多分、お酒を飲んで19時頃寝た。
1時頃、目が覚めた。気がついたら、今の時間だ。
長い一日になりそうだ。
お酒を、一日おきにして、深酒しなくなってる、昨日も一時間も飲んでない。
物足りないような気もするが、いいことなのだろう。
明日は母親の月命日だ。もう、10か月になる。あと、二か月で一年だ。
正直、あまり、頭に浮かばなくなってる。
時間の経過は、悲しみを確実に癒してくれる。
たまに、思い出すときも、晩年のすごかった時でなく、50歳くらいの頃の、強い母親だ。
でも、ガンという病気は、突然だ。
あっという間に、あの世にもってく。
母親も1年だった。
でも、発達障害からの、統合失調症の人を、自死ではなく、病院に長期入院もさせず、体の病気による死まで、もっていったのは、よくやったような気がする。
何度か未遂をしてるだけに、大変だったが、自死は避けられた。
それだけが、救いだ。
最後の3年間、離れて住んだのは、後悔もある。
同居してれば、早く気づいてやれたのでは、とも、思わなくもない。
自分の自覚症状を伝えることができないことが、発見を遅らせた。
発達障害の人の、施設とかに入ってれば、早期発見できたかもしれない。
頑なに、拒んだけど。
後悔は色々ある。
こういう時は、責任をなすりつけたくなる。
いい加減な、かかりつけの医者が早く、発達障害と気が付けば、こうはなってないのに、とかも思う。
そもそも、何科にかかるとか、患者が選ばなくてはいけないとか、おかしいのだ。
発達障害とか、ガンとか、かかりつけの医者がわからないのだから、わかるわけがない。
家の母親は転んで肩をうったとき、診察で転んだことをいわずに、リュウマチと診断されてくるような、会話ができないようなところがあったのだけど。
あれで、施設にも入らず、病院にも長期入院せずに、生きてきたのは、並々ならぬ、努力をしてたんだと思う。
ド根性だ。
精神医療がヤミでなくなったのは、平成の頃に、20歳を迎えた、私の世代が、初めなのだけれど。
母親の世代は、ヤミだったから、隠していきてきたのだ。
人権とかいうが、世の中から、偏見はなくならないんだなー。
今は、ジェンダーとかいって、性別の差別をなくそうとしてる。
精神の病気もそうならないかなーと思う。
母親の最後の病院で、精神の手帳を隠してた、気持ちを思うと、涙が出る。