カラヤンのマーラー6番。
その昔日本公演においてこのカラヤン&ベルリンフィルコンビは当曲を取り上げた際、
カウベルをあろうことか録音素材で流したらしい!
この件はいかにもカラヤンというような印象を与えるに十分であり、
「…カラヤンだからなあw」などと
少々ひねくれた気持ちでこのディスクを手に取るはめになる(かもしれない)エピソード。
追い打ちをかけるようにもうひとつ、この盤についての文章を紹介しておく。
「立派な仕事だ。
テンシュテットのあとでは、『この人、なんにもわかっていない!』と思うの必至だが、
楽譜とはわからない者も演奏可能にするメディアということを知る意味で。」
…どうだろう。
聴きたくなくなくなる材料に事欠かない。
逆に言えば、「怖いもの見たさ系」の魅力にあふれた演奏とか?
ちなみにこの文は「クラシック名盤&裏名盤ガイド」(洋泉社1996)のものであり、
この部分の評者はなんと許光俊氏である。
はじめてこの文を読んだときは許氏のことをまだ知らず、
「なんて陰険な皮肉を書くヤツだwww」と思ったが(いい意味で)、
後年これが許氏の仕業と知り、なるほどと納得したわけだ。
---------- キリトリ -----------
で、今更ながら聴いてみました。カラヤンの6番。
ここ数日ヘヴィーローテーション。
まあ何と言うか、
きわめて中庸ではないかな、という第一印象。
何しろ俺の第6番の価値基準が「テンシュテット(T様)」だったり「バーンスタイン」だったりするので、
万人共通の意味での「中庸」ではないだろうが。
第一楽章
予想外に淡々としてシンプルな導入。
ゴージャスとかって言うカラヤン評価の常套句とは程遠い。
でも、こういうのも好きなんだな。
これの究極の形がショルティなんだが。
第二楽章(スケルツォ)
何と言ってもシロフォンの乾いた響きがタマラン。
これについても、さらに10倍上をいくT様の1991ライブ盤があるっちゃああるのだが、
俺としてはここまでやってくれれば満足。
死神がカタカタ踊ってるです。いいぞ。
第三楽章
こういうところはカラヤンの「いかにもカラヤン」なところ全開。
だいぶロマンティックwにやっちゃってます。
いいぞいいぞ。軽薄なドラマの劇伴みたいで(いい意味で)。
第四楽章
ここにきて、ゴージャスさ完全に発揮されてます。
はっきり言ってここには「悲劇」も何もあったもんじゃないけど、
これはこれでありでしょ。
よく鳴るオケが演奏効果抜群の曲を演れば当然こうなるという例(いい意味で)。
しつこいようだが、T様の破壊力や情念には30歩物足りないが、
だからこそあえて「中庸」と言わしてもらった魅力がある。
あえて言おう。初めて「悲劇的」を聴く人にお勧めである、と。
その結果幻滅する人も「つまらん曲だ」と思う人も一定程度いるとは思うが、
それはそれでしゃあない。
ただ、この曲を俯瞰するには過不足ない好演だと思う。
毎日のようにT様ばっか聴いてりゃさすがに真性でおかしくなりそうだから、
こういう毒にも薬にもならない(勿論いい意味で)盤も必要なのだ。
その昔日本公演においてこのカラヤン&ベルリンフィルコンビは当曲を取り上げた際、
カウベルをあろうことか録音素材で流したらしい!
この件はいかにもカラヤンというような印象を与えるに十分であり、
「…カラヤンだからなあw」などと
少々ひねくれた気持ちでこのディスクを手に取るはめになる(かもしれない)エピソード。
追い打ちをかけるようにもうひとつ、この盤についての文章を紹介しておく。
「立派な仕事だ。
テンシュテットのあとでは、『この人、なんにもわかっていない!』と思うの必至だが、
楽譜とはわからない者も演奏可能にするメディアということを知る意味で。」
…どうだろう。
聴きたくなくなくなる材料に事欠かない。
逆に言えば、「怖いもの見たさ系」の魅力にあふれた演奏とか?
ちなみにこの文は「クラシック名盤&裏名盤ガイド」(洋泉社1996)のものであり、
この部分の評者はなんと許光俊氏である。
はじめてこの文を読んだときは許氏のことをまだ知らず、
「なんて陰険な皮肉を書くヤツだwww」と思ったが(いい意味で)、
後年これが許氏の仕業と知り、なるほどと納得したわけだ。
クラシック名盤&裏名盤ガイド (洋泉社MOOK) | |
クリエーター情報なし | |
洋泉社 |
---------- キリトリ -----------
で、今更ながら聴いてみました。カラヤンの6番。
ここ数日ヘヴィーローテーション。
マーラー:交響曲第6番「悲劇的」/亡き子をしのぶ歌/リュッケルトの詩による5つの歌 | |
クリエーター情報なし | |
ポリドール |
まあ何と言うか、
きわめて中庸ではないかな、という第一印象。
何しろ俺の第6番の価値基準が「テンシュテット(T様)」だったり「バーンスタイン」だったりするので、
万人共通の意味での「中庸」ではないだろうが。
第一楽章
予想外に淡々としてシンプルな導入。
ゴージャスとかって言うカラヤン評価の常套句とは程遠い。
でも、こういうのも好きなんだな。
これの究極の形がショルティなんだが。
第二楽章(スケルツォ)
何と言ってもシロフォンの乾いた響きがタマラン。
これについても、さらに10倍上をいくT様の1991ライブ盤があるっちゃああるのだが、
俺としてはここまでやってくれれば満足。
死神がカタカタ踊ってるです。いいぞ。
第三楽章
こういうところはカラヤンの「いかにもカラヤン」なところ全開。
だいぶロマンティックwにやっちゃってます。
いいぞいいぞ。軽薄なドラマの劇伴みたいで(いい意味で)。
第四楽章
ここにきて、ゴージャスさ完全に発揮されてます。
はっきり言ってここには「悲劇」も何もあったもんじゃないけど、
これはこれでありでしょ。
よく鳴るオケが演奏効果抜群の曲を演れば当然こうなるという例(いい意味で)。
しつこいようだが、T様の破壊力や情念には30歩物足りないが、
だからこそあえて「中庸」と言わしてもらった魅力がある。
あえて言おう。初めて「悲劇的」を聴く人にお勧めである、と。
その結果幻滅する人も「つまらん曲だ」と思う人も一定程度いるとは思うが、
それはそれでしゃあない。
ただ、この曲を俯瞰するには過不足ない好演だと思う。
毎日のようにT様ばっか聴いてりゃさすがに真性でおかしくなりそうだから、
こういう毒にも薬にもならない(勿論いい意味で)盤も必要なのだ。
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