季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

物まね

2013年12月17日 | その他
相変わらず芸能人に疎いが。

何某とかいうタレントが、自分のものまねをする物まね芸人を批判したという記事を以前読んだ。二枚目もつらいね。

でもなぁ、笑い飛ばしてしまえば良いのにとも思う。

昔、ベルリンフィルの楽員で色んな指揮者の真似が達者な人がいた。

カラヤンも彼の「芸」を見物し大笑いしていたが、その楽員が最後にカラヤンの真似をしたところ、顔は引き攣り、何とも気まずい雰囲気になったそうだ。

なんだよ、余裕の無い奴だな、と思ってしまう。他人の真似は笑ったのだろう?

これなぞも二枚目俳優と同じ心理だろうね。俺の「美しさ」は笑いの材料になるには高貴すぎる、そんなところか。

夜景

2013年12月17日 | その他
高層ビルの上は夜景スポットとして人気らしい。

お世辞にも美しい都市とは言えない東京も、夜景になれば地上の星というわけだろうか。

ただ僕にはちょいと明かりが多すぎるね。

時々伊豆スカイラインを通り、そこから三島の夜景を見る。ここの夜景くらいなら綺麗だと思う。

神奈川県の伊勢原辺りにも夜景スポットがあったように記憶する。夜景スポットというよりデートスポットかな、多分。

僕はそうした気の利いた青年時代を持たなかったからね。勉強一筋だったのだよ、なんて言っても自分でも信じないからね、人を信じさせることは無理である。

やっかみはともかく、遠い光は若い人をロマンチック(ロマンティックじゃないぞ)にするのは確からしい。

眼下にチラチラと瞬く灯は、僕にとっては子供の頃の空想を思い出す導火線だ。そしてひどく心細い心地がする。

その空想というのは、自分が生れ落ちたその時をはるか上空から鳥瞰することだった。世界中至る所に赤ン坊の泣き声がし、僕もその中のひとりである。

それはまだ僕ではない。それなのにある日ふと気付くと、あの沢山の赤ン坊の中の1人が僕であった。一体いつから僕になったのだ?なぜその赤ン坊は僕にならなければいけなかったのか?と考えて、怒りに似た感情に駆られたものだ。

伊豆スカイラインの真っ暗闇で車を停めて暫し三島(多分ね)の夜景を眺めると、その時の気分が蘇る。ロマンチックとは縁がなさそうである。