ビッグプラネット頂き。レース直前でほぼ勝ちが見える楽なレースだった今日土曜の阪神メイン アーリントンカップ。10番武豊 で出走したプラネットだったが、この日の豊の位置とメインまでの結果を見れば、10番発射の示唆は明らかだった。5Rタイキデスティニー 6Rセイウンプレジャー ともに10番で出走した武。5R4着 6R1着となり、10R御堂筋Sは8頭立ての2番即ち数えて10番で4着となり、実にこの日4鞍で10番で出走。4,1,4と続いて、迎えたのが11Rの1番人気馬だった。もともと、朝のオッズで、1勝馬にしては人気がかぶり過ぎと見るのが妥当なファンの見方であろう。
本来オッズなどと言う代物、向こう(JRAの演出側)が御手盛りで表示しておることは明白。一般の異常投票はもとより向こうのマークするところであり、示唆過剰、サインばれは、渋い顔で眺めておるに違いない。そもそも朝の朝から、メインに先走った投票が集中するとも思われず、各競馬紙の印(それも主催側にそこそこ御伺いを立てて決定しているはず)を総合したコンピュータ指数のようなベースから、基準値として提示しているに過ぎない。たとえば今日のビッグプラネット、単勝が1倍台のスタートと見分けるだけの存分な材料が、一般競馬ファンに宛がわれているだろうか。ズバリ、オッズは作為である。こちらはそれを利用するだけのこと。勝ち馬は、払い戻し金額を抑える為実売り上げ高に比し、渋めのオッズを出してくる傾向がある。中心不在で4,5頭も拮抗した単オッズが並ぶときは全部まとめて買っても元取りには十分に見せて、総ての単を外す、など、売り上げ第一 払い戻し二の次 で、向こうがファンを弄ぶ。本命サイドで勝つ馬のオッズは、実際より低い。この原則を覚えておくべし。逆に意外と単勝がつく人気馬は囮臭いのである。オッズが明確な非自然物、作為のデータであるならば、これは勝ち馬検討に利用価値大である。ま、日銀でもやる相場買い支え、異常投票の歪みを適正化する介入も向こうの自由自在である。何と言っても、演出側は、勝ち馬を決めて、知ったうえでイベントを挙行し、オッズを掌で操作しているのだから。
週中に書いた、
中山記念は 4枠 7枠 どちらか
の、根拠は、的中後に披瀝しよう。平成以降、このレースはあるレースのメモリアル、追憶で連対する枠、馬番を構成しており、私が見抜いたデータによれば、明日の中山記念は 4枠6番メイショウカイドウ 7枠11番 バランスオブゲーム のどちらかの連対である。が、今日、重賞通算200勝を達成した武メイショウが、土日連続制覇なるか。トップジョッキー、JRAが演出した断然の主役である以上、それくらい不思議でないが、やはり、原則的に、4枠または7枠が発射すると述べておくのが妥当だろう。
あたかも、本当の(終わってみなければ分からない)レース、馬の能力の純粋検定であるかのような前提に立った予想はすべて、本質を外したものであり、終幕にハムレットが死ぬことは、終幕の来る前に舞台裏で、脚本で決まっていることである。それを、展開がどうの、血統的にもつ可能性が...もし、ペースが落ち着いたら、など、向こうは発射する馬がどれか暗示的ながら示唆してくれているのであるから、それらレースをしているとの前提に立った予想は、わたし的に言えば、すべてまやかしであり、的中しても、当てたのではなく、(偶々)当たったに過ぎない。そうした予想者(及びそれに頼る者)からはトータルで確実に余剰金を大幅に収奪できるとの綿密なプログラム、目算の上で向こうは競馬を行っているので、私ははっきり言って関心がない。能力でイングランディーレやロブロイが勝ったわけではないのである。人都合で、競馬界の繁栄、盛り上げ、そこに関わる馬主調教師生産者騎手ら、関係者の利益のために、競争を装った、さまざまのドラマ性、ストーリー展開を壮大な規模で構築している、と言うのが競馬の本質である。これは海外の組織的な管理競馬でも同様である。フランス革命200年祭の1989年の仏ダービーで史上初めて英国馬が勝つのは、演出である。ちなみにその馬の名は
