これまで生涯でショスタコーヴィチの実演に触れた経験を思い返していた。
少なくとも確かなのは、交響曲の8番、9番、10番、13番、15番。
5番は吹奏楽版なら確実な記憶があるが、オケでどうかというと記憶が曖昧。
協奏曲は、ピアノ1番とチェロ1番。
森の歌。
カテリーナ・イズマイロヴァの一曲。
あとは、、祝典序曲はどうかな。聴いていてもおかしくはないのだが覚えてない。
そんなところだろうか。
そんな訳で、自分の中で今ひとつハッキリしていなかったピースを埋めることになる今回の演奏会。
ほんと毎回毎回定期のたびに言うのだが、実演に勝るものあらんや。
音楽が立体的に見えてくる。
具体的には、この旋律はこのパートだったのだな、とか、この楽器からその楽器に受け渡されていくのだな、ということがよく見えるので楽しいのだ。
打楽器パート的にもこの曲は見せ場多く。
この曲のシンバルはは一度でいいから叩いてみたかったな。
フィナーレとか気持ちよさそう。なんてね。
そして、客席で聴きながら考えた。
スターリンたちもこうやって(どうやって?)この音楽を聴いていたのか。
一体、どんな気持ちで聴いていたのだろうか。
同志ショスタコーヴィチはなんて素晴らしい讃歌を作ったのだ!と考えていたのか。
それとも、小僧めあからさまなんだよ、お前の本性はこんな曲じゃないだろ、いつか絶対消してやる、なのか。
あるいは、早く終わんねーかなー。クソ長いわ。…あ、意外と早く終わったよラッキー!だったりして。
そういや、確かに昨日感じたのだが意外と短いんだよねこの交響曲。大作のイメージがあるのに。
有り体に言えば、程よい聴き易さ。
聴衆が長さを感じるギリギリ手前でまとめてる感じがするのは自分だけだろうか。
いずれ、この曲に関してはいろんなエピソードや位置づけ(意味づけ)がなされるが(この人のつくった音楽はだいたいそうだが)、こと5番に関しては素直に聴いてしまう。それが良い気がする。
闇から明へ。苦しみから勝利へ。
聴き進めていると、受ける印象がベートーヴェンの9番とそっくりなことに改めて気がついた。
同じ調性だからだけではない気がするんだよね。
指揮の太田弦さんの生年を見て驚いた。
私がオケを引退し、つまり楽器から金輪際離れたその後に生まれているのだ。
ほんと年を取ったなあ自分。
いや、感慨はそこではなくて、若い方がどんどん活躍することは素直に喜ばしい。
奇を衒わないスマートな演奏。
だけれども熱がある。
こういうのが良いんだよねと、知った風に言ってみる。
そう言えば、やっぱりプログラムに「革命」って言葉を入れなきゃだめなのかな。
曲解説にも作曲者本人の命名じゃないって書いてるのだが、こういうものなのか?
分かりやすいタイトルがないとチケットの売上に響くのかな。
それはありそう。
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