京都童心の会

ほっこりあそぼ 京都洛西の俳句の会
代表 金澤 ひろあき
俳句 冠句 自由律 詩 エッセイなど同好の人たちと交流

2021年 2月 京都童心の会 通信句会結果 【選評】後半

2021-03-11 07:57:19 | 俳句
2021年 2月 京都童心の会 通信句会結果
【選評】後半
○中野硯池特選
38 マスクするせぬが事件となる受験  金澤ひろあき
 新型コロナの全世界的感染が広がるなかで、マスクに関する話題はあとをたたない。安倍マスクの不評、マスク不足、手製マスクのファッション等々。そんななかでこの句のようにマスクするせぬが事件となったことも又多かった。乗車・乗船拒否、入室禁止等によるトラブルで刑事事件に発展したものもあったが、今頃ではマスクが常識となり、していないと隣から注意されるようになり、受験生がマスクをして教室に入る映像が板についた感である。
6 ショートステイ嫌がる妻を説き伏せる日  木下藤庵
 まさに実感である。
22 飛機の窓神輿のような茜雲   青島巡紅
 富士を眼下に夕刻の茜は、めったに見られない幸であろう。
87 立春や重機働く河川敷     三村須美子
 おそらくクレーン車であろう。立春の喜びが伝わってくる。
○青島巡紅選
特選
6 ショートステイ嫌がる妻を説き伏せる日    木下藤庵
  リアル。とう言うか日常生活の切り取りそのものです。作品にしても出さない。ありふれているだろう、こんなこと。そんなふうに作者に切り捨てられる可能性のある作品でもあります。出してくれたことに感謝します。生の声がひしひしと伝わって来ます。高齢者の家庭ならいつどこであっても起こりうる状況です。また、同じような状況は一般家庭なら、違う形で、家族の者が嫌がる高齢者を言い聞かせるような場面でもあります。或いは、仕事中に呼び出されて病院や施設に駆けつけるような場面然りですね。大声を張り上げても、愚痴りながらも宥めるしかありません。この作品は派生的にそういった経験を呼び起こさせるエネルギーがあります。僕にもその類の後悔と懺悔があります。
並選
① 34 マスクのうしろから新たな飢えが広がる 金澤ひろあき
 コロナ禍で社会生活は色々規制され、人々はその状況を受け入れた。我慢した。その反動がじわりじわりと、時には唐突に噴出したりしている。子供の躾でも押さえ込むのでなく話し合って理解させてと言われているが、最後は押さえ込むことになる。子供の不満、ストレスは親への不信感や反発によって現れる。コロナ禍の現状では、一般市民は子供と同じような立場で、行政の上から目線に耐えて“しなければならないこと”に従うしかない。逃げ場はどこにもない。そういう負の感情、悪感情の苗床が「新たな飢え」となって感染者を増加促進させたり、このような現状をよく表現していると思います。子は親には勝てません、勿論、力がつけば別ですが。
② 35 貧しいおもちゃ世界を変える夢見てた 金澤ひろあき
  ゲームソフトで遊ぶことを知らない世代にとってはそうだよねと自然と肯定出来る世界感。砂場で空洞の山を作り、秘密基地に見立ててプラモデルの戦闘機を発進させる。銭湯に行ってプラモデルの潜水艦を潜らせる。視覚的聴覚的に画面に釘付け世代とは違い、空想力を駆使し更にそれを共有しないと「ごっこ遊び」は出来なかった。ごっこ遊びの中でより平和で、誰もが幸福にいられるようにと「世界を変える夢見てた」。塩化ビニール製の鉄人28号の人形は20円だった。プラモデルは50円からあった。子供の頃が蘇るようです。
③ 67 満月や冬枯れの中灯をともす     坪谷智恵子
   「冬枯れ」の野原が広がっている。自分もポツネンとそんな場所に立っている。夜で寒風も吹き付けて思う重いコートの中で震えているかもしれない。空には満月が出ていて「灯」のように煌々と照らしている。照らされているのは自分も同じ。自分の中のどす黒い感情も思い出も、満月の光を浴びる枯れた草木と同じで柔和な顔になります。未来に向かって流れる時の流れ。草木は立ち止まらない。次の世代へのバトンタッチをしている。自分もまた流転の中に身を置く身。気持ちの良い寒さが伝わってきます。
