ブルックナー「交響曲第6番」

2005年12月29日 00時49分57秒 | 巻七 ブルックナーが私に語ること
ブルックナー交響曲の我が欠番を埋める作業。

朝比奈隆・大阪フィルハーモニー交響楽団(1994)

ほんとは、もうちょい聴き込んで、
考えをまとめてから書いた方がよいかなとも思ったけど
イマ以上なにも言えないかも知れないし。
出逢いに第一印象は大切。

それから、演奏そのものについては直接触れない。
ぶっちゃけ語れるほど朝比奈さんを聴いたことなんて全然ないし。

---------- タニマ -----------

この第6番は、どうやら谷間扱いされることが少なくないらしい。
演奏時間も60分弱(この朝比奈盤)だし、
ブルックナーの交響曲の中では「大作」に分類され難い。らしい。

*印象の断片*
第1楽章。
第1主題のあまりに重々しい歩み。
ここまで傍若無人なティンパニーのブルックナーは初めて聴いた。

アダージョ。
実は最初は全然印象に残らなかったけど、
よくよく聴いてみると
フィナーレでカッコよく再現されてる旋律の原型が見つかったりして。
低弦のピチカートが好き。

スケルツォ。
不思議な空気感の刻々としたリズムが印象的。
特にトリオは、
?こういうブルックナーもありなのか、というか。
このトリオに限らず、この6番は
弦のピチカートが面白い効果を聴かせてくれる。

フィナーレ。
ブルックナー特有の、特に7番あたりと相通ずる
フィナーレの「妙な軽さ」ってこう言う感じ。だと思ってる。
重厚な5番にのめりこんでる最中なだけに余計。
でもこれまたブルックナーの魅力のひとつとして、
そんな「軽さ」のなかで突然場違いなほどに姿を現す金管の音塊たち。
これがあるから、少々カタルシスに不満でも、
終曲まで一気に聴いてしまうのだ。
それにしても、このフィナーレの妙に明朗な回答は一体何なんだろう。
あまりに陰鬱な1楽章との対照。
でも闘争の結果の勝利宣言とかでは決してない。

こういう印象って、やっぱり結局演奏のせいもあるのかな。
だとしたら最初にこの朝比奈盤を聴いてよかった。

全体として、
「う~ん、どこがどうって言われると困るけど何となくいつも聴いてしまう感じ」
という、非常に「ブルックナーな曲」だった。
こんな曖昧糢糊なまとめでよいのか。

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