人の命はわからない。
明治期に南極点到達を目指した陸軍白瀬中尉のルートを辿って、単独徒歩による極点到達を目指していた冒険家の阿部雅龍さんが3月27日に亡くなっていた。脳腫瘍だった。享年41才。
母親が買ってくれた本で同郷の秋田県出身である白瀬中尉に憧れ、秋田大学を卒業してから協賛団体のみならず自らも人力車夫をしながら資金を貯め、世界各地の冒険旅を重ねていた。
自転車での南米大陸縦断(10,924km)、アマゾン川のいかだ下り(2,000km)、そして幾度かの北極圏徒歩の経験を経て、2019年に日本人初踏破となるメスナールートでの南極点到達(918km)などがあるが、これら全てが〝白瀬ルート〟への伏線であったという。
面識も繋がりも無いが、冒険者らが集う「地平線会議」の通信によく寄稿していて、水平系(山登りは垂直系)にもこのようなアンビシャスな若者がいるのだと心ながら応援していたので誠に残念なことだ。
1回目の挑戦に失敗した時のことを「地平線会議」の2022.2.22号に寄稿している。
コロナ禍で出発を2年待った2021年11月18日、1912年に白瀬中尉が到達した大和雪原(やまとゆきはら)に到達し、そこから全行程1,220Km(75日間)の半分ほどを進んだ所にある標高3,200mの南極横断山脈の手前で撤退した。
悪天候、大規模なクレパス帯、延びていた旅程等が要因とある。
しかし、通信には109年ぶりに大和雪原(やまとゆきはら)に人が立ったことの高揚感と白瀬中尉の見た白と青の世界を共有したことの喜びに溢れている。
通信の最後に、「失敗と自分の弱さに向き合わねば成長出来ない。夢はまだ終わらせない。続きのために年末(2022年)に再び南極に向かう。この夢を結実させる。」とある。この後、2022年8月に脳腫瘍があることがわかった。
阿部さんは手術を受ける前に「今までどんな逆境にも負けずに笑顔で立ちあがってきました。病気という冒険にみずから勇気を持って立ち向かいます。応援してくれるお一人お一人の気持ちに寄り添えるように、そして何より自分の夢の実現のために挑みます」とするコメントを出していた。
いつも前向きで笑顔だった阿部雅龍達さんのご冥福をお祈りする。
2022年「植村直己冒険賞」受賞
※写真は阿部雅龍さん応援プロジェクトのHpより。