ナハトムジーク

2009年06月29日 20時58分18秒 | 巻九 マーラーが私に語ること
帰宅の足を仙石線から徒歩に代えたことにより、
音楽を聴く時間が伸びた。
勢い、長大な曲を最後まで聴く時間が出来た。
だから最近は、歩きながらマーラーとかブルックナーとか。

全ての音楽(というか芸術表現)について、
純粋客観的な存在などあり得ない。
作曲者そのものの主観的存在が、当然そこには屹立している。

だのに、それにはやはり濃淡がある。
たとえばブルックナーは、
その音楽にブルックナー自身の姿が直截には見えにくい。
たとえば、山野とか聖堂とかの風景がまず浮かびあがる。
ああ、もちろん反論は認めるが。

で、マーラーはそうはいかない。
言うなれば、「オレ語り」である。私小説である。自身の投影である。
想像してみよう。
あかの他人が1時間以上、
自分の耳のそばでひたすら彼の一人語りを呟き続ける。
ある時は英雄、ある時は愛の殉教者(笑)
正直、ウザくはないだろうか??

だが、それが、いい。
そんなマーラーが、大好きなのだ。

マーラー:交響曲第7番
テンシュテット(クラウス)
EMIミュージック・ジャパン

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この演奏、エントリするのは3度目くらいか。
今日は久々にじっくり聴いてみた。歩きながら。

副題の「夜の歌」とはよく言ったもので、
確かに4楽章までは夢うつつのような幻想世界。
眠れぬ夜の、半分意識を失った「マドロミ」と言えようか。
そして、フィナーレの喧噪。闘争?勝利??

何度聞いても解らない。
「夜の歌」とは第2第4楽章のテーマらしいから、
何も無理に全曲をナハトムジークで理解する必要はないだろう。

だがしかし、それでも
唐突なフィナーレの馬鹿騒ぎを聴くたび、笑ってしまう。
笑って、そして気がつけば、最後には危うく泣きそうにさえ。

夢の入り口。
夜の湿った空気に乗せて仄かに聞こえてくる、眠らせない子守唄。悲劇的の残滓。
骸骨の舞踏。
眠らせる子守唄(実際、今日はここで一度熟睡した)。
そして、全てを「ナシ」にする終局。
ああ、この交響曲は「ちゃぶ台交響曲」なんだなw
おおー!凄い結論にたどり着いた。

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