大船渡線にあらずドラゴンレールにあらず、山汽車である!

2011年08月12日 13時37分58秒 | 巻二 起居注
高校の三年間、この路線で通いました。
片道1時間強。

言わずと知れた、政治的我田引水の結果である「鍋弦線」です。
俺の町は、一関から見て鍋弦の正反対に位置するため、
「目的地間距離は間近なのに道のりが遠すぎ」という悲哀を
最も実感しやすいところなわけです。

鍋弦物語についてはウィキでも参照して。

で、母校では(というか市内高校生の共通語として?)
大船渡線は「山汽車(やまきしゃ)」と呼称されていました。
誰一人オオフナトセンなどと呼びません。
今もそうなのかな。

山汽車の由来は言うまでもなく、
とんでもない山奥(ってほどでもないのだが)をダラダラ走るという点にあります。

山汽車は自転車に追い抜かれるという都市伝説がまことしやかに流布されていましたが、
事実俺は見ました。
追い抜かれるまではいかないまでも、
自転車と並走してる山汽車を。
もちろん特に徐行状態だったわけではありません。

当時はキハ40とかそこいら辺のどっぷり国鉄車両だったのですが、
今はさすがにやや近代的キハ100系です。
それでもたぶん20年近く走ってるような気がします。印象として。

生まれつき山汽車の遅さに慣れてると、
東北本線のフツーの鈍行でも超スピード高速鉄道に感じて、
ぶっちゃけ怖かったと記憶。いやほんと。
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