もう一度

若いころの銀行勤務でメンタルをやってます。気楽ですが、最近さみしさを感じます。安定してます。

精神の病気の偏見

2021年04月19日 02時09分53秒 | ペット

多分、お酒を飲んで19時頃寝た。

1時頃、目が覚めた。気がついたら、今の時間だ。

長い一日になりそうだ。

お酒を、一日おきにして、深酒しなくなってる、昨日も一時間も飲んでない。

物足りないような気もするが、いいことなのだろう。

 

 

 

明日は母親の月命日だ。もう、10か月になる。あと、二か月で一年だ。

正直、あまり、頭に浮かばなくなってる。

時間の経過は、悲しみを確実に癒してくれる。

たまに、思い出すときも、晩年のすごかった時でなく、50歳くらいの頃の、強い母親だ。

でも、ガンという病気は、突然だ。

あっという間に、あの世にもってく。

母親も1年だった。

でも、発達障害からの、統合失調症の人を、自死ではなく、病院に長期入院もさせず、体の病気による死まで、もっていったのは、よくやったような気がする。

何度か未遂をしてるだけに、大変だったが、自死は避けられた。

それだけが、救いだ。

最後の3年間、離れて住んだのは、後悔もある。

同居してれば、早く気づいてやれたのでは、とも、思わなくもない。

自分の自覚症状を伝えることができないことが、発見を遅らせた。

発達障害の人の、施設とかに入ってれば、早期発見できたかもしれない。

頑なに、拒んだけど。

後悔は色々ある。

こういう時は、責任をなすりつけたくなる。

いい加減な、かかりつけの医者が早く、発達障害と気が付けば、こうはなってないのに、とかも思う。

そもそも、何科にかかるとか、患者が選ばなくてはいけないとか、おかしいのだ。

発達障害とか、ガンとか、かかりつけの医者がわからないのだから、わかるわけがない。

家の母親は転んで肩をうったとき、診察で転んだことをいわずに、リュウマチと診断されてくるような、会話ができないようなところがあったのだけど。

あれで、施設にも入らず、病院にも長期入院せずに、生きてきたのは、並々ならぬ、努力をしてたんだと思う。

ド根性だ。

精神医療がヤミでなくなったのは、平成の頃に、20歳を迎えた、私の世代が、初めなのだけれど。

母親の世代は、ヤミだったから、隠していきてきたのだ。

人権とかいうが、世の中から、偏見はなくならないんだなー。

今は、ジェンダーとかいって、性別の差別をなくそうとしてる。

精神の病気もそうならないかなーと思う。

母親の最後の病院で、精神の手帳を隠してた、気持ちを思うと、涙が出る。

 

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