大震災から2周年の、3月11日深夜。わたくしも湿った感傷の心持のまま、NHKBSの
東洋の魔女 伝説の名勝負
この特集番組を観ていて、思いついたことがあった。
1964年10月23日 東京五輪バレーボール決勝での、全勝同士 ソ連との決勝戦
わたくしは、あるダービーをはっきり思い出した。これだったのか!
何故、64年ぶりと云う、ほぼ近代競馬では有り得ない、牝馬の日本ダービー優勝
1964年の魔女だったからなのか!?
何故、ひろふみ という名のジョッキーに導かれた「女子」選手が、1943年のクリフジ以来、この戦中のダービー以降、絶えて無かった、競走体系の整った時代の、型破りの牝馬ダービー制覇を果たしたのか。
東洋の魔女 監督 大松博文 だいまつ ひろふみ
ウオッカ 騎手 四位洋文 しい ひろふみ
もっと、克明にこのダービー出馬表を再現する。
2007年 第74回 日本ダービー
1枠 2番 ゴールドアグリ 戸田博文厩舎
2枠 3番 ウオッカ 四位洋文 3歳牝馬 優勝
2枠 4番 ゴールデンダリア
金メダル = ゴールド に両脇を囲まれた、ロシアの酒
自身のジョッキーも ひろふみ だが、隣のトレーナーも、博文その人である。
日本の大黒柱、河西さんの誕生日が 7月14日 → 74回 だったからか!
日本のアタッカー に 谷田絹子 が居たから、馬主・谷水さんだったのか!
もっと大きいのは、この1964年10月23日の駒沢体育館。このロイヤルボックスには、
美智子 皇太子妃殿下(現・皇后陛下)
が、まさにコートサイドで間近に観戦されており、この74回ダービーには、皇太子徳仁殿下が府中スタンドに行啓あそばされていたという事実の一致である。
ウオッカ担当厩務員は、中田さんだが、これも、魔女の誇るエース、半田さん を映したものに見える。
戦後日本の太陽 東洋の魔女 東京五輪で、ソ連を撃破!
ゴールドに囲まれた、ひろふみ 率いる、ロシアの酒の名を持つ、牝馬
観戦した三島由紀夫も、「魔女も泣いた! 私も泣いた!」の文章を残している。
戦後日本が、復興した姿を世界に示そうとし、最も輝いた瞬間だったのではなかろうか!
何故、これが2007年、第74回 日本ダービー で再現されたのか。その理由は、今年、
2013年 第80回 日本ダービー これで何が語られるのか、その疑問に集約される。
わたくしも日々、考え続けているのである。
大黒柱でキャプテンのセッター、河西昌枝さん(現・中村さん) 愛称は、ウマ
今年の、お誕生日で、日本ダービーと同じ、80歳をお迎えになる。
わたくしも、リアルではとても解からない瞬間だが、敗戦、焼け跡、古式ゆかしい日本自体の否定、戦後の新時代の創出、混乱、絶望、自己否定、精神的敗北、食うのがやっと ・・・・
しかし、戦後日本には、太陽があった ・・・ 昇った瞬間だった。
1964年10月23日 駒沢体育館
日本 対 ソ連
第1セット 15 11
第2セット 15 8
第3セット 15 13
平均視聴率 66.8% だったそうである。
3セット目も、一旦、11対3 日本のリード となり、楽勝か、とも思われた大一番だったが ・・・