ハブ ア ナイス doi!その2

たまあに振り返ったことや、ちょっと考えたことを綴ってゆきます。

龍田古道を歩いてきた12

2021-04-10 20:52:41 | ウォーキング

さあではJR堅上の駅から
亀の瀬の方に向かって進んでいきましょう。

山と大和川の間に細い道が続いています。
龍田道と名付けられています。



山手の崖の所にはこんな地蔵塚もありました。



そんな崖道につけられた、
とんでもない坂道の上に
弁財天があるようですね。
ここは行所のようでした。

ちょっと危険そうなのでパスしましたが
「弁財天坂道」と名前まで付けられています。

そうしているうちに
JRの踏切に差しかかります。
そこから後ろを振り向くと



小さな橋が一本かかっています。

その道になんと車が降りてゆくのです。

え~どうするのかなあとみていると、
車で両幅ぎりぎりの感じで
その橋を渡ってゆくではないですか。



いやあなかなかの迫力でした。

少し戻って橋の所に行くとこんな感じ。
辨天橋と言いますが、
初心者マークじゃこわいでしょうねえ。
ではさっき渡った踏切に戻って
川沿いの道を進んでいきましょう。



まだまだ風情のある道ですね。
家はほとんどないですねえ。

でも人がいるかなあと思うような家は
結構熱い思いがこもっているような
そんな雰囲気です。

JRの下に差しかかると、
背の高いワンボックスは
通れるのかなあって感じ。
いやあここも初心者じゃこわい所ですねえ。



やがて道も広がって家々が
出てきたあたりが「亀の瀬」です。



これは市内循環のバス停ですか。
一時間に1本ぐらいですか、
と思ったら停留所の下に、
30分くらい前に予約の電話を
入れてもらうようになっているみたいです。

そしてそのあたりに役行者の
亀石があるはずです。
どこかなあと思って探していると、
フェンスに看板がありました。



これがその亀石です。





本で見たときは石の上に修験者が
乗っていたのですが、
今は水が多いのでしょうか
乗れないような感じです。

役行者の経塚はここということですが、
ではどこに埋めたのでしょうか。
過去の役行者関係の文書によると
ここが経塚というのと
明神山の石塔を経塚とするのと
二通りあるようです。

これはまた明神山も行って
見なくてはと思っていたら、
ここに登ったよという友達もいましたねえ。

いずれにしても亀石は昔から
いろんな思いが詰まった石です。
昔は紫石なんてのもあったそうですが、
今はあるんだか、どれなんだか
よくわかりません。

昭和7年に大きな土砂崩れがあって、
今も残っているのは亀石と
少し上流にある竜王社だけなんだそうです。
ではその竜王社に行ってみましょう。



河原横の森の斜面を下ってゆくと、
竜王社がそこにありました。



このあたりが元の亀の瀬宿の
あたりだといわれています。



大和川を中心に船便が盛んで、
この龍王社はその浜の守り神
だったといわれています。

それらを眺めて亀の瀬を満喫しましたら、
また亀の瀬橋のところに戻って
山の方に向かって進んでいくことにしましょう。



途中こんな「亀の瀬地滑り資料室」
なんかもありましたが、
ここは事前の予約性のようです。

中にはトンネルなんかもあって
面白い所だとネットでは
書かれていましたが、残念、
入ることはできなかったです。

このあたりは大変地滑りの多いところで、
どういう仕組みかわかりませんが、





こんな深いトンネルや取水井戸が



たくさん掘られていました。

工事現場の続く広い車道を上がってゆき、
山の中に続く狭い道へと入ってゆきます。
そうして峠八幡神社のところに出てきたら、
前々回に山の方から下ってきた道に合流します。

これで大和川沿いを歩く
龍田道は終わりですね。
以前通った道から三郷駅へ向かい



今回の歩きは終わりです。

亀石はとても印象的でしたね。
次回は前回の続きで、
王寺から法隆寺へと続く道を歩きましょう。


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