大船渡線にあらずドラゴンレールにあらず、山汽車である!(season2)

2011年08月12日 14時36分37秒 | 巻二 起居注
十数年ぶりの山汽車帰省を敢行。
本数少ないわ時間かかるわで、
高校卒業後はめったにこの路線に乗ることはなくなりました。
なので、少々ノスタルジックな気分でGo!

で、誰得な山汽車旅程記のはじまりはじまり。


一ノ関駅で小牛田からの鈍行より乗り換えます。
あ、ちなみに、
一ノ関駅は市名で言うと一関市にあるのです。「ノ」が!「ノ」が!
これ、豆知識。

俺が高校当時、
出発間際(っていうか明らかに遅参)に駅に走りこんできた生徒を、
山汽車は待っててくれました。
いったん動き出しても、わざわざブレーキかけてまで。
何しろ本数が少ないので、
下校時に乗りっぱぐれるとマジ涙目です。
北上書房でミスター味っ子のコミック本を3冊座り読みする羽目になります。


一ノ関駅を出発。1043。
帰省客や観光客で立ち客までいます。
当然俺も立ちます。風景見たいので。

しばらくは国道284と並走。
工業団地を過ぎたあたりでちょっとした峠があり、
そこから下ると真滝駅。
誰一人乗降しませんでした。

真滝から陸中門崎まではかなり距離が開きます。
文字通り山越え谷越え北上川橋梁渡りトンネル2つと、
かなり変化にとんだ車窓が楽しめます。
ただ当時は夏場の肥料臭が強烈で、
冷房なし窓開き列車のつらさを身をもって体感したのでした。

ここで、「門崎から千厩まで直線なら20分コースなのになあ」と心の中でツィート。
鍋弦現象その一、レールは北へ向きを変えます。

砂鉄川沿いの河岸段丘を行くのでしばらくは平坦です。
農家の軒先を次々かすめます。
岩ノ下駅は、相変わらずな佇まいでした。
駅前の電器屋も(たぶん)そのままです。
この時間ここから下り方面に乗る人がいるのかと、正直驚愕。

岩ノ下から陸中松川まではすぐ。
東山町の中心市街地はもっと猊鼻渓寄りにあり(猊鼻渓駅は後年できた)、
なんでこんなところに駅があるのか一見不思議だったんですが、
セメント工場の存在に気づけば答えは簡単(ほんとか)。
当時はたいそうな駅舎や貨物施設があったのですが、
いまじゃあまりにそっけない待合室のみ。

松川を出て砂鉄川を渡ると猊鼻渓駅。
俺が在学中に新設されました。
いかにも急ごしらえな場所(山腹)にへばり付く様に停まります。
ここに来て空席が目立つようになりました。
ちなみにここが鍋弦の左上角にあたります。
鍋弦のおかげで猊鼻渓がメジャーになった(逆か?)と思えば、
我田引鉄も笑って許せると申せましょう。

猊鼻渓を過ぎると、長坂の街並みを見下ろすように高度を上げていきます。
ディーゼルエンジンがさすがに悲鳴を上げるか、という辺りで、
頂上にあたるのが柴宿駅。
「原宿」とひと文字違いなのにこの落差はなんやねんと幼少時から思ってました。

柴宿の頂からは、摺沢まで豪快に坂下りです。
車窓からかなり高低差が大きいダイナミックな風景が楽しめるポイント。
再び砂鉄川と合流すると、摺沢駅。

当時この町にはわしの好いた女子が住んでおって、
朝に夕にそりゃあ気になったもんですわ。苦いねえ。青春だねえ。

摺沢は一番雰囲気が変わったと言えましょう。
駅舎が超グレードアップ。

摺沢を出ると、レールは南向きに。再び市街地を見下ろすような位置関係で山腹を登ります。
いっつもこればっかりやな。さすが山汽車。
ここの駅間もかなり長いです。
旧町境でピークに達すると、列車は惰性で千厩盆地目指して軽快に飛ばします。

千厩まで1時間かかりませんでした。
列車や路盤の改良があるにせよ、
スピードアップの一番の理由を俺は知ってる気がします。
単線ならではの「上下列車行き違い」が千厩まで1回もありませんでした。
当時は必ず1,2回はあったのに。
要は、それだけ運行本数が減ったってことなんでしょう。



千厩駅。当時のまま。意外にも?駅員さんまでいました。
改札に落ちていた帽子を拾って、
向かい側のホームの客たちに所有者誰何を呼び掛けてます。
なんとものんびりムード。

駅前は、まあ例によって賑わいとは程遠い状態で。これは前っからだね。
ワールドレコードもとっくの昔に無くなってるしね。
岡田有希子のLP買ったよなあ。

列車は現状の暫定的終着である気仙沼を目指して行きました。
そう、陸前高田も、大船渡も、…ですので。
復興祈願。
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