4年間。
年齢に応じ、この年月の感覚は異なる。
大学の学部にも4年通ったが、短かった。
4年前の敗者が再度挑戦の舞台に上がる。
五輪は比較的若い人々の戦いなので、競技参加する二十歳の選手の4年と茶の間でこたつ気分で視聴する60歳の4年とは、大きく隔たる。人間は死期が近づくと、あの世での生活の準備を魂が始めるので、次の古代ギリシャの賢人の言葉
老人の一年は幼年の一日よりも短い。
この実感は嘆くべきことでは無く、要するに肉体生命の時間間隔とそこに束の間宿る人間の真の実体である魂の時間間隔とのずれが自ずと顕著に感じられるだけで、肉体は魂を追い切れないのである。
ある時、終電近くまで飲んでいて、そろそろとJR駅に急ぎ、滑り込む終電に向け、階段をダッシュした時、こころは階段を昇っても、体が昇らない、と云う実感を味わったことがある。「これが歳と云うものか。」など、自嘲したが、肉体は節約、節制しても古び、が、魂は永遠に成長を続けるのである。
17歳まで走り続けてきた魂が、今宵、どう飛翔するのか!
何か、世界チャンピオンだからと云い、余りに過大に期待し過ぎるのが酷なようにも思うが、どこにでも、家の直ぐ近所にも16、7歳の女子高校生は居る。
普通に可愛らしいし、この歳に至ると娘は居ないが、この女の子を慈しむ両親や周りの方々の慈愛、恩愛がどれほどか! 想像される。
今日もカーリングの緒戦、対韓国の完敗を見届けたが、今だ
日本のソチ五輪 メダルは 0個
なのである。もう見上げるしかない。そして、普通に運べば、誰が見てもナンバーワン候補。競馬と違い、人が脚本を書き、そのまま上演される訳ではないので、兎も角、祈り、願い、支援し、僭越ながら敗れて帰って来ても抱きしめたいような衝動に駆られるが、抱擁はパパとママたち、身近に居て本当の苦労を知っている方々が担ってくれるだろう。
が、祈るのみ。
昔の青春ドラマの歌に 勝って帰らにゃ男じゃない~! と云う一節があったが、昔日。
またその昔、ついこないだの様な気もするが、ホーリックス優勝 をわたくしが読み切ったJCを掲載した『優駿』誌でのキャッチ
左の手で ホーリックスに乾杯し、右の手で オグリキャップを抱きしめる。
また一つ、夢を見た。
単勝 1990円
こんなだったと思うが、オグリ時代。余りにも劇的だった。昔の方が劇的だったと云うのは、明らかに加齢から来る錯覚で、今も昔も、今進行中ののドラマこそ、ヴィヴィッドなはずだ。感じ方で何事も今は動じなくなって居るに過ぎない。
これまた魂が成長しているからである。所詮は人間事、この世沙汰に過ぎないのである。あの世はもっと広大で、無辺際。
沙羅ちゃん! 「君」を飛んでくれ!
五輪が終われば、忘れ去るようなファンの独りに過ぎないかも知れないが、人象(ひとがた)の美しさは永遠。
君の夢が日本の夢!
何千万が元気になり、夢が夢を植え、育む。
わたくしとて、夢を食べて活きている!
勝っても勝っても普通の顔でいる、あなた。そしてあなた方が可愛くて仕方が無い。
普通の子に見えながら、どれほどの超人的なことを「普通」と感じ、鍛え上げられてきたのか!
どれほど、今時分にある力を全部上げたいと思っても、詮無き、遠い空の下。
君は自分の力で、自分だけで飛ぶ!
勝って欲しい!
1番人気とは、こうしたものなのだろうな。
メダルを下げても下げなくても、普通の女の子の顔で御両親と祖国の胸に、お戻りなさい。
これが今週の 第49回 クイーンカップ に繋がる。
単勝 1.8倍 と云うところか! いや、これは無礼だろうか!