④ 59 ふと生きる一句大事に木守柚    宮崎清枝
 ふと見上げるとすっかり葉が落ちた時期なのに枝の高いところにぽつんと一つだけ柚子の実がある。(或いは、収穫の後一つだけ残しておく。翌年も実りますように。または小鳥への捧げ物として)見つけた時のなんとも言えない感動と感謝。(或いは一つ残すことによる祈願と感謝。)そんなふうに「生きる一句大事に」したい。その通りだと思います。
⑤ 71 さわがしい氷河くずれる我を静め 坪谷智恵子
 ドキュメンタリー番組か何かを見て着想した作品でしょうか。温暖化で「押すな」と海の手前の氷河の一部が言っても後から後から「押せ押せ」と内陸部からやって来る一群の氷河が止まる訳もなく、迫り出された氷河の塊は激しい音と巨大な波飛沫をあげて海へというか水へと帰っていく。暫くすればまた静かな波間の海となる。自分の心の中にも巨大な暗黒色の感情が蠢いていて、氷河崩壊の様子を見たこと(或いは、何か別の事件があって同時期にそれを見たとか)が一因で退いていった、と言うのでしょうか。だが「我を静め」というのは一時的なものでしかないでしょう。あくまでも「静め」てくれただけで解決はしない筈です。止まることを知らず氷河が崩壊するように、内陸部では溶けた氷河が生み出す湖がしばしば決壊崩壊して甚大な災害を招くように。深読みかも知れませんが。
⑥ 98 粘土に指跡が生きている    白松いちろう
 これに続く「相馬焼の相馬野馬が嘶く」そして「轆轤傾いたまま窯元は消えた」が三つで一つの作品になっている感じがします。俳句として読む場合は個々の内容で云々するのが定石ですが。「指跡」が残る「相馬焼」の茶器もしくは皿(?)には躍動感のある馬の絵付け。その茶器は廃れた工房の中にあり、「轆轤傾いたまま」放置されており、その状況が何かを物語る。と言う具合に三連詩としても読めます。相馬焼は、調べると、福島県の焼物で伝統工芸品。東日本大震災や原発事故やコロナ禍の影響をもろに受けたことが想像出来ます。最初のものを良しとしたのは、陶工の指跡が生々しく残っている。そこから全てが始まる、と思ったからです。陶工の指の指紋は消えて無くなる。それ程の粘土との格闘があります。孤独なタイマンの証です。それが「生きている」というのですから。相馬焼への作者の思い入れの強さを感じずにはいられない作品です。
⑦ 92 リセットしても元通りの立ち姿  白松いちろう
 これは「何度仕切り直しても変わらぬ頑固頭」と対をなす作品だと思います。「元通りの立ち姿」=「変わらぬ頑固頭」。こちらを取った理由は作品への入り易さと一歩退いた自己観察があるからで、いくらポーズを変えて姿見をみても、変わらぬ自分。変わらぬ自分は、ある人にとっては硬派というか堅物な自分であったり、またある人にとっては軟派というか軟弱な自分であったりする。自己完結していないので、誰が読んでも感情移入し易いと思ったからです。僕の場合だと腰痛戦士ですが。
⑧ 5 光る水胸のふちの淑気  野谷真治
 新春のめでたくなごやかな雰囲気が「淑気」。陽を受け反射する水面を見て心の外周付近でそれが感じられると言う。若い人が読んだら、素直じゃないとかシニカルだねと言いそうです。しかし若い人の2倍いや3倍生きている人には年齢に則した経験値から来る深淵があります。心の外周部からは覗き見ることは不可能な深さで、水面の波の反射程度でその深淵を祓うことは出来ない故に「胸のふちの淑気」となるのでしょう。作品とは関係ありませんが、“心の眼”と自由自在の天邪気のような存在ですね。
⑨ 66 地球上たたかれているのさばりて 坪谷智恵子
