阪神大震災から25年
金澤ひろあき
今日は阪神大震災から25年目だとか。
あの日、京都市バスはかろうじて運転していましたが、阪急電車は動かず。自転車で職場へ行きました。行ったら、外の建物は立っていましたが、部屋の内部はぐちゃぐちゃ。本は落ちているは、棚は倒れているは・・・。1週間ぐらいその後片付けをしました。夜のテレビ中継で、神戸の大火災が映し出されて、言葉が出ませんでした。ガスは当時、プロパンの地域に住んでいたので、途切れませんでしたが、都市ガスの地域は止まっていました。新幹線や高速道路も倒壊していたので、山陰道がとても混みました。
明日、何が起こるかわからない。あのとき、こう言っておけばよかった。こうやっておけばよかった。そんな思いを残したまま逝くのは無念だ。言うべき時に言い、やれる時にやっておこう。そういうことを考えました。そんな中で、どういう生き方をするのかも悩みました。
まだ、昨日のことのように思い出します。
被災の日ねじれた時計とまっていた ひろあき
金澤ひろあき
今日は阪神大震災から25年目だとか。
あの日、京都市バスはかろうじて運転していましたが、阪急電車は動かず。自転車で職場へ行きました。行ったら、外の建物は立っていましたが、部屋の内部はぐちゃぐちゃ。本は落ちているは、棚は倒れているは・・・。1週間ぐらいその後片付けをしました。夜のテレビ中継で、神戸の大火災が映し出されて、言葉が出ませんでした。ガスは当時、プロパンの地域に住んでいたので、途切れませんでしたが、都市ガスの地域は止まっていました。新幹線や高速道路も倒壊していたので、山陰道がとても混みました。
明日、何が起こるかわからない。あのとき、こう言っておけばよかった。こうやっておけばよかった。そんな思いを残したまま逝くのは無念だ。言うべき時に言い、やれる時にやっておこう。そういうことを考えました。そんな中で、どういう生き方をするのかも悩みました。
まだ、昨日のことのように思い出します。
被災の日ねじれた時計とまっていた ひろあき