復帰なのかそうではないのか、それが問題だ。

2012年05月16日 00時00分18秒 | 巻二 起居注
今日の朝日新聞に載っていた知念ウシ氏と高橋哲哉氏の対談は
非常に興味深いものであった。

その内容と直接関係あったりなかったりする、
俺の普段抱いているあれこれを。


◆そもそも日本への「復帰」なのだろうか。
このテーマについては件の対談でも取り上げられていて、
日本による「再併合」であるとの論も挙げられている。
俺もどっちかというと後者の印象だなあ。

さっきのNHKジャーナルでも、
沖縄の歴史を振り返りましょう、という前フリで
太平洋戦争の地上戦からの話が語られた。
細かいことは言いたくねえが、
沖縄の歴史は言うまでもなく琉球処分のずっと前から続いている訳で。

沖縄はそもそも日本という国家の一部であった訳ではない。としか言えない。
つまり、単純な「復帰」などではないのではないか。

◆駐日大使の言葉について。
これはラジオで聴いた話であり裏を取った訳ではないが、
合州国のルース駐日大使が復帰記念式典で語ったスピーチの中に、
(ちなみにこの式典は日本国の三権の長が雁首揃えたメデタイ儀式であったそうだ)
「沖縄は日米同盟の礎」なるフレーズがあったとか。
これはもう、噴飯脱糞もののケッサクジョークと言えよう。
寝言は寝てから言って欲しい。

誰かに犠牲を強いて繁栄を享受する構図は、
高橋氏も言うとおりアレとおんなじだ。そう、原発。

◆あの件について。
沖縄の、特に基地問題の新聞記事やニュースにおいて、
必ずと言っていいほど触れられる事件がある。
もう一昔以上前になるか。
米兵による女○○学○暴○事件。

被害を受けた当事者及び関係者にとって、
この事件にいつまでも言及されるということは、
はっきり言ってセカンドレイプ以外の何物でもないだろう。違うだろうか。
そりゃ、一つの「史実」として、
報道機関にとってはこの事件に触れる必要や必然性があるだろう。それはわかる。
でも、はっきりと「○子小学○○行事件」などと表現する必要があるのか。
数百年前の事件ならともかく、
まだまだつい最近の、同時代の出来事ではないか。
もうちょっと何とかならんものか。
こんなことをずっと考えていたのは俺だけではないと思うんだが。知らんけど。

◆差別とは。
差別とは、差別する側にその意識がないからこそ悲劇であり深刻である。
イマ、我が皇国には明らかなる差別が存在する。
何度でも言うが、
特定の人々に犠牲を押しつけて知らんふりして自分らだけいい思いをしようなどと、
そんなことが横行する限り我が大日本皇国の自死性向は止まらないだろう。

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