世界遺産・国特別史跡・大湯環状列石。大湯ストーンサークル館。秋田県鹿角市十和田大湯。
2022年10月4日(火)。
遺跡は1931年(昭和6年)に発見され、約130mの距離をおいて東西に対峙する野中堂と万座の環状列石で構成されている。この遺跡を全国的に有名にしたのは、太平洋戦争終戦直後の1946年(昭和21年)の発掘調査を、『科学朝日』が紹介したことである。そして、1951年(昭和26年)と1952年(昭和27年)には、文化財保護委員会と秋田県教育委員会が主体となって、本格的な学術調査が実施されている。
発掘調査では、たくさんの遺構とともに多量の縄文土器、石器、土製品、石製品が出土している。
土器は、縄文時代後期前葉から中葉に作られたもので、一般的には「十腰内(とこしない)式土器」とよばれるが、花弁状の文様や、S字を横に連続して施文したものなどは「大湯式土器」ともよばれている。
十腰内式土器は、縄文時代後期を代表する遺跡の一つ青森県弘前市の十腰内遺跡の出土土器を標式として設定され、東北北部に広い分布をみせる。
沈線(ちんせん)で描かれた入組(いりくみ)・山形・同心円などの文様を主体とするⅠ群(式)土器、器面に疣(いぼ)状の小突起のある十腰内Ⅴ群(式)など特徴的な文様をもつ土器が多く、器面に磨きをかけ光滑を有するもの、施された縄文の上を軽く擦って縄目文様を潰した磨消縄文(すりけしじょうもん)もみられる。また器形では壺の形状を示すものも多く、後半期には土瓶(どびん)形の注口も出現するなど、器形がバラエティに富み、現代人が用いる食器類の根源的様相を抱かせている。
縄文時代後期になると、用途に合わせたさまざまな形の土器が作られるようになる。大湯環状列石で多く出土した「片口土器」もそのひとつで、この遺跡を代表するものである。