鉱山で採掘に使った道具や採取された鉱物などを展示している。

史跡・釜石鉄山大橋高炉跡。大島高任父子顕彰碑。

旧鉱山事務所の入口右側に、昭和17年に建立された大島高任(たかとう)とその息子・道太郎(官営八幡製鉄所初代技官)の業績をたたえた碑がある。

碑の上側に刻まれた「労於天下之用」の文字は、岸信介(第56・57代内閣総理大臣)によるという。

橋野高炉跡が「近代製鉄発祥の地」とされるが、大島高任が安政4(1857)年12月1日に洋式高炉による連続出銑にはじめて成功したのは、この大橋に大島高任が建設した高炉でのことであった。

大橋の高炉はその後明治はじめころまで稼働したが、大橋が官営製鉄所の選鉱場に決まったため明治7年に廃業となり、翌8年に取り壊された。現在の旧鉱山事務所付近にあったという高炉跡は事務所建設により消滅したという。

大橋高炉で出銑した銑鉄を個割りにした板銑。

釜石鉱山は、岩手県釜石市と遠野市上郷町に跨がり良質な鉄鉱石を産出する鉄鉱山である。江戸時代から始まり、明治時代の開坑から現在まで150年余の歴史を持つ。主要の鉄以外に金・銀・銅・鉛・亜鉛なども産出した。この鉱山の存在によって、釜石市には現在でも日本製鉄東日本製鉄所釜石地区などの企業が数多く立地する。現在の鉱業権者は、日鉄鉱業の子会社である釜石鉱山株式会社である。

1727年(享保12年)江戸幕府付採薬使の阿部将翁が仙人峠で磁鉄鉱を発見したとされる。

1822年(文政5年)盛岡青物町の理兵衛に対し、藩より最初の試掘の許可が下りる。

1849年(嘉永2年)三河の高須清兵衛と陸中の中野大助とが合資で大橋に旧式高炉を建設。

1857年(安政4年)盛岡藩士大島高任が大橋に洋式高炉を築造し、鉄鉱石を原料として出銑に成功する(これを記念して12 月1日は鉄の記念日となっている)。これを契機に大橋に3座、橋野に3座、佐比内に2座、栗林及び砂子渡に各1座、計10 座の高炉群が幕末に築造され、我が国近代製鉄業の礎となった。

1862年(文久2年)高任は高炉を2基増設、銑鉄を増産する。

1873年(明治6年)盛岡の豪商小野善右衛門が、南部藩より設備を譲り受けて改良高炉2基を建てる。

1874年(明治7年)政府が買い上げて官営鉱山とし、海外より機械を輸入して技師を迎えた。

1876年(明治9年)釜石の鈴子に官営製鉄所がおかれることとなり、良質の鉱石がとれる大橋から製鉄所まで鉱石を運ぶため、日本で3番目となる鉄道、釜石鉄道が起工される。

1878年(明治11年)鈴子精錬所が完成。

1880年(明治13年)8月、日本で3番目の鉄道が大橋-鈴子間に開通。 9月より官営製鉄所が操業を開始するも98日目で休止。

1882年(明治15年)操業再開するも200日で再び中止。コスト高が原因とされる。

1883年(明治16年)官営製鉄所の廃止が正式に決定。鉄屋田中長兵衛に払い下げを依頼。

1885年(明治18年)田中長兵衛とその番頭横山久太郎ら民間の手で製鉄への挑戦が始まる。

1886年(明治19年)10月16日、苦難の末49回目の挑戦にして成功に至る。

1887年(明治20年) 7月、横山久太郎を初代所長として釜石鉱山田中製鉄所が発足。大橋にも分工場が建設される。

1893年(明治26年)釜石鉱山鉄道が馬車鉄道として再開。

1894年(明治27年)栗橋分工場が操業を開始。

1917年(大正6年)二代目田中長兵衛を社長とし、田中鉱山株式会社が発足。

1924年(大正13年)三井鉱山株式会社に経営権が払い下げされ、釜石鉱山株式会社と改名。

1939年(昭和14年)日本製鐵(株)より分離独立して、釜石鉱業所となり、日鉄鉱業の子会社となる。

1950年(昭和25年)- 銅鉱床を開発し、鉄・銅の併産体制となる。

1952年(昭和27年)銅の選鉱場が作られ、鉄・銅併産体制が確立する。1979年(昭和54年)釜石鉱業所が釜石鉱山(株)に引き継がれる。1992年(平成4年)天狗森銅鉱床の採掘終了。1992年(平成4年)銅鉱石の採掘を終了する。1993年(平成5年)大規模な鉄鉱石の採掘を終了する。新鉱山・鉱泉水・地下空洞跡地利用の事業を展開。現在に至る。(現在でも年間約100トンの採掘を行っている。)

2007年(平成19年)経済産業省より近代化産業遺産に認定される。

「仙人秘水」。このあたりの地質は中・古生代の堆積岩を始め,各種の火成岩から構成されて,坑内からは弱アルカリ性の清澄な水が豊富に湧いている.地下350mから湧き出る鉱泉水を利用したミネラル・ウォーターの製造販売を試みて、1989年(平成元年)鉱泉水(仙人秘水)の製造を開始する。

大橋鉱山社宅。駅前社宅と御神輿。

大橋の町には、かつては多くの社宅が立ち並び、学校や病院のほか、映画館などもあった、今は一部にその面影を残すのみとなっている。戦中は鉱山の生産量が増大し、一時は従業員が6000人におよんでいたという。

例年、10月なかばころに旧鉱山事務所近くにある山神社のお祭りがある。出店が並び、ステージでは出し物が披露されるなどイベントが行われ、近隣からの見物客で賑わう。

このあと、大槌町吉里吉里の前川善兵衛の墓へ向かった。

岩手県釜石市 世界遺産・橋野鉄鉱山 現存日本最古の洋式高炉跡