怒りと憎しみに喘ぐ多くの魂の前で将平は今、名乗りを上げた。
それは取りも直さず、彰久なら許される弱さと未熟さを捨て、鬼面川の祖霊としての責任を負わねばならなくなったことを意味していた。
かつて修が紫峰の祖霊樹として命懸けで戦ったように、将平もまた命懸けでこれらの哀れな魂を救済せねばならない。
『俄かには信じ難いことだ…。 』
久松は唸った。
「信じるか否か…そんなくだらぬことを長々と考え、論じても始まらぬぞ。
あなたがすべてを話してくれれば、私は『救』を行うことができる。
それで証明されよう。」
将平は挑発するかのように言った。
「末松の後妻はすでに先に旅立った…。」
久松は動揺した。取り巻いている魂たちが騒ぎ出した。
このような姿で何時までも現世にさまよっていたい者などいないのだ。
生き返ることなどできるはずもなく…。
将平の出現に驚いたのはさまよえる魂たちばかりではなかった。
孝太は腰を抜かさんばかりだった。夕べからずっと不思議なことばかり経験してきたが、自分に所作や文言を伝授してくれた彰久が将平の生まれ変わりとは想像だにしていなかった。
しかも息子閑平までがご丁寧にも同時期に生まれ変わっているとは…。
思い当たることと言えばあの史朗の戦い方である。あの剣は確かに華翁の剣でこの社の宝物殿の奥に厳重にしまわれている筈のものである。
それがなんと勝手に剣の方から史朗の手に現れて優雅な剣舞を披露してくれたではないか。
その時は自分のことで手一杯で、孝太も不思議とは感じなかったものの、今考えてみれば絶対ありえない話である。
先代長の孫二人が将平、閑平であるなどという奇跡は、いま親族間の無益な争いによって滅びようとしている鬼面川を救えという御大親のご意志によるものであろうか…。
孝太はそんなふうに考えた。
「そんな馬鹿げた話は信じちゃならんで!」
突然、扉が開いて末松が現れた。
「千年も前の祖霊が今になって現れるなどありえようはずが無いわ。
彰久も史朗も少しばかり力があるだけのことよ。」
末松はずかずかと皆の中に割り込んで彰久のすぐ前に進み出た。
史朗が彰久を護るように間に入った。手には華翁の剣があった。
それを目にした末松はそれ以上前には進めず、そこに腰を下ろした。
「おまえたちは何を企んどる。鬼面川を乗っ取るつもりか?」
将平の表情が曇った。
「愚かなことを…。 私も閑平もここへ戻って来ようとはつゆほども思わぬ。
我等が今ここにあるのはこれらの魂を救えという御大親の御意志によるものだ。」
将平が言った。
鼻先でふふんと笑うと末松は意地悪い目で将平を名乗る彰久を見た。
「どうだかな。 身内の不幸に付け込んで悪さを仕掛けよるのかも知れんで。」
「無礼な! 我等祖霊に対してなんという態度をとるのか。
まことに嘆かわしい。 鬼面川の礼は地に落ちた。」
閑平が怒りをあらわにした。
「閑平…そのように怒るでない。 急に現れて祖霊を名乗る者を信ぜよと言う方が無理なのだよ。」
将平は穏やかに微笑んだ。
孝太がおろおろと前に出て来て、彰久と史朗に対して手をついた。
「申し訳ない。 どうか堪忍してやってください。 年寄りのすることだで。」
孝太は末松の方に向き直った。
「爺さま…。爺さまは鬼面川の祭祀に関していっさい口を挿むことはできない。
先代長の時にも当代長の時にも一度たりとも祭祀に関わることを許されなかったお人だ。」
