季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

新聞の用語 続

2009年04月15日 | その他
読みにくいと思い、記事例を改めて挙げておく。


例3
 灰色の2隻が静かな緊張感を漂わせ、ゆっくりと桟橋を離れていった。北朝鮮のミサイル発射に備え、海上自衛隊のイージス艦「こんごう」と「ちょうかい」が28日午前8時すぎ、佐世保基地(長崎県佐世保市)を出港した。


これはいちばん最近のもので、何のことだか分からないという人はまずいないだろう。この記事が何についてのことだか分からない人は、心の底から幸せに暮らしている人で、僕も心の底からうらやましく思える。皮肉じゃないよ。

ここに挙げた例の最初の一文はそっくり捨ててしまうほうが新聞の記事としてはるかに勝る。


北朝鮮のミサイル発射に備え、海上自衛隊のイージス艦「こんごう」と「ちょうかい」が28日午前8時すぎ、佐世保基地(長崎県佐世保市)を出港した。

どうです、なんてことのない文章だが、伝えることはこれで全部言い尽くしている。

記者はそれだけでは満足しないようである。僕が削除した一行こそが彼の「文学的才能」を駆使したところだろう。

軍艦が灰色だろうとピンクだろうと本当はどうでも良いではないか。(と書いたとたん、横須賀港に展示されている帝國海軍の「三笠」を思い出した。軍艦はなぜどれも灰色なのだろう?それなりの理由はあるのだろうか?)

記者は軍艦の色を書くことによって、いったい何を言おうとしたのか。まあ言わずと知れたことだろう。冷酷だとかその種の出来合いの連想。そして緊迫した空気。

しかし、静かな緊張感を漂わせたと見えるのは、記者が先入観を持って見るからに他ならない。ここで読者に伝えるべきことは2隻の軍艦が出港したことだけである。読者にその様子を想像してもらう必要はない。

想像させようとするのはむしろ危険なことである。静かに平穏に見えるが、じつは未来は危険をはらんでいるのだと暗示したいのだろうが、そのこと自体がむしろ危険である。他の先入主を暗示することも可能であるから。

熱くたぎる愛国の情に導かれて「こんごう」と「ちょうかい」は一躍、前線へ向かい出航した。

こんな感情に衝き動かされる記者だっているわけだろう。

いざことが起これば(それは何も軍事のことと限る必要はない。僕たちの日常の瑣末な出来事であってもだ)ただでさえ公正さを保つことはむつかしい。

そのためには普段からものごとを正直に見ようと努めておく必要がある。僕はそう思っている。

昔から新聞やテレビの報道には疑念をいだいてきたけれど、何度も書いたように、現代はその疑念(格好つけているなあ、疑念なんて言うとね)を裏付ける情報がたちどころに手に入る。その情報にも正面から付き合う必要があるのだから、よほどの力が要るのだろう。

歴史家は資料が多ければ多いほど良さそうであるが、互いに矛盾さえ示す膨大な資料に呑み込まれてしまう危険がある。大変な空想力が要る、という逆説の中に放り込まれる。

現代に生身で生きるのもまったく同様だ。せめて形容詞で飾り立て、先入観というか結論があった上でのニュースを流すのはやめてくれないか。松本サリン事件での河野さんへの扱いから変化したものは何一つないと言ってよい。