 コロナ禍の状況を第三者(神の視点?)というか俯瞰的に見た作品。確かに人間は「のさばりて」地球の大地の砂の一粒も生物の血の一滴も俺様のものだと言っているような傲慢さが見え隠れする現状があります。そんな中、人間の独善的な進撃を止めたのがコロナウイルスであり、その発生過程はまだ良くは解っていないらしいのですが、人間が「たたかれている」状況が世界規模で展開されている。スケールの大きな作品だと思う。叩かれ損は嫌ですね。アース神族に対する昏れの神々の逆襲、そして神々の黄昏、北欧神話好きなら、色々思ってしまいます。
⑩ 55 雀の子医療組織に恋をする 裸時
 新美南吉の「落とした一銭銅貨」を思い出します。童話というか絵本のタイトルになりそうな作品。雀だってお腹をこわすこともあれば風邪をひくこともありますよ。この前餌をくれた子供だ。ぐったりしている。その子供をお母さんが抱きかかえて病院に駆けて行く。どうしたのだろうと気になって雀の子が追いかける。診察室の窓から中が見える。お母さんに抱えられて子供が診察を受けている。雀には病気をしたり怪我をしても、こんなことをしてくれる場所はありません。雀の子は人間の子供はいいなあ、病院というものが雀の世界にもあったらいいなあとない物ねだりをする。「恋をする」のですね。言葉遊びの結果だとしても読み手に夢を与えることが出来れば成功です。
⑪ 82 鯖寿司や小浜朽木で食べ比べ  三村須美子
 この作品を読んでまず思ったこと。自分も食べ比べに行こう。どんな違いがあるのでしょうか。微妙なのでしょうか、それとも許容範囲でもかなり違うのでしょうか。小浜は日本海沿岸、朽木は内陸部。距離もあります。読む者に、そんなわくわく感を与える、実感のある作品です。
⑫ 13 寒念仏素足の色のフラミンゴ 中野硯池
 寒空の下、鉦を鳴らし念仏を声高く称えて市中を巡る「素足」の僧侶。寒風のせいで「フラミンゴ」の足のように赤いと描写している。こちらまで身震いをもらいそうです。表には出ていませんが、例年でなく昨今の冬のスケッチというのですから、マスクをしての修行でしょう。敬虔な気持ちになる前にクスッと笑えるミスマッチが隠されていると想像します。お経をあげている最中にくしゃみをするような。的確だけでなくユーモアやペーソスもある風景描写です。コロナ禍で、ということですが。
⑬ 85 猫寄せて肉ぎゅうぐいと愚痴こぼす 三村須美子
 猫を抱きしめてその猫が逃げ出さない程度の音量で、いや、静かにだろうか、人のいない部屋或いは縁側で「愚痴をこぼす」。不思議なもので声に出して言うだけで心は軽くなります。場合によっては心の捩れがとれて相手のことを自分が勘違いしていたことや、それまで気づかなかったことに心がいってむしろすっきりすることもあります。動物はやはり人類の友ですね。
⑭ 48 実はイヤ子供の時から注射キライ 蔭山辰子
 この気持ちは誰もが同じではないでしょうか。注射好きな人はいないでしょう。歯医者を好きな人がいないのと同じですよね。早いもの勝ちならぬ、言ったもの勝ちの作品です。僕も本音を言えば大嫌いなのですごく共感させられる作品です。注射される時は平静を装って臨みますが。
⑮ 18 立春や白磁の皿の白砂糖   中野硯池
 多少陽が長くなり、ほんのり暖かい日もある。その和らかな日光が窓から差し込んでいる。机の上には白い皿、真ん中だろうか、その端だろうか、角砂糖が一つ。確かな大皿の白、存在感のある白、固められているが溶けてしまう角砂糖の白、ほんの小さな存在感の白、そこに粒子でありと同時に波である非在感さえある日光の白。三者三様の白の対比が面白いです。

【お知らせ】
最近少しコロナが下火になりほっとしています。(とはいえちゅういは必要ですが)
句会が通常通り開けそうです。
○3月句会
3月21日(日)午後2時  阪急長岡天神駅東口 喫茶アーバンにて

4月句会 4月18日(日)午後2時に予定

 ※遠方の方の通信句会も引き続き行います。それぞれの月の10日ぐらいまでに作品をいただけるとありがたいです。

○童心306号、1校の校正中です。近々、お送りできると思います。