いつに無くきつい口調で孝太は末松に詰め寄った。
曲がりなりにも孝太は隆弘によって選ばれて祭祀に関わることを許された者。
そのけじめはつけずにはおかれない。
末松の唇が怒りに震えた。
「生意気な口をきくな! ろくろく祭祀もできぬ者が。」
「俺は半端者だが、祭祀を司る者の端くれとして言わせてもらえば、このおふたりは少なくとも隆弘よりずっと格が上だ。
話に聞く先代長の上をいくかもしれない。 祖霊か否かを別としてもだ。
俺は確かにこのおふたりから『救』を教わった。 」
孝太は譲らなかった。末松に対して孝太がこれほどはっきりとものを言うのは初めてのことだった。養子である数増の末松に対する遠慮から、孝太も祖父に対してはめったに反論することはなかったのだ。
末松は怒りのあまり口も聞けなかった。
「僕が…。」
突然、隆平が声を出した。皆がいっせいに隆平の顔を見た。
隆平はちょっと戸惑ったがすぐに後を繋いだ。
「僕が祭祀を執り行います。 鬼面川の奥儀『救』を…。」
皆は唖然とした。それまで全く口を利かないでいた隆平がこともあろうに祭祀を行いたいという。
「隆平。それはちょっとやばいって。」
「そうだよ。 奥儀なんてすぐにできるもんじゃないよ。」
雅人も透も慌てて止めに入った。
隆平は二人を見て少しだけ笑みを浮かべた。
「僕には鬼面川本家を代表するものとしてこれらのさまよえる魂を救済する責任があります。
これが祖父のした悪行の結果と言うのなら、なおさらのこと僕の手でそれを正さねばならないのです。」
隆平の決意に将平は微笑みながら頷いた。
「隆平。 よくぞ決心いたした。 おまえの志まことに嬉しく思う。
好きなようにやってみるがいい。
おまえが『救』を極めるには少し無理があるが、我等が介添えを務めよう。
さすれば巧くいくだろう。
ただし、おまえは鬼面川の長にはなれない。
おまえの根底にあるのは完全なまでに紫峰の『滅』だ。
孝太は力の属性こそは紫峰だが、鬼面川の特性が色濃く残っている。」
将平は浄几の前へと隆平を誘った。
隆平は、久松らを前に腰を下ろすと、一度目を閉じて深呼吸をした。
やがて、静かに目を開くと隆平は別人のように見えた。普段のような子供っぽさは消えて、久松と対峙して遜色ない強さを感じさせた。
「久松よ…我が大叔父よ。 この隆平を生贄に捧げどうするつもりだった?」
皆は驚いたように隆平を見た。『生贄』とはただ事ではない。
隆平を狙ったのは単に復讐のためではないと言うのか…。
彰久は修の表情を伺った。修は別に驚いた様子もなく楽しげに隆平を見ていた。
『あなたという人は…。』彰久は溜息をついた。
隆平は多分、修に動かされている。それも全面的にではなく、本人にもそれとは気付かないくらいの軽さで…。
そうするように仕向けられていると言った方がいいのかもしれないが…。
「復讐の名を借りて、この隆平を人身御供に差し出した。 何のためだ?」
再び、隆平が問うた。
『おまえを殺せばすべてが終わるはずであった。』
久松が答えた。
『面川への憎しみと怨みはもはやどうしようもないまでに膨らんでいたのだ。
このままいけば面川と血の繋がりのある者はひとり残らず殺されてしまう。
由緒ある面川一族が絶えるようなことは避けねばならん。』
「当代長の血を引く者を全部殺せば、他の親族には手が及ばないと考えたのか?
それは…おまえの考えではないな?」
隆平がそう言い放つと久松はあきらかに動揺した。
「よいか久松。 このままいけば誰一人救われるものはない。
これらのさまよえる魂を逝くべき所へ導けるかどうかは、すべておまえの心ひとつにかかっている。
皆の安らぎを願うのであれば真実を告白せよ。
鬼面川の一族として恥じぬ行いを致せ。」
少年とは思えぬほどの気魄が久松を追い詰めた。
「俺も鬼面川の血を受けた者だ…。 これらの魂をこのままにはしておけぬ。」
久松はぽつりぽつりと真実を語り始めた。
次回へ
それは取りも直さず、彰久なら許される弱さと未熟さを捨て、鬼面川の祖霊としての責任を負わねばならなくなったことを意味していた。
かつて修が紫峰の祖霊樹として命懸けで戦ったように、将平もまた命懸けでこれらの哀れな魂を救済せねばならない。
『俄かには信じ難いことだ…。 』
久松は唸った。
「信じるか否か…そんなくだらぬことを長々と考え、論じても始まらぬぞ。
あなたがすべてを話してくれれば、私は『救』を行うことができる。
それで証明されよう。」
将平は挑発するかのように言った。
「末松の後妻はすでに先に旅立った…。」
久松は動揺した。取り巻いている魂たちが騒ぎ出した。
このような姿で何時までも現世にさまよっていたい者などいないのだ。
生き返ることなどできるはずもなく…。
将平の出現に驚いたのはさまよえる魂たちばかりではなかった。
孝太は腰を抜かさんばかりだった。夕べからずっと不思議なことばかり経験してきたが、自分に所作や文言を伝授してくれた彰久が将平の生まれ変わりとは想像だにしていなかった。
しかも息子閑平までがご丁寧にも同時期に生まれ変わっているとは…。
思い当たることと言えばあの史朗の戦い方である。あの剣は確かに華翁の剣でこの社の宝物殿の奥に厳重にしまわれている筈のものである。
それがなんと勝手に剣の方から史朗の手に現れて優雅な剣舞を披露してくれたではないか。
その時は自分のことで手一杯で、孝太も不思議とは感じなかったものの、今考えてみれば絶対ありえない話である。
先代長の孫二人が将平、閑平であるなどという奇跡は、いま親族間の無益な争いによって滅びようとしている鬼面川を救えという御大親のご意志によるものであろうか…。
孝太はそんなふうに考えた。
「そんな馬鹿げた話は信じちゃならんで!」
突然、扉が開いて末松が現れた。
「千年も前の祖霊が今になって現れるなどありえようはずが無いわ。
彰久も史朗も少しばかり力があるだけのことよ。」
末松はずかずかと皆の中に割り込んで彰久のすぐ前に進み出た。
史朗が彰久を護るように間に入った。手には華翁の剣があった。
それを目にした末松はそれ以上前には進めず、そこに腰を下ろした。
「おまえたちは何を企んどる。鬼面川を乗っ取るつもりか?」
将平の表情が曇った。
「愚かなことを…。 私も閑平もここへ戻って来ようとはつゆほども思わぬ。
我等が今ここにあるのはこれらの魂を救えという御大親の御意志によるものだ。」
将平が言った。
鼻先でふふんと笑うと末松は意地悪い目で将平を名乗る彰久を見た。
「どうだかな。 身内の不幸に付け込んで悪さを仕掛けよるのかも知れんで。」
「無礼な! 我等祖霊に対してなんという態度をとるのか。
まことに嘆かわしい。 鬼面川の礼は地に落ちた。」
閑平が怒りをあらわにした。
「閑平…そのように怒るでない。 急に現れて祖霊を名乗る者を信ぜよと言う方が無理なのだよ。」
将平は穏やかに微笑んだ。
孝太がおろおろと前に出て来て、彰久と史朗に対して手をついた。
「申し訳ない。 どうか堪忍してやってください。 年寄りのすることだで。」
孝太は末松の方に向き直った。
「爺さま…。爺さまは鬼面川の祭祀に関していっさい口を挿むことはできない。
先代長の時にも当代長の時にも一度たりとも祭祀に関わることを許されなかったお人だ。」
いつに無くきつい口調で孝太は末松に詰め寄った。
曲がりなりにも孝太は隆弘によって選ばれて祭祀に関わることを許された者。
そのけじめはつけずにはおかれない。
末松の唇が怒りに震えた。
「生意気な口をきくな! ろくろく祭祀もできぬ者が。」
「俺は半端者だが、祭祀を司る者の端くれとして言わせてもらえば、このおふたりは少なくとも隆弘よりずっと格が上だ。
話に聞く先代長の上をいくかもしれない。 祖霊か否かを別としてもだ。
俺は確かにこのおふたりから『救』を教わった。 」
孝太は譲らなかった。末松に対して孝太がこれほどはっきりとものを言うのは初めてのことだった。養子である数増の末松に対する遠慮から、孝太も祖父に対してはめったに反論することはなかったのだ。
末松は怒りのあまり口も聞けなかった。
「僕が…。」
突然、隆平が声を出した。皆がいっせいに隆平の顔を見た。
隆平はちょっと戸惑ったがすぐに後を繋いだ。
「僕が祭祀を執り行います。 鬼面川の奥儀『救』を…。」
皆は唖然とした。それまで全く口を利かないでいた隆平がこともあろうに祭祀を行いたいという。
「隆平。それはちょっとやばいって。」
「そうだよ。 奥儀なんてすぐにできるもんじゃないよ。」
雅人も透も慌てて止めに入った。
隆平は二人を見て少しだけ笑みを浮かべた。
「僕には鬼面川本家を代表するものとしてこれらのさまよえる魂を救済する責任があります。
これが祖父のした悪行の結果と言うのなら、なおさらのこと僕の手でそれを正さねばならないのです。」
隆平の決意に将平は微笑みながら頷いた。
「隆平。 よくぞ決心いたした。 おまえの志まことに嬉しく思う。
好きなようにやってみるがいい。
おまえが『救』を極めるには少し無理があるが、我等が介添えを務めよう。
さすれば巧くいくだろう。
ただし、おまえは鬼面川の長にはなれない。
おまえの根底にあるのは完全なまでに紫峰の『滅』だ。
孝太は力の属性こそは紫峰だが、鬼面川の特性が色濃く残っている。」
将平は浄几の前へと隆平を誘った。
隆平は、久松らを前に腰を下ろすと、一度目を閉じて深呼吸をした。
やがて、静かに目を開くと隆平は別人のように見えた。普段のような子供っぽさは消えて、久松と対峙して遜色ない強さを感じさせた。
「久松よ…我が大叔父よ。 この隆平を生贄に捧げどうするつもりだった?」
皆は驚いたように隆平を見た。『生贄』とはただ事ではない。
隆平を狙ったのは単に復讐のためではないと言うのか…。
彰久は修の表情を伺った。修は別に驚いた様子もなく楽しげに隆平を見ていた。
『あなたという人は…。』彰久は溜息をついた。
隆平は多分、修に動かされている。それも全面的にではなく、本人にもそれとは気付かないくらいの軽さで…。
そうするように仕向けられていると言った方がいいのかもしれないが…。
「復讐の名を借りて、この隆平を人身御供に差し出した。 何のためだ?」
再び、隆平が問うた。
『おまえを殺せばすべてが終わるはずであった。』
久松が答えた。
『面川への憎しみと怨みはもはやどうしようもないまでに膨らんでいたのだ。
このままいけば面川と血の繋がりのある者はひとり残らず殺されてしまう。
由緒ある面川一族が絶えるようなことは避けねばならん。』
「当代長の血を引く者を全部殺せば、他の親族には手が及ばないと考えたのか?
それは…おまえの考えではないな?」
隆平がそう言い放つと久松はあきらかに動揺した。
「よいか久松。 このままいけば誰一人救われるものはない。
これらのさまよえる魂を逝くべき所へ導けるかどうかは、すべておまえの心ひとつにかかっている。
皆の安らぎを願うのであれば真実を告白せよ。
鬼面川の一族として恥じぬ行いを致せ。」
少年とは思えぬほどの気魄が久松を追い詰めた。
「俺も鬼面川の血を受けた者だ…。 これらの魂をこのままにはしておけぬ。」
久松はぽつりぽつりと真実を語り始めた。
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