ジャーナリスト本多勝一氏との出会いは学生の頃。15年以上前。
というかもちろん直接会ったわけではない。
当時の友人らが読んでるのをみて、
何となく手にとった。
単行本「貧困なる精神」とか「朝日ジャーナル」とか
朝日文庫の一連の著作。
こう言っちゃなんだが衝撃だった。
人生観の転換点。
別にそれは、「南京大虐殺」や「アメリカ合州国の暗黒面」とか、
そういった表層的なことに対してというよりも、
ものの考え方、というか見方というか。
つまりは、
足を踏まれた者の気持ちは踏まれた者じゃないとわからない。
言い換えれば、踏まれた者の気持ちを常に想像しろ、
ということ。
踏む側の立場に易々ととどまるな。
そのように自分は受け取った。
新聞読むときでもニュース観るときでも、
常にその裏側にいるはずの「○○される側」の論理。
それを決して忘れてはいけないことを学んだ。
おかげで、余所からみればだいぶヒネクレ者になってしまったかもしれないけれども。
それにしても、同時期に「NOといえる日本」の方に感銘を受けなくてよかった~♪(笑)
あと本多氏から受けた影響で大きいのは、
「日本語の作文技術」。
本来理系の本多氏ならではの日本語論だと思った。
このブログ読んだら、全然日本語なってねーじゃねーかとか言われそうだが。
この本の「技術」をものすごく意識して書いた卒論を、
「とても読みやすい文章だ」って特に誉められたときは、正直うれしかったな。
---------- キリトリ -----------
ここ10年くらいの、自分と本多勝一氏とのつながりは、
主に「週刊金曜日」。
創刊からの購読を続けている。
氏の言ってることもこの雑誌も、
全面的に賛同しているわけではないし、
半分近くの記事は実は飛ばすこともある。
でも。
何と言っても「右」な声がやたら五月蝿い昨今、
こういう「金曜日」な言論はとても大事だと思っている。
だから、自分では「市民活動的社会活動的行動」をしない免罪符としてのカンパ代わりなのかもしれない。
ちょっとずるいかな。1ミリくらいの貢献。のつもり。
そう言えば一度だけ、「金曜日」の投書に載っけてもらったこともあったっけ。
---------- キリトリ -----------
ここのブログでは、賛否の分かれる政治的な話とか社会問題とか歴史問題とかを、
敢えて直接触れないようにしてきた。皇室は何度かいじったけど。
しかるに、
せっかくこういう「メディア」を手に入れたんだから、
たまには言うことを言ってもいいのかな、とか最近思う。
別に無理することもない。言いたいときに呟く程度でも。
左手に「週刊金曜日」、右手に「我が闘争」を同時に持つ自分。
(もちろんどちらにも盲従してないよ。特に右手には)
一方ではLOVE&PEACEを唱えながら、
もう一方で迷彩服がお気に入りなファッションの自分。
少々かなりどうしようも無く分裂気味。
そんな自分だからこそ言える事があるかもしれない。
言わなくちゃいけない事があるかもしれない。
言ってもよい事があるかもしれない。
…これがパンドラの箱ではありませんように。
というかもちろん直接会ったわけではない。
当時の友人らが読んでるのをみて、
何となく手にとった。
単行本「貧困なる精神」とか「朝日ジャーナル」とか
朝日文庫の一連の著作。
こう言っちゃなんだが衝撃だった。
人生観の転換点。
別にそれは、「南京大虐殺」や「アメリカ合州国の暗黒面」とか、
そういった表層的なことに対してというよりも、
ものの考え方、というか見方というか。
つまりは、
足を踏まれた者の気持ちは踏まれた者じゃないとわからない。
言い換えれば、踏まれた者の気持ちを常に想像しろ、
ということ。
踏む側の立場に易々ととどまるな。
そのように自分は受け取った。
新聞読むときでもニュース観るときでも、
常にその裏側にいるはずの「○○される側」の論理。
それを決して忘れてはいけないことを学んだ。
おかげで、余所からみればだいぶヒネクレ者になってしまったかもしれないけれども。
それにしても、同時期に「NOといえる日本」の方に感銘を受けなくてよかった~♪(笑)
あと本多氏から受けた影響で大きいのは、
「日本語の作文技術」。
本来理系の本多氏ならではの日本語論だと思った。
このブログ読んだら、全然日本語なってねーじゃねーかとか言われそうだが。
この本の「技術」をものすごく意識して書いた卒論を、
「とても読みやすい文章だ」って特に誉められたときは、正直うれしかったな。
---------- キリトリ -----------
ここ10年くらいの、自分と本多勝一氏とのつながりは、
主に「週刊金曜日」。
創刊からの購読を続けている。
氏の言ってることもこの雑誌も、
全面的に賛同しているわけではないし、
半分近くの記事は実は飛ばすこともある。
でも。
何と言っても「右」な声がやたら五月蝿い昨今、
こういう「金曜日」な言論はとても大事だと思っている。
だから、自分では「市民活動的社会活動的行動」をしない免罪符としてのカンパ代わりなのかもしれない。
ちょっとずるいかな。1ミリくらいの貢献。のつもり。
そう言えば一度だけ、「金曜日」の投書に載っけてもらったこともあったっけ。
---------- キリトリ -----------
ここのブログでは、賛否の分かれる政治的な話とか社会問題とか歴史問題とかを、
敢えて直接触れないようにしてきた。皇室は何度かいじったけど。
しかるに、
せっかくこういう「メディア」を手に入れたんだから、
たまには言うことを言ってもいいのかな、とか最近思う。
別に無理することもない。言いたいときに呟く程度でも。
左手に「週刊金曜日」、右手に「我が闘争」を同時に持つ自分。
(もちろんどちらにも盲従してないよ。特に右手には)
一方ではLOVE&PEACEを唱えながら、
もう一方で迷彩服がお気に入りなファッションの自分。
少々かなりどうしようも無く分裂気味。
そんな自分だからこそ言える事があるかもしれない。
言わなくちゃいけない事があるかもしれない。
言ってもよい事があるかもしれない。
…これがパンドラの箱ではありませんように。
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