宮沢元首相の日録、見つかる

2024年02月25日 18時34分18秒 | 巻六 世界史
宮沢元首相が自ら記録をつけていた「日録」が存在していたそうだ。

宮沢元首相の「日録」見つかる 戦後40年間克明に「第一級の史料」:朝日新聞デジタル

 宮沢喜一・元首相(1919~2007)の40年間に及ぶ詳細な政治行動記録が見つかった。期間は、佐藤栄作内閣の経済企画庁長官に就任した66年12月から死去前年の06年9月に及ぶ。...

朝日新聞デジタル


今朝の朝日新聞朝刊で大々的に取り上げられており、非常に興味深く読んだ。

大学ノートの左ページにその日の行動記録が秘書によって記載され、右ページには宮沢氏が会談内容や感想を書いている。

これって、つまり毎日秘書との共同作業だったのかな。

どういう経緯でこの記録を始めたんだろう。
本人が狙ったかどうかはともかく、戦後政治史の一級品の記録となった訳だ。



私がこの記事に大きな関心を抱いたのは、自分なりの経験が相当程度影響している。


学校時代に少しだけ史学をかじっていた。

私が学んだ史学研究の流儀は、一にも二にも文献の読み込み。
そうした文献は一般的に、一次史料、つまり出来るだけ同時代に、当事者に近い立場で書かれたものほど重視される。
たとえば、明通鑑のような史料を無批判に使うとそれこそ批判される。
(私は承知の上で引用したのだが予想通り指導教官に突っ込まれた。)

そのような一次史料が残されていること自体が、貴重なのだ。

中華王朝は歴代の制度として、皇帝の日常の行動から朝議、諭旨、奏上などを事細かに記録することが確立されていた。
それがまとめられて実録となり、そしていずれは正史となる。
正史も結局は、そうした一次史料である日々の記録があってこそなのだ。

そうした記録たちは大体にして退屈に見える要素の集合体だが、一方で後世の研究者にとっては宝の山。

正徳朝の明実録を夜の研究室でひたすら読み込んだ卒業論文の執筆過程が懐かしい。


ということで、今回の宮沢喜一氏の日録、その重要さは人並み程度には理解しているつもりだ。
記事によればデータベース化が進められているらしいので、今後の政治史研究等にどれだけ貢献するか考えただけでワクワク感を禁じ得ない。

もちろんこれは、宮沢氏個人の記録であり、主観的なうえに(場合によっては)恣意的な内容も含まれている可能性がある。

それはそれで貴重な史料の史料たる所以であるし、それに対する批判的考察もまた必要なのだろう。

翻って、今の政治家の皆さんはこのような記録をつけているのだろうか?
私は無知なのでよく分からないのだが、個人による記録ではなくても、官邸の制度として政府首脳の「起居注」は残されているのだろうか?

平気でウソをつき記録を改竄する政権ならそんなこと期待すべきではないのか。
(歴代中華王朝がウソも改竄も無縁だとは言っていない。)


ほんと、記録は大事よ。
日々の記録が史料となり、検証の対象となる。
それは後世に対する教訓と警鐘になり得る。

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