オールドヴィック (Old Vic=古い勝利、つまりフランス革命を指す)
馬が競走し、ジョッキーが脚本無しに、つまりは無秩序にレースをしだした瞬間、日本の競馬は崩壊する。通常の競馬予想は、完全にJRAの計算どおりの「顧客」であり、ついには、お金を払って楽しんでくれるお得意様である。
本来オッズなどと言う代物、向こう(JRAの演出側)が御手盛りで表示しておることは明白。一般の異常投票はもとより向こうのマークするところであり、示唆過剰、サインばれは、渋い顔で眺めておるに違いない。そもそも朝の朝から、メインに先走った投票が集中するとも思われず、各競馬紙の印(それも主催側にそこそこ御伺いを立てて決定しているはず)を総合したコンピュータ指数のようなベースから、基準値として提示しているに過ぎない。たとえば今日のビッグプラネット、単勝が1倍台のスタートと見分けるだけの存分な材料が、一般競馬ファンに宛がわれているだろうか。ズバリ、オッズは作為である。こちらはそれを利用するだけのこと。勝ち馬は、払い戻し金額を抑える為実売り上げ高に比し、渋めのオッズを出してくる傾向がある。中心不在で4,5頭も拮抗した単オッズが並ぶときは全部まとめて買っても元取りには十分に見せて、総ての単を外す、など、売り上げ第一 払い戻し二の次 で、向こうがファンを弄ぶ。本命サイドで勝つ馬のオッズは、実際より低い。この原則を覚えておくべし。逆に意外と単勝がつく人気馬は囮臭いのである。オッズが明確な非自然物、作為のデータであるならば、これは勝ち馬検討に利用価値大である。ま、日銀でもやる相場買い支え、異常投票の歪みを適正化する介入も向こうの自由自在である。何と言っても、演出側は、勝ち馬を決めて、知ったうえでイベントを挙行し、オッズを掌で操作しているのだから。
週中に書いた、
中山記念は 4枠 7枠 どちらか
の、根拠は、的中後に披瀝しよう。平成以降、このレースはあるレースのメモリアル、追憶で連対する枠、馬番を構成しており、私が見抜いたデータによれば、明日の中山記念は 4枠6番メイショウカイドウ 7枠11番 バランスオブゲーム のどちらかの連対である。が、今日、重賞通算200勝を達成した武メイショウが、土日連続制覇なるか。トップジョッキー、JRAが演出した断然の主役である以上、それくらい不思議でないが、やはり、原則的に、4枠または7枠が発射すると述べておくのが妥当だろう。
あたかも、本当の(終わってみなければ分からない)レース、馬の能力の純粋検定であるかのような前提に立った予想はすべて、本質を外したものであり、終幕にハムレットが死ぬことは、終幕の来る前に舞台裏で、脚本で決まっていることである。それを、展開がどうの、血統的にもつ可能性が...もし、ペースが落ち着いたら、など、向こうは発射する馬がどれか暗示的ながら示唆してくれているのであるから、それらレースをしているとの前提に立った予想は、わたし的に言えば、すべてまやかしであり、的中しても、当てたのではなく、(偶々)当たったに過ぎない。そうした予想者(及びそれに頼る者)からはトータルで確実に余剰金を大幅に収奪できるとの綿密なプログラム、目算の上で向こうは競馬を行っているので、私ははっきり言って関心がない。能力でイングランディーレやロブロイが勝ったわけではないのである。人都合で、競馬界の繁栄、盛り上げ、そこに関わる馬主調教師生産者騎手ら、関係者の利益のために、競争を装った、さまざまのドラマ性、ストーリー展開を壮大な規模で構築している、と言うのが競馬の本質である。これは海外の組織的な管理競馬でも同様である。フランス革命200年祭の1989年の仏ダービーで史上初めて英国馬が勝つのは、演出である。ちなみにその馬の名は
オールドヴィック (Old Vic=古い勝利、つまりフランス革命を指す)
馬が競走し、ジョッキーが脚本無しに、つまりは無秩序にレースをしだした瞬間、日本の競馬は崩壊する。通常の競馬予想は、完全にJRAの計算どおりの「顧客」であり、ついには、お金を払って楽しんでくれるお得意様である。