許昌防衛戦で
曹操側も少なからずダメージを負った。
そしてなにより、
涼州の馬騰軍が長安を制圧。
曹操は多くの軍勢を長安奪還に向け始め、汝南許昌方面が手薄。
ここぞとばかりにまずは汝南攻め。
曹操は汝南に向け2万程度の兵を運搬していたが
無防備な運搬隊も到着前にまんまと撃破。
難なく汝南を押さえた。
返す刀で次は許昌へ。
陳留から幾ばくかの援護部隊が飛んできたが多勢に無勢。
210年12月、遂に漢帝(のちに献帝と呼ばれる今上陛下)にまみえることができた。
いま初めてわかったのだが
皇叔劉備で献帝を擁すると
兵力や資金資源のボーナスが半端無いのな、、
一気に本拠地小沛がパンパンになった。
正直、最大の山は越えた感じ。
もちろん、まだ続ける。
そいや、
今度は袁尚から同盟結んでと頭下げてきた。
立場逆転したなあ。
211年4